一時は自殺を考えたほどの彼女がハンディを克服できた理由とは(写真:grigvovan/PIXTA)

「学習障害」とは、端的にいえば読み書きの能力や算数の計算などに関する発達障害のことである。脳に神経障害があるため、健常者であれば無理なくこなせる読解や計算などが思うようにできないわけだ。

多くの人にとって、それはいまひとつ実感の持てないことかもしれない。だが現実的にそういう人もおり、ましてや特別なことでもない。健常者がいるのと同じように、学習障害を持つ人もいる。それだけのことだ。ただし、だとすれば学習障害について多くを知らない私たちは、少しでも知識をつける必要があるだろう。それこそが、本当の意味での多様性なのだから。

そういう意味で、『霧のなかのバーバラ 学習しょうがいを克服した女性の物語』(片山恭一著、文芸社)は学習障害について知るための格好のテキストになるかもしれない。なかなか理解されにくいこの障害を抱えながら育ち、苦難の末に克服し、自ら脳を鍛えるシステムを提唱し、「アロースミス・スクール」を確立した人物に焦点が当てられているからだ。1951年のカナダ・トロントで生まれた、バーバラ・アロースミス・ヤングという女性である。

日本で本書の出版を発案したのは、ディスレクシア(難読症)とADHD(注意欠如・多動性障害)を抱える子どもの父親であり、貧困者を救うマイクロファイナンス・プロジェクトを運営するオマール・カンディール氏。プロジェクトを進める過程で、『世界の中心で、愛をさけぶ』で知られる著者が執筆を担当することになったという経緯のようだ。

原因は脳にあったが…

バーバラは、生まれたときから身体が左右非対称だったのだという。のちに母親は「産科医に右足を引っ張られて出てきたんじゃないの?」と冗談めかして話したそうだが、実際に右足は左足より長く、骨盤は傾いていた。右腕は“妙な角度で”曲がったままで、まっすぐになることはなかった。さらに右目は左目よりも機敏で、背骨に歪みがあり、軽度の脊柱側彎症だった。

要するにバーバラの小さな身体は、生まれつき外見的にもいびつだったのだ。のちに彼女自身は、「身体の左半分が異国のような存在だった。生まれたときに脳卒中を患ったみたいだった」と振り返っている。これは重度の神経障害によるものであり、おそらく原因は脳にあった。(22ページより)

とはいえ、それが判明するのはずっと先のこと。したがって、バーバラは長きにわたって苦難の道を歩み続けることを避けられなかった。

たとえば彼女の書く文字や数字は、鏡に映したように反対向きになってしまった。6が9になったり、bがdになったり。書く方向も左から右ではなく、右から左だった。そんな子だったから小学校では、「自信不足」「質問に答えることに消極的」「読解力にも問題があるとの評価を受けることになった。

悲しいことに、どんなに頑張っても文字は反転してしまい、右から左に書いてしまうこともしばしばだった。失敗による無力さを感じた。不安とストレスで手のひらは汗まみれになる。その汗でインクの文字が滲むと、教師はこれを自分への反抗と捉え、さらに激昂した。子どもは文字を書くこと自体に怖れを抱くようになった。(26ページより)

「わかる」がわからない

学年が上がるごとに困難の度合いは増していき、先生からの評価も辛辣なものになっていった。「算数の問題を解く能力が極端に弱い。書くことは全体的に非常に遅く、不注意でだらしない。作文にはもっと注意深さが必要」。

親たちも、1人娘がほかの兄弟たちと違っていることに気づいていた。「この子はどこかバランスを欠いている。簡単なことができなかったり、わかって当然のことがわかっていなかったりする」と。

8年生(中学2年生)の時点で算数問題は解けるようになっていたが、答えを出すまでには多くの時間が必要だった。高校に入学するころには、概念的なものをうまく理解できないことが、彼女のなかでさらに明確化していった。推論したり、論理的に考えたりすることがまったくできなかったのだ。

新聞記事やテレビのニュースがわかる。この場合の「わかる」とは、その場で遅延なしに理解できるということだ。彼女には奇跡に近いくらい想定しがたいことだった。1つの記事を読んで、まず考えるのは「この人はいったい何が言いたいのだろう?」ということだった。5回、10回と読み返しても、完全に理解することはできなかった。(33ページより)

普通の会話では、天気以外の話は複雑すぎてついていけなかった。誰かが何かを言うと、その意味を理解するのに時間がかかり、いつもみんなから5歩くらい遅れて歩いているような感じだった。記憶力はよかったので、聞いた会話を頭のなかで何度でも再生することができ、そのうちようやく「こういうことかな?」とおぼろげに見当がついてくる。よし、自分も何か言って会話に加わろうと思ったときには、すでに話は先にいっていたり、とっくに終わっていたりした。(33ページより)

当時の状態を彼女は「厚い霧のなかにいるようだった」と述べており、思春期のころには自殺を考えるようにもなっていた。苦痛と疲弊、終わりのない困惑や葛藤に耐えきれなかったからだ。しかし実行してみても結局は未遂に終わり、自殺すらできない自分を責めた。

だが当時の高校の試験は暗記中心だったため、記憶力に恵まれたバーバラは、大学に進学するには充分な成績を収めることができた。学習困難に悩まされてきたにもかかわらず、大学進学のチャンスをつかんだのだった。

子どもたちから学んだこと

しかし当然ながら大学入学後も、“理解すべきことを理解できない”現実に悩まされた。後戻りはできないし、前に進むことも難しい。大学にも居場所はない。そんななか、また失敗したのではないかという不安にかられながらも栄養学を1年間学んだのち、彼女は専攻を児童科に変更した。


子どもが好きだったのも事実だが、本当の理由は別のところにあった。児童学の授業は暗記でなんとかなりそうなものが多く、栄養学よりも簡単に思えたのだ。しかしこの決断が、結果的には大きな意味を持つことになる。

以後、「未就学児研究室」と呼ばれる研究施設で、就学前の子どもたちを注意深く見守ることがバーバラの当面の仕事になった。彼女はこの仕事に夢中になり、マジック・ミラー越しに子どもたちの行動を観察してまとめた。そしてそのレポートによって、初めて先生に評価された。

自身に学習困難の体験があったため、子どもたちの行動の意味を理解する才能が身についていたのだ。したがってこの経験は、彼女を前向きにさせた。子どもたちの学習プロセスについてさらに知りたいと思い、大学院への進学を決意するのである。

進学先のトロント大学のオンタリオ州教育研究所(OISE)では、学校心理学(school psychology)を専攻する。これは行動障害や学習困難の診断や治療に、臨床心理学や教育心理学の原理を応用するというものだという。

この時期にバーバラは、脳には可塑性や順応性があることを知る。脳は鋼鉄の塊のようなものではなく、植物や木の根のように育っていくものなのだと。

豊かな環境と刺激を与えられれば、脳は成長する。適切なトレーニングを積み重ねれば、人間でもラットと同じように脳を変化させることができるはずだ。
バーバラには自分のやるべきことがわかった。脳を働かせ、脳を鍛えて、弱い部分を強化する方法を見つければいいのだ。(61ページより)

そこで彼女は自分を実験対象にし、起こってくる変化を観察することにした。

最初にやったことは、デジタル時計とアナログ時計をいくつも買い集めることだった。それを両手にはめて時計を読む練習をはじめた。まずアナログ時計が示す時間を読み、つぎにデジタル時計を見て正しいかどうかを確かめる。さらにフラッシュ・カードに時計の文字盤を描いたものでも練習した。(中略)
まともな研究者なら最初から問題にしなかったかもしれない。時計の文字盤を読むくらいで脳が変化するなら世話はないというわけだ。しかしバーバラは真剣だった。とりあえずほかに思いつくやり方もなかった。つづけて何時間も練習し、長いときは12時間にも及んだ。それを何日も繰り返した。(65〜66ページより)

26歳だった彼女は、時計の文字盤を読めるようになりたいという一心でそれを続けた。すると何週間か経ったころ、脳がゆっくりと変わりはじめた。読み返さなくても、一度で理解できるようになり、数学の概念も少しずつわかるようになってきたのだ。他人との会話にもついていけるようになり、友達や同僚の話も理解できるようになった。物心ついたときから“そういうこと”ができなかった彼女にとって、それは大きな出来事だった。

つまり、あたかも虚弱体質が強靭な体質に変わるかのように、彼女の脳は変わったのである。彼女は自分を実験台にした地道な練習を通じ、それを立証してみせたのだった。

自身の体験から彼女は以下のことを確信していた。

? 脳は変化する。
? その変化は植物が地下に根を張るようにして起こる。
? 脳のポテンシャルはほとんど無限である。
(88ページより)

「遅すぎる」ということはない

フラッシュ・カードに時計の文字盤を描いたもので、ひたすら時刻を読む練習をする――。バーバラが実践した手法はきわめてシンプルだ。しかし、そこから起きた変化は、数学の概念や論理の理解のほか、哲学書を読んで理解できるというような結果につながっていった。

数学や哲学が「わかる」ということを妨げている脳の領域に直接アプローチし、その機能を向上させることに成功したのだ。このエクササイズはのちに「アロースミス・プログラム」という知能訓練法として広く認知されることになる。

そして1980年、28歳だった彼女は自分が作った学習法を活用して「アロースミス・スクール」という学校を開設した。いうまでもなく、その目的は学習障害のある子どもたちを助けること。困難を抱えたこの脳がうまく働くようになることに焦点を合わせ、障害の根本的な原因に対処しようと考えたわけである。

バーバラには自分自身の体験から、学習困難は一生つづくものではないという確信があった。そしてトレーニングをはじめる時期に「遅すぎる」ということもない。現に彼女が自分の脳を鍛え始めたのは26歳のときだ。この年齢でもなお脳は可塑性をもっている。ということは、脳の変化は生涯にわたって起こる可能性がある。また改善された機能は、かなり長期間にわたって維持される。さらに一度獲得した機能を、その後も日常的に使いつづけることが刺激になり、脳にいい影響を与えつづけることも期待される。(88ページより)

彼女はそのことを、身をもって証明してみせたということだ。一時は自殺寸前にまで追い込まれながらも、「そこからなんとか抜け出したい」という思いを抱き続け、努力を重ねたから、その思いが画期的な結果につながっていったということなのだろう。本書が読者に強く訴えかけてくるのは、そうしたバックグラウンドがあるからにほかならない。

人間とはなにか

本書は当然ながら、バーバラの半生を伝えるために書かれたものである。だが著者によれば、目的はもうひとつあったのだという。そのことについての考えを引用してみよう。

この本を書くことで、学習障害という事案を通して「人間とは何か」を考えてみたいと思った。人間がもっているさまざまな能力、そのプラス面を増幅させることならAIにもできる。むしろAIのほうが遥かに見事にやってのけるだろう。AIの存在意義はそこにしかないと言ってもいい。人間はそういうものではない。マイナスから価値を引き出しうるのが人間である。マイナスが堆積してゼロになっても、なおそこに至高の価値を見出すことができる。(「あとがき」より)

すなわちここで著者は、“私たちが私たちとして生きる理由”を、バーバラの半生を通じて考えようとしているのである。ここに続く「いかにマイナスを輝かせるか、それが来るべき世界の価値になっていくだろう」という一文が強い説得力を感じさせるのは、きっとそのせいだ。