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集英社オンライン
佐藤 イスラム教では、ふつうに結婚するときにも離婚の条件を定めるんです。良家の子女と結婚するときには「ラクダ200頭と金100キログラム」みたいな高額に設定して、絶対に離婚できないようにしておくんですね。でも4番目の枠を「時間結婚」に使っていれば、戒律に違反せずにいくらでも性欲を満たすことができる。絶対に誰も履行できない厳しい規則をつくって全員を罪人にするキリスト教とは、戦略が大きく異なるわけです。
本村 しかし飲酒についてはキリスト教のほうが寛容ですよね。佐藤 キリスト教ではワインを飲みますからね。イスラム世界ではレバノンにだけ例外的に美味しいワインがありますが、あそこにはマロン派のキリスト教徒がいるんです。レバノン山中に隠れ住んでムスリムによる迫害から信仰を守ったんですね。いまはレバノンの主要宗派のひとつです。イスラム教が飲酒を禁止しているのは、もともと飲み方が半端じゃなかったからでしょう。私は中央アジアのキルギスに出張したことがあるんですが、反宗教闘争の一環としてイスラム圏にシャンパン工場やウォッカ工場をつくって、飲み会をしょっちゅうやっていたんです。「こんな勢いで酒を飲む人たちにイスラム教が飲酒を禁止したのは当たり前だな」と思いましたよ。自然に囲まれたアラアルチャ国立公園に当時の外務大臣だった渡辺美智雄と行ったときなんか、山道に数百メートルおきに設置されたベンチごとに、ウォッカのグラスが用意されていました。「これを飲まないと先には進まない」と飲酒を強要されるんです。でも大臣はいちいち全部飲んでいられないから、お供の外務省職員が代わりに飲み干す。途中でぶっ倒れて、救急搬送されましたね。そうしたら、当時のアカエフ大統領が「今日はいい酒だった」と満足そうに言うわけです。誰かが気絶するぐらい飲むのが「いい酒」なんです。それぐらい飲むから、イスラム教ができる前は、酒のせいで目に余るような害悪が日常的にあったんでしょうね。
本村 現実的な事情による教義なんですね。佐藤 それでもサウジアラビアあたりでは、いまでもみんなウイスキーなんかをけっこう飲んでいますよ。「コーランで禁止しているのはブドウでつくったアルコール製品だ。だからブランデーやワインはダメだけど、ウイスキーはいいんだよ」とか、勝手な理屈をつけて。あと、「コーランに書いてあるのは、酩酊してはいけないということだ」という言い訳も聞いたことがあります。本村 そういう話を聞くと、やはり「情欲をいだいて女を見てはいけない」というキリスト教のほうが禁欲的で厳しいという印象を受けますね。佐藤 だから本来なら、イスラム教のほうが広まりやすいんでしょう。それがうまくいかなかったのは、近代の資本主義と相性が良くなかったからです。イスラム教は、勤勉性をあまり評価しない。商人の宗教だから、勤勉に働いて富を蓄積するより、売り物を右から左に流してうまく儲けるやつが賢いということになるんです。本村 それを聞いて思い出した面白い話がありましてね。中東のあるところで、日本人が買い物をしたそうです。1000円ぐらいの定価がついていたので、そのとおり買おうとすると、「おまえ、なぜそのまま買うのだ」と言って、アラブの商人たちは売ってくれない。それで、とりあえずお茶でも飲んで値段を交渉しようと持ち掛けられる。すると話し合いながら、1000円だった品が600円でまとまったりする。「これで手を打とうじゃないか」と言われる。買い手は400円儲かったと思うわけです。一方で売り手は、もともと200円が原価だとして、600円で売れたので400円の儲けになります。買い手側も同じ400円の儲けでお互いに幸せな気分になる。そのアラブ人の考えではこのように売買が成立するのがいいのだというのです。そうした考えの土壌があるから、勤勉に働いて蓄積するだけだという近代における資本主義の発生、資本主義の精神がどうしても生まれにくかったのかもしれませんね。
本村 一方で、ユダヤ教とイスラム教にはある割礼が、キリスト教にはありませんね。佐藤 エルサレムの宗教会議で、割礼をめぐる有名な論争があったんですよね。本村 もともとは熱心なユダヤ教徒としてキリスト教を迫害していたパウロが、キリスト教に回心してから十数年後の会議ですね。佐藤 新約聖書のガラテヤ人への手紙では、この会議で、割礼を前提にすることなしに異邦人に福音を宣教する承認を得たとされています。要は、そこで「オチンチンの皮を切らなくてもメンバーにしていい」と考える人たちと、「やはり男性器先端の皮は切るべきだ」と考える人たちの折り合いがつかなかったから、棲み分けることにしたわけです。「切るべきだ」派はユダヤ人の世界で伝道し、パウロをはじめとする「切らなくてもいい」派はヘレニズム世界に行くことになりました。その後、「切るべきだ」派のキリスト教は全部なくなり、パウロ派だけが残ったので、いまのキリスト教には割礼がないんです。本村 つまり割礼がないのは、キリスト教そのものの特徴ではなく、パウロ派の特徴なんですね。佐藤 そうです。割礼の問題はいまでも重要で、たとえばロシア、ウクライナ、ベラルーシのユダヤ教徒の中には割礼をしない人がけっこういます。なぜか。ルーマニアのゲオルギュという作家の小説を原作にした『25時』という映画を見ると、それがわかります。ナチスが踏み込んだ先で、そこにいるのがユダヤ人かどうかをたしかめるために、パンツを下ろさせるシーンがあるんですよ。オチンチンの皮が剝けていると、割礼をしたユダヤ人と見なして殺しちゃう。その記憶がまだ残っているから、ナチスドイツが入ってきた地域では、ユダヤ人でも割礼しない人がいるんです。本村 身を守るために。
佐藤 そうです。ロシア人はほとんど包茎ですからね。だから、ロシアの大臣と一緒にサウナに入ったとき、ほかの日本人を見て小声で「佐藤さん、あいつはムスリムなのか?日本人だからユダヤ教徒ではないと思うが」と聞いてきました。「いや、あれは包茎手術を受けているんだ」と教えたら、「そんな手術があるのか。なんでそんな意味のないことをするんだ」と怪訝な顔をしてましたね(笑)。本村 日本では別の意味でなぜか重視されていますよね(笑)。スポーツ新聞なんか、毎日のように包茎手術の広告が載っている。佐藤 アントニオ猪木先生が1990年の湾岸戦争の際、イラクで人質にされた在留邦人を解放しに行きましたよね。あのとき在京イラク大使に「ムスリムになったほうがいいでしょうか」と相談したそうです。「そのほうがずっと人質解放の可能性が高まる」と言われてムスリムになったんですが、割礼については「包茎手術済みならそれでかまわない」と言われたんですって。だけど帰国後にこんどは「イスラム教をやめることはできますか」と聞いたら、「できます。ただしやめた場合は首を切ります」と言われたそうです。「佐藤さん、イスラム教は入るときはチンチンの皮を切られて、出るときは首を切られる」とおっしゃっていました。イスラム教の特徴を端的に表す印象的な言葉でしたね。本村 キリスト教もやめることはできないんでしょう?佐藤 イスラム教みたいに「やめたら首を切る」とは言っていませんが、脱会規定がありませんからね。これはキリスト教の怖いところです。日本共産党も創価学会もやめるための規定はありますが、キリスト教もイスラム教も、破門されることはあっても自分からやめることができない。これは任俠団体と近いですよね。任俠団体も、「盃(さかずき)を返すから堅気(かたぎ)になります」というのは非常に難しいでしょ。組そのものが解散することはありますが、やめることはなかなかできない。そういう意味でも、やはり近代とは相容れない原理でできている宗教なんですよ。写真/shutterstock
佐藤 優、本村 凌二
2024/1/31
1056円
232ページ
ISBN:978-4344987197
なぜ宗教は争いを生むのか? ウクライナのNATO加盟を巡る対立の裏でキリスト教内の宗教問題を抱える露・ウクライナ戦争に加え、ユダヤ教とイスラム教の確執が背景にあるイスラエル・ハマス戦争が勃発。日本では安倍元総理銃撃事件が起こるなど、人々の宗教への不信感は増す一方だ。宗教は本来、人を救うために生まれたはずなのに、なぜ暴力を正当化しようとするのか? 古代ローマ史研究の大家と国際事情に精通した神学者が宗教に関する謎について徹底討論。宗教が人間を幸福にするのに何が必要かがわかる一冊。