難易度高い
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
引きこもりの俺からすれば余裕
>>2
引きこもりになってる時点で不妄語戒は守られてないだろうな
難易度高い
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
引きこもりの俺からすれば余裕
>>2
引きこもりになってる時点で不妄語戒は守られてないだろうな
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>>2
不偸盗戒
ようつべで許可なしにアップされた動画見てるだろ・・・
南無阿弥陀仏って言ってりゃ
そんなもん破っていいんだよ
>>3
んなわけねえだろ
キリスト教の10戒はきつい
ネトウヨの?戒もむずかしい。キムチは食べないなんてムリポ。
そうかい
外出たらアリの一匹くらい踏みますやん
>>8
意図せずならok
それを言うなら空気中の微生物吸い込んで殺しまくってる
洗練されてるなぁ
欲を断ち切ってる
>>11
どこが欲を断ち切ってんだよ
性欲 睡眠欲 食欲どれも軽く制限した程度
モーセの十戒守ったら信者絶滅するよね
>>12
載せられません。原文↓
http://www.logsoku.com/r/news4vip/1371952392/19
在家ならそんな厳しく考えなくていい
仏教団は在家信者から普通に肉を食べさせてもらっていた
当時肉と言えば、在家信者自身が家畜を殺して作った肉だ。
>>13
仏教徒じゃないやつが殺した肉だったんじゃないの
お釈迦さんが実在する中でそんな信仰心薄くないやろ
>>18
肉うんぬんを言い出したのは後世、ジャイナ教徒の影響だよ
仏は肉を食っていたので、大罪者デーバダッタは僧伽を割った
>>23
デーバダッタってあれか
レインボーマンの歌詞に出てくるダイバダッタか
>>28
そう。ダイバダッタはサンスクリット語。デーバダッタはパーリ語。
デーバダッタは、仏教教団が、ボロを着ず、肉を食い、なんだか苦行が足りない気がしたので
仲間を連れて教団を去った。
それに対しての仏は、
「私はかつて世界一の苦行者だったから、
無意味な戒を守って苦行することが如何にしょうもないことか世界一わかっている」
なんとご都合主義な 肉は殺さなくても肉を切り取ることはできると思ったから鶏肉牛肉豚肉食べますもおkだな
>>22
死んだ肉ならいいんだよ
生きてるなら傷つけちゃだめ
仏教の戒律ってのは、「それをしない方が幸せな人生を歩めますよ」って言うような緩いものであって、
絶対的な神が人間に命じたという性質のものではない
ちなみに仏教には神様はいない
仏教はニートを推奨するくらいだしな
つーか仏教ってゴータマシッタルダとはもはや別モンなんだよな
この人が言ってたのはどっちかっつうと哲学に近い
死後の世界についてはノーコメントっぽいこと言ってたし
出家しないと悟ることは出来ないってのが仏教の基本姿勢だから
在家戒の五戒は破っても問題ないとは言わないが
生活規範みたいなもんだよ
でしむこうじんみらいさい
ふせっしょう
ふちゅうとう
ふじゃいん
ふもうご
ふきご
ふあっく
ふりょうぜつ
ふけんどん
ふしんに
ふじゃいん
>>40
ジオンのMSみたい
「あの新興宗教の連中は、人殺しだぞ」という噂が立つと、教団が成立しない。
だからこその不殺生戒だ。
戒に神聖な意味はない。
戒によって清まるわけではない by 仏陀
戒に囚われることは、再びの生への縁になるのだということになっていて
それはいろんなお経で繰り返される
仏「お前たち、私の弟子が、一堂に集まって、すべきことは二つだ。
法について語り合うか、もしくは沈黙だ」
と仏は何度も何度も繰り返している。集まって無駄口を叩くなということだ。
一方、王様が、静まり返った仏と弟子たちの集会場にやって来ると、そこに神聖なものを感じ取る。
そのような様もたくさんお経に出てくる。
神聖だと思ってもらわなければ、僧侶はただの乞食だ。
戒は、悪評を避け、評判を高めて、乞食生活を豊かに送るための手段だ
ではなぜ戒への囚われは再びの生への縁なのか。
戒によって (前世の業が) 清らかになる、というジャイナ経の教えを、
人は実感として悟ることができないからだ。
中阿含経にはこうある:
「君たちジャイナの弟子たちは、そうやって苦行して前世の業を清めるのだというけれども、
君たち自身の知識として、君たちに前世があったということを覚えているのか。
君たち自身の知識として、前世にどんな悪いことをしたのか覚えているのか。
君たち自身の実感として、今までどれだけの業を清められたのか知っているのか。
君たち自身の実感として、あとどれだけの業を清めれば、全て清まるのか知っているのか。
君たちはただジャイナに言われるがままにやっているだけで、自分の実感としてわかっているわけではない」
そういう状態で戒を実践したとしても、生まれ変わりへの執着は治まらない
中村元の「龍樹」はだれでも読める中観仏教入門書としていいと思う
仏の教えは、死ぬときに後悔のないように、だ。
そうすれば輪廻という不確かな救いに縋らなくてすむ。
後悔のないように生きるには、後悔のタネを全て捨てて生きるのがよろしい。
しかしそんな生き方のできる人は限られている。
だから在家信者は楽しく生きればいいのだよ。
そう思い込みたいだけじゃないの?
まあ罪を犯したけりゃ勝手にどうぞ
>>56
仏の言う罪に神聖な意味はない。
ジサツしても罪ではないのだから。
>>57
では、人を殺す場合は?
それでも罪は無いと?
>>59
法律の罪だけ
>>59
人を殺すのは罪だ。罪と訳すけれども、本来は「避けるべきこと」
犯すことが望ましいわけではない。
この辺は、宗教としてはどうでもいい箇所だけれども
実践としては守らないといけないことではある
勉強不足すぎて全く付いてけねーや
原始仏教か何かの話?
生老病死の苦から抜け出すっていう認識だから
輪廻が救いって感覚がわからね〜や
>>61
仏は、愛によって取が生じ、取によって生が生じ、生によって老死悲嘆痛憂悩が生じると言った。
愛 = 欠乏 によって、取 = 信仰や戒や魂に取りすがること が生じ、
取によって 生 = 生まれ変わり・輪廻 (という偽の救い) が生じ、
そういう偽の救いによって 老死悲嘆痛憂悩 が生じる、という意味だ。
仏教で一番重要な教えは何?
>>71
空
>>71
何が一番重要ってのができないように、上手になっている。
縁起則は四諦に組み込まれているし、四諦は八正道に組み込まれているし、八正道は四諦に組み込まれている。
また八正道を行く上で大事なのは無我。
また、八正道だ、無我だ、という生き方をするためには戒律が絶対に必要。
神聖さを感じ取り、無意味に実践するのではない。
しかしきちんと意味を理解するならば、いま幸せに生きるために戒を実践するのが良い。
無明なのが一番よくない
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