全国に数多くある
テーマパーク。今もなお新しい
テーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんな
テーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「
テーマパークのB面」をここでは語っていこう。
東京ディズニーランド(以後、TDL)が「夢と魔法の王国」を謳っているように、
テーマパークといえば、その土地にありながらにして、どこかその土地とは異なる場所にいるかのような感覚を与えてくれるものだと私たちは思っている。
「まるでここは別世界だ!」と思わせる度合いがどれぐらいなのかが、その
テーマパークの質を決めているといってもよいのかもしれない。その点で、TDLは、確かにきわめて質の高い
テーマパークだといえよう(今更言うほどのことではないかもしれないけれど)。
有名な話だが、その園内からは外の風景が見えないようになっている。だから、そこを訪れた人が、かつてその地域一帯が小さな漁村だったことを意識する機会はほとんどない。TDLが位置する浦安は、パークが誘致される以前、のどかな漁村の集まりだった。
◆開園予定地の最終候補は「浦安と
富士山麓」
TDLがこのように「外の環境」を遮断しようする傾向は、例えばその立地が選ばれる際にも顕著だった。TDLの開園予定地にはいくつか候補があって、その中でも最後までその候補地として残ったのが、浦安と
富士山麓だった。
浦安にせよ
富士山麓にせよ、大都市からさほど遠くない距離で訪れることができる点に注目すれば、どちらにパークが誕生しても、観光地としては成功しただろう。事実、
富士山麓にある「富士急ハイランド」は多くの観光客を呼び込むことに成功しているから、候補地の段階ではどちらを選んでもよかったはずである。
しかし、
ディズニーは浦安を選んだ。なぜ、
富士山麓を拒んだのか。
ディズニーランドが目指す「夢と魔法の王国」という「日本」とは異なる場所を作るためには、「
富士山」という巨大なランドマークが不必要だったのである。
◆日本のシンボル・
富士山は“邪魔”だった
いや、不必要、というよりも、邪魔と言っても良いぐらいだったかもしれない。
ディズニーランド中央に建設されたシンデレラ城の景観は、決して
富士山に邪魔されてはならない。このような「外の環境」を強く避けようとする態度が、浦安という場所に
ディズニーランドを誘致させたのだ。
ところで、TDLが忌避した
富士山というアイコンだが、「その後の
ディズニーリゾートの開発において、実は
富士山が無意識的に重要な役割を背負わされてきたのではないか」、と私は考えている。
◆日本側主導で作られた「東京
ディズニーシー」
それは、東京
ディズニーシー(以後、TDS)のことだ。TDLは、アメリカ側が主導して、アメリカの
ディズニーランドをそのまま移植するように作られた。実際TDLは、フロリダにある
ディズニーランドの一つ、「マジック・キングダム」と非常に似たパークの構造をしている。
それに対してTDSは、そのパーク作りの多くを日本側が主導して行った。例えば、当初TDSのシンボルとして考えられていたのは「灯台」だったのだが、日本人にとって灯台はどこか物悲しい風景を思わせる、ということでこの案は却下される。
その代わりにシンボルとなったのは地球をモチーフにした「アクアスフィア」で、これは現在、
ディズニーシーのエントランスを入ってすぐのところに置かれている。日本人の感性に合わせたパーク作りが行われたわけである。