戦国時代、その利発さを天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に見出され、彼の治世を支えた石田三成(いしだ みつなり)。秀吉の死後も豊臣家に対する忠義は変わらなかったものの、真面目すぎて融通が利かず、周囲と対立。そこをライバルの徳川家康(とくがわ いえやす)に付け込まれ、関ヶ原の合戦(慶長5・1600年)で敗死してしまうのでした。しかし三成の純粋すぎる不器用さを愛する者は多く、最近では単なる敗者としてではなく、天下