筆者がスポーツライターになった理由も、いまも相変わらず継続している理由も、その魅力に取り憑かれてしまったからに他ならない。
具体的に言えば、82年スペインW杯2次リーグ、ブラジル対イタリア戦を、バルセロナのサリア・スタジアムで観戦していなければ、いまの自分はなかった可能性がある。これまで夏冬併せて9大会取材している五輪も、現在の自分の血や肉になっている。いい思い出で溢れているが、スポーツライターと言いながらサッカーがメインになっている理由は、そのエンタメ性のマックス値が他の競技より断然、高いことにある。「当たり」の試合に遭遇したときの感激は、サッカーが断トツのナンバー1。その快感を追究しているうちに、この年齢に至ってしまった、という次第だ。
では、国立競技場で元日と4日に行われた2つのカップ戦決勝は、どれほどエンタメ性に溢れていたか。川崎フロンターレ対ガンバ大阪(天皇杯決勝)と柏レイソル対FC東京(ルヴァン・カップ決勝)だ。
新型コロナ感染者の数は急増。天皇杯決勝の前日(大晦日)には過去最多の1337人を記録していた。また、ルヴァン・カップ決勝当日の4日は、非常事態宣言を再度、発令する方向で検討中とのニュースが報じられていた。
のんびりサッカー観戦している場合ではない、医療体制がひっ迫する中で行われた試合だった。言い換えるならば、サッカーの魅力、スポーツの魅力を発信するには、またとないタイミングだった。「ファンや視聴者に勇気を与えたい」とは、スポーツ選手がよく口にする台詞だが、元日と4日に国立競技場で戦った選手たちに、その自覚はどれほどあっただろうか。
正直言って、いずれのカップ戦決勝も、高揚感を掻き立てる娯楽性に溢れた試合とは言えなかった。勇気をもらった観戦者はせいぜい、それぞれの勝者(=川崎と東京)のファンに限られたのではないか。
天皇杯決勝は昨季のJ1リーグ覇者対同2位の対戦で、ルヴァン・カップ決勝は6位対7位の対戦だった。試合のレベルは天皇杯の方が当然のことながら高かった。しかし、エンタメ性は試合のレベルの高い低いに特段、影響されない。試合のレベルが高くても、つまらない試合はいくらでもある。試合のレベルが低くても面白い試合はいくらでもある。歓迎すべきは試合のレベル、エンタメ性ともに高い試合。先述のブラジル対イタリアのような試合だ。こうした試合に遭遇すると、サッカーファンは辞められなくなる。
とりわけ、天皇杯決勝を戦った2チームには追究して欲しい姿勢だった。だが、宮本恒靖監督率いるG大阪は特に前半、そこで後方に人を多く並べる非プレッシングな守備的サッカーを実践した。
攻撃的サッカーで知られる川崎に対して、後ろで守るサッカーで対抗した。撃ち合うことを避け、じっと耐える作戦に出た。試合の噛み合わせを意図的に悪くし、そこに勝機を見いだそうとした。
それがベンチからの指示であることは、バックラインの枚数を見れば一目瞭然となる。4バックか5バックか。こればっかりは選手たちで勝手に決めることができない問題だ。天皇杯決勝のG大阪は特に前半、5バックで守ったわけだが、こうなると両者間における丁々発止の攻防は拝みにくくなる。試合のエンタメ性は自ずと低下する。一般的な視聴者を勇気づけるサッカーではなくなる。
天皇杯決勝は今回で100回を数える元日恒例の風物詩的なイベントだ。テレビでもNHK総合でバッチリ生中継される。視聴率がどれほどなのか定かではないが、Jリーグのクラブ同士の試合としては、リーグ戦より断然、注目度は高い。家の中で過ごすことが奨励された今回は、お茶の間観戦者の数も例年以上に多かったものと推測される。