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twitterのフォロワーが100人になりました!
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もっとネットでうまく発信したいと思いつつ、
ネットを使う時間を減らしたいので、
なかなかすすみませんが、
これからもよろしくお願いします。

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今年3月のMAZEKOZEファッションショウで
カメラマンの渡辺達夫さんに撮っていただいた
お写真です。
すてきでしょ!?










20170731一人ひとり違って当たり前



































琉球新報社提供

琉球新報 2017年7月31日(月)
100cmの視点から あまはいくまはい
一人一人違って当たり前

(↑こちらをクイックすると琉球新報styleのページから読めます)

車椅子に乗るのが大好きなわが子たち。息子はもう私より大きいのに「狭い! ママ、もうちょっと寄ってよ」と言うように。いやいや! これ、私の車椅子ですから! 大きくなっているのはあなたですから! と毎回説明します。すると「ママはベビーカーに乗ればいいんじゃない?」と提案する息子。歩けないママを持つ息子の発想に大笑いです。車椅子でお昼寝をすることもよくあり、堂々と寝る息子。街行く人からは、何が乗っているの? じろじろ見られます。

子どもが4歳と2歳になり、毎日が少し落ち着き、子育てをまた楽しめるようになってきました。私は一人ではできないことも多いので、一人で子どもを見るときは、安全面に細心の注意を払います。ゲートは閉まっているか、はさみなどの危険な物がないか、お茶のふたは閉まっているか、などなど。だけど4歳の息子はもうゲートを開けられるし、はさみを使えるし、キッチンから物も取り出してきます。さらにそれを2歳の娘が触って大変なことに! 二人育ては私の許容を超えています。でもそんな毎日が続くと、計画通りにいかないことに慣れてきて、考えることすらあまりしなくなってきました。どうにかなる、どうにかするしかない、とにかくやってみよう、という感じです。

 ただ、4歳になる息子の私への甘え具合に心底疲れ、「ママー、ママー」と泣き叫ばれることにイライラすることも。3歳までは大事に大事に育て、彼の話をよく聞いて、合わせてきたつもりなのに、エスカレートする一方!? 妹のお世話もしなきゃいけない私の状況を理解してほしい、と怒ってしまうこともあります。しかし、先日作戦を変え、私が彼に甘えてみることにしました! 「もう保育園に行っちゃうの!? 寂しいー!」と言うと、息子は私にギューと抱きつき、すんなり保育園に行くことが判明。やったー!

 息子は内弁慶で、保育園では先生の話をよく聞き、ルールを守り、頑張るタイプ。逆に娘はいつでも自由奔放で、やりたいことだけやるタイプ。それぞれに違うのが本当に面白いです。子育てを通して「人は一人一人違う」という当たり前のことに気づかされ、その子なりのペース、やり方でいい、できること、できないことがあってもいい、と思えます。それは同時に、障害があり、できないことが多い自分を肯定することにもつながり、子育てに救われる自分がいます。子育ては大変なこともあるけれど、障害者のユニークな子育て、オススメです!

写真:車椅子がベビーカー代わり、お昼寝もしちゃいます


20170717宝物の二人


































琉球新報社提供

琉球新報 2017年7月17日(月)
100cmの視点から あまはいくまはい
「宝物の二人」

(↑こちらをクイックすると琉球新報styleのページから読めます)

リスクの高い2回目の妊娠も順調に進み、妊娠31週で管理入院しました。私の両親が沖縄から来てくれ、息子の碧(当時1歳)の面倒を見てくれました。

 入院してゆっくり休めると思ったものの、息子に会えないのが寂しくて寂しくて。しかも碧は、私が入院する1週間前に保育園に入園したばかり。彼にとっては家も保育園も新しい環境で心配でした。でも息子の力を信じて、お互い頑張るしかありません。週2回、碧がお見舞いに来てくれ、週1回は私も自宅で過ごすことができました。

入院から約1か月の35週、8月3日が帝王切開の日になりました。麻酔がなるべく赤ちゃんにいかないように、おなかの消毒や、尿の管を入れるのも、麻酔をかける前にやることに。今までの手術では、それらは麻酔の後にやっていたので、その痛みは初体験。そして麻酔がかかって、ほんの数分で赤ちゃんが誕生です。おなかも前回の半分の長さしか切らず、出血もそこまでなかったので、心配していたトラブルは何も起きませんでした。帝王切開一つをとっても、病院、医師が変わるとこんなにも方法が違うのかと驚きました。

 碧と全く同じ大きさ2160グラムで生まれた女の子。私の名前を一文字とった「夏帆(かほ)」と名付けました。早産にもかかわらず、呼吸器も付けず元気いっぱい。出生翌日から直接授乳も始まり、予想の半分の約2週間で退院できました。

 夫が産休を1週間取れたのもありがたく、帝王切開後で、ご飯を食べるのも、トイレに行くのもきつい私に病院で付き添ってくました。産後1週間で私は退院したのですが、なんとその直後に1週間、寝込んだ夫! オットット…。「休みたいのは私だよ!なぜこの大変なときに!?」と思いつつも、私は病院にいる夏帆に母乳を届け、家で碧の世話をしつつ、新生活が始まりました。

 2歳差育児は本当に大変で、寝られず、休めず、疲れはたまるばかり。夫は夜勤で夜は不在、夜9時以降はヘルパーもいないので、私1人で子ども2人を見る毎日。私も体調をよく崩し過酷でしたが、大変な渦中では何も考えられず、毎日を過ごすだけで精いっぱい。2年たった今振り返ると、あの時は相当きつかったです。今は碧が4歳、夏帆も2歳になって、2人で遊ぶようになり、だいぶ楽になりました。乗り切った2年間、乾杯!

 身長100センチ、骨の弱い私が、まさか子どもを2人も生むだなんて! 事実は小説よりも奇なり!? やって来た2人の宝物、本当にありがたいです。

20170730個性派多い大家族





















東京新聞・中日新聞
2017年7月30日(日)
障害者は四つ葉のクローバー
個性派多い大家族」



総勢10人のヘルパーと一緒に、2歳と4歳の子育てをしている車椅子の私。子どもが危ないものをさわっても、さっと抱きかかえることができません。干してある洗濯物も取れないし、布団を敷けません。でも助があればできます。ヘルパーがいる時間に、私だけではできないことをこなすことがポイントです。

ヘルパー制度では「自薦」と「他薦」の二方式があり、私は自分でヘルパーを見つけ、調整や連絡もする「自薦」を使っています。直接やり取りするので信頼関係を築きやすく、時間や内容の変更に臨機応変に対応してもらえます。でもヘルパーが病気のときなどは私が代わりのヘルパーを探さないといけません。

初めにヘルパーを探すまでは、本当に大変でした。募集のチラシを団地やお店の掲示板に貼ったり、会員制交流サイト(SNS)で載せたり。ありとあらゆる知人にお願いをし、友だちの友だちにも声を掛けてもらいました。でもそれでは集まりにくく、私や友だちが、興味のありそうな人にメールや電話で依頼するのが効果的でした。まるで、信頼する親戚知人の紹介を頼るお見合いマッチングのようでしょう?

でも「ヘルパーを頼みながらの子育ては大変なこともあるけれど、子どもの力でいい人が集まってくるよ」と先輩に言われた通り!子ども好きの、気が利く、いい人ばかりが集まってくれました。ヘルパー一筋のベテランに加え高校生や大学生、パティシエ、鍼灸師、ピアニストなど他の仕事を兼ねている人も。個性的なメンバーばかりで、にぎやかな大家族のようです。

障害者が子どもを持つことに心配、反対する人もいますし、私も多くの反対を受けました。でもヘルパーと一緒の障害者の子育ては楽しいです!ヘルパーを入れての生活の工夫は、次回に紹介しますね。

写真:4月には、私と2人の子どもの札幌旅行にヘルパーも同行してもらった




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