筆者の体験談を語るならば、前回も述べたけれど、82年スペインW杯2次リーグ最終戦の名勝負、ブラジル対イタリア戦を見たことが、いまなおサッカーの虜でいられる最大の理由だ。あの時、バルセロナのサリアスタジアムに足を運んでいなければ、いま、このような原稿を書いていることはないと断言できる。
生観戦に勝るものはないのである。
東京五輪では、その機会をできるだけ多くの人に探って欲しい。お茶の間観戦のみで終わってしまえば、五輪というお祭りが好きな人は増えても、真のスポーツ好きの数は増えにくい。
ところが、現状を踏まえれば、
東京五輪は、無理矢理開催したところで、無観客が精一杯だ。お茶の間で、テレビ画面を眺めるしか観戦の選択肢はなさそうな雲行きになっている。だとすれば、東京で開催する意義は薄れたとみる。外国で開催されるのと、これでは何ら変わらない。マラソンのように、画面に街中の景色が映り込んでこない限り、舞台が東京であるという実感はにわかには湧いてこない。お茶の間に届けられる映像が、場所の匂いがしない競技の映像ばかりになれば、北京五輪、ロンドン五輪、リオ五輪を見ているのと変わらない。
無観客なのか、再延期なのか、中止なのか。
東京五輪の行く末は定かではないが、2032年への延期が現実的だと言うのなら、その11年後に向け、日本国民はもっとスポーツ好きになるべきだと、提言したい気分である。