自分の母親を信頼できずにいた乃々花さんに訪れた転機とは?(写真:乃々花さん提供)

幼い頃から親の愛を受けられずに苦しんできたけれど、いつかは親と和解したい。そう願う人は世の中にたくさんいるものの、現実にその願いを叶える人はあまり多くない。和解できない原因は大抵、本人ではなく親の側にある。

でも、親との関係をつくりなおす人もいないわけではない。関西に暮らす乃々花さん(仮名・20代)は長い間、自分の母親を信頼できずにいたが、数年前にその関係が一変した。きっかけとなったのは、図書館で見つけた一冊の本だった。

いまは結婚して、夫と2人で暮らす乃々花さんに、母親とのこれまでを話してもらった。

精神的に不安定になった母親、蓄積する小さな痛み

小学2年生のとき、両親が離婚した。たまに喧嘩をするくらいの「ふつうの夫婦」に見えたが、あるときから父親が家に帰らなくなった。2、3カ月経った頃「たぶんもう会えないんやな」と悟った。子どもはただ、現実を受け入れるほかない。


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乃々花さんと弟が「離婚した」と母親から聞かされたのは、たしか日曜日の夕方だった。リビングに集まって「3人でわーわー泣いた」ことを覚えている。後に金銭トラブルが原因だったと聞いたが、詳しい事情は今もわからない。

2人の子どもを育てながら、パートの仕事や家事に追われる母親は、幼い乃々花さんの目から見ても、精神的に不安定だった。

「たまに機嫌がいいときは楽しく会話もできたんですけれど、不安定なときが多くて、そうなるとひたすら機嫌が悪い。不機嫌な人が同じ空間にいるだけで、精神的に威圧されることってあるじゃないですか。あれがずっと続くんです。いまでいう『フキハラ(不機嫌ハラスメント)』みたいな感じです」

叩かれたり怒鳴られたりするわけではないので、文句も言えないし人に相談することもできない。日々、小さな痛みが積み重なっていく。乃々花さんはいつしか、母親のことを「精神的に頼れる存在」とは感じなくなり、「自分が母親を支えなければ」と思うようになっていた。

弟には軽い学習障害があり、母親の目はいつも弟に向いていた。乃々花さんはよく学校で賞状をもらったり、テストで100点を取ったりしていたが、一度もほめられたことがない。

一緒に住んでいた頃、乃々花さんは父親のことが大好きだった。でも離婚後は、母親も祖父母も、決して父親のことを口にしない。「もうお父さんの話はしちゃダメなんだな」と感じたし、「会いたい」とはとても言い出せなかった。

小学5年生の頃から、だんだん学校に行けなくなった。自意識が目覚めたのか、急に他人の目が気になり出し、ネガティブなことばかり考えてしまう。母親に相談しようとも思えず、ひとりでストレスを抱え込み、次第にパニック障害の発作に苦しむようになった。

「人によると思うんですけれど、私の場合はまず、鼓動がすごく大きく感じるんです。『なんかおかしい』っていう違和感があって、次に『これは何かの病気じゃないか、このまま死んじゃうんじゃないか』と怖くなる。すると今度は、本当に呼吸が荒くなり、頭が正常に働かなくなって『怖い、怖い、どうしよう助けて』という状態になっちゃうんです」

「あなたとは暮らせない」に、正直ほっとした理由

自傷行為を始めたのは、中学2年の頃だった。友達の真似をして腕を傷つけてみたところ、気分がちょっとやわらいだ。「母親にバレたら面倒なことになる」と思い、その後は太ももなど、服で隠れるところを切るようになった。

高校に入っても状況は変わらなかった。人付き合いが苦手で、周囲ともなじめない。病院で躁うつ病と診断され、処方された睡眠薬でオーバードーズをしたことも何度かある。

高校2年のときだ。学校を休み、家で一日過ごしたある夕方、「もうダメだ、死のう」と思い詰めた乃々花さんは、十数キロ先の海に徒歩で向かった。でも結局、死ねなかった。乃々花さんが家にいないと気づいた母親が学校に連絡し、警察の捜索で保護されたのだ。娘が死を考えるほど苦しんでいることを、母親はこのときようやく知ることになった。

数カ月後、今度は学校の近くにある立体駐車場の屋上から飛び降りようと、乃々花さんは思い立つ。このときも幸い実行には移さなかったが、学校では先生たちが異変に気づき、大騒ぎになっていた。結果、母親が呼び出され、保健室の先生と乃々花さんと、3人で話をすることになった。

「あなたとはもう暮らせない」。母親から告げられたのは、この面談のときだった。自殺未遂を繰り返す娘に対し、どうして接していいかわからなかったのだろうと乃々花さんは話す。以後、高校卒業までの約1年を、彼女は祖父母の家で暮らした。

母親から突き放されて、ショックだったよね? そう尋ねると、意外にも乃々花さんは「正直、ほっとした」と言う。

「本当は助けてほしい、でも自分の母親にはそれを望めない。理想と現実のギャップが、ずっと苦しかったんです。でも私がお母さんと一緒に暮らさなくなれば、その可能性にすがる必要がなくなる。だから、ほっとしました。これ以上、傷つかなくて済むから」

祖父母の家での暮らしは、穏やかだった。乃々花さんは祖父母にとてもかわいがってもらっていたし、彼女自身も祖父母に対しては、母親に抱くような「期待」をもっていなかったから、気持ちがラクだったのだ。

約1年後、乃々花さんは高校を卒業し、大学に入ったのを機に一人暮らしを始めた。

母親を「自分と同じ一人の人間」と見られるように

転機が訪れたのは、大学2年のときだった。乃々花さんはこの頃、原因不明の体調不良に見舞われる。胸痛、息苦しさ、めまい、頭痛。精神的にも、かつてなく不安定になった。

一人暮らしを続けられなくなり、やむを得ず実家に戻ると、また苦しい日々が始まった。母親との関係は、昔のまま変わらなかったからだ。「私、お母さんのことを全然信頼できていない」。乃々花さんはふと、そう気がついた。

ある日のことだった。体調がよかったので、ふらりと近所の図書館に立ち寄ったところ、親子関係の問題について書かれた一冊の本(『アダルトチルドレンと共依存』緒方明著 誠信書房)を見つけた。「自分とお母さんのことが書いてある」。読んだとき、そう感じた。

気がついたのは、こんなことだ。乃々花さんが母親を信頼できなかったように、長女だった母親も、自分の母(祖母)のことを信頼できなかったのだろう。だから母親も、乃々花さんと同じような関係しかつくれなかったのではないか。もしそうだとしたら、自分と母親は、ずっと同じ思いを味わってきた仲間なのかもしれない――。

「ちょっとこの本、読んでみて」。乃々花さんが母親に本を渡したところ、何か思うところがあったのか、母親はすぐに本を受け取った。「私も自分の母親のことを信頼できなかった。あなたには私のようになってほしくなかったけれど、結局は私も同じことをしてしまっていたんだね」。本を読んだあと、母親は乃々花さんにこう伝えたという。

以来、乃々花さんと母親の関係は、少しずつ温かいものに変わっていった。母親と自分は同じ痛みを味わってきた「同士」だと思ったら、かつては絶対的な存在だった母親が「自分と同じ一人の人間」に変わっていったのだ。

周囲の人たちとの関係も変わった

不思議なことに、母親との関係が安定すると、周囲の人たちとの関係も変わった。ずっと抱えてきた「他人への怯え」のようなものが、乃々花さんのなかから消えたからだ。

「たぶん、それまでもお母さんからの愛情はたくさん与えられていたのに、私が受け取ることをしていなかったんです。温かい言葉をかけてもらったことはないけれど、ご飯をつくってくれるとか、洗濯をしてくれるとか、そういうなかにも愛情はこもっていたことに気付くことができた。

人間って、自分が与えてもらったことしか、他の人に与えられないと思うんですけれど、私はそのときやっと、お母さんから愛情を受け取ることができた。だからそれを、他の人にも与えられるようになったんじゃないかな、と思っています」

自分は運がよかった、とも感じている。その後、母親も自分の母親である祖母との関係を変えようと働きかけたが、祖母は変わらなかった。自分の母親はたまたま変わってくれたけれど、世の中には変わらない親もたくさんいることを、乃々花さんは知っている。

つらかったあの頃があるから、いまの幸せがある。そう話す乃々花さんは、まだ20代なんだけれど、もっとずっと長く生きてきた人のように、ときどき感じられた。

本連載では、いろいろな形の家族や環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。周囲から「かわいそう」または「幸せそう」と思われていたけれど、実際は異なる思いを抱いていたという方。おおまかな内容を、こちらのフォームよりご連絡ください。

(大塚 玲子 : ジャーナリスト、編集者)