理念や価値観が判断・行動に方向性を帯びさせる
「自律による仕事」と「他律による仕事」をさらに発展的にとらえていきましょう。両者をイメージ化したのが下のスライドです。
自律に任された仕事というのは、常にその中核に理念や価値観がしっかりとあります。そしてそれは「物事はどうあるべきか」という方向性を帯びています。その中核的価値に照らし合わせて、物事を評価、判断、行動するわけですが、「やるか/やらないか」の境界線は常にあいまいです。そして当然、やるなら「どうやるか」を自分で決めます。
それに対し、他律による仕事の典型はマニュアルで定められた仕事です。マニュアルには他者(=会社)が決めた業務ルール・業務手順がきっちり記述されています。業務を行う者はこれに則って行動することが求められます。
マニュアルで指示されていれば「やる」。指示されているやり方でやる。指示がないことは「やらない」。そのように自分が判断せずとも、「やる/やらない」の境界線ははっきり決められています。
もちろんこの2つの図は両極を示したもので、実際の仕事というのはこの2つの間のどこかになるでしょう。
1人の従業員の自律性が生んだすばらしい仕事例を1つ紹介しましょう。首都圏にある有名テーマパークのグッズショップの店員さんの行動です。それは、東日本に大地震が起こったあの2011年3月11日のときのことです。『日経ビジネス』が次の内容を報じています。
……どうでしょう、このキャストHさんのとっさの行動は見事です。このような勇敢かつ創造的な対応は、本人の内にしっかりとお客様やテーマパークを想う気持ち、信条、矜持といったものが核としてなければ生じてこないものだと私は考えます。漫然とマニュアルに頼っている人には、このような行動は決して生まれません。
「よき自律」は「我律・俺様流」ではない
さて組織の中には、働くことに対しいろいろな構えの人がいます。活動的な人もいれば非活動的な人もいる。自律的な人もいれば他律に頼る人もいる。そんな様子を図に表したのがこのスライドです。
ひとくちに活動的であるといっても、そこには「従順な活動者」と「自律の活動者」と2種類あります。前者は他律の姿です。ある方針や指示が与えられれば積極的に動きますが、それらがなければとたんに動けなくなります。
自律的には3種類あります。「自律の活動者」は、自律のもとで組織の考え方と協調して能動的にやる人です。
しかし、自律というのが自己中心的に偏ってしまい、組織の考え方・やり方(=他律)に対し批評するばかりで結局何もやらない人がいます。これが「意固地の怠け者」です。また、自律が「我律・俺様流」にゆがんでしまい唯我独尊的に暴走する「俺様流はみ出し者」もいます。
このように会社という組織の中で働く場合、「よい自律」というものがあって、それは強引に「我」を通すことではありません。
組織と「自律した個」が律を合していくダイナミズムが必要
哲学用語で「止揚(アウフヘーベン)」という概念があります。一方に「正」があり、もう一方に「反」がある。その2つが発展的に1つのものとして結びつき、より高次の「合」に至るというものです。
誰しも自分の律を醸成し、自分の規範やルール、理念や価値観、それに基づいた意見や主張を持つべきですが、それらはみな完璧に正しいものではありません。ですから、常に「他律」を受容しつつ、「他律」と対話・議論を交わしながら、両者にとってよりよい律の創出、すなわち「合律」を目指すことが賢い行き方です。
律というのは、もっと別の言葉で言うと「主義・掟(おきて)」。そのため、これを間違った方向で持つと害も大きい。
組織全体が持つ律も、個々人が持つ律も常に進化の途上にある未熟なものです。それゆえに、組織内には「正・反・合」のダイナミズムが必要です。すなわち、個と組織が真摯に意見をぶつけ合い、よりよい律を生み出そうとする取り組みです。
会社も個人も変化の激しい世界を生き抜かねばなりません。会社という組織体は事業という大海原を、そして個人はキャリアという大海原を渡っていきます。羅針盤も持たずにその航海に出るとすれば、それはあまりに危険な旅路。知識・能力を磨くことも大事ですが、それ以上に律の醸成も忘れてはならない作業です。