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王さん 今回の研究では、奨学金負債が家族形成(結婚のタイミング、子どもの数)に与える影響を検証しました。とりわけ2年制高等教育(短大等)を受けた女性では、奨学金を受給したグループは受給していないグループに比べ、結婚のタイミングが遅く、子どもの数が少ない結果がはっきり出ています。ただし、男性ではなく、女性の家族形成に負の影響を与える理由に関しては、関連情報のデータ欠如のため、検証できていません。女性の低賃金、大卒女性と短大卒女性との賃金差、既婚女性への家事育児負担の集中などは、日本社会の実態を考慮した推測に留まります。
――分析データで、具体的に女性の子どもの少なさ、結婚のタイミングの遅さでは、どのくらいの差がローン返済者と非ローン返済者との間で生じているのですか。
王さん 対象者の年齢は20〜49歳です。貸与奨学金を受給した女性のもつ子ども数の平均値は0.52人で、受給しなかった女性のもつ子ども数の平均値は0.82人です。未婚確率(結婚のタイミング)の差は時期によって異なりますが、35歳前後では、奨学金を受給した女性の未婚率は受給しなかった女性と比べ、約13%高いです。もちろん、平均値はデータの偏りに影響される可能性があります。しかし、今回の研究では「多変量回帰分析モデル」という、ビジネス分野における将来の売上予想や、医療分野における治療効果予想などで利用され、他国でも奨学金の研究で用いられている標準的分析方法を使いました。その分析で、貸与奨学金の受給の有無が統計学的に有意な差をもたらしているという結果が出たことが、もっと重要だと理解しています。
――つまり、貸与奨学金が女性のその後の人生に負の影響を与えていることが観察されたということですね。ところで、米国では奨学金負債者の急増に関連して、多くの実証研究を発表されているとありますが、米国では、今回のように男子学生と女子学生の人生に明確な影響の差が出た研究はありますか。それとも、日本独特の結果といえるのでしょうか。
王さん 米国では奨学金負債の影響に関し、多くの先行研究が蓄積されてきました。結婚と出産への影響でも男女の違いが検証されていますが、結論はさまざまで、一致するとは限りません。たとえば、結婚に関しては、こんな研究結果が示されています。「学生ローン負債は結婚確率に負の影響を与える」(Stone&Horn 2012;Gicheva 2013&2016; Bozick&Estacion 2014; Addo 2014)。「結婚確率には関連しない」(Zhang、2013)。「結婚の満足度に影響を与える」(Dew、2008)。このうち、「Gicheva 2013&2016」、「Bozick & Estacion2014」 、「Addo2014」の研究では、奨学金負債はとりわけ女性の結婚を遅らせると結論づけています。一方、出生に関連してもこんな研究があります。「子ども数を下げ、出生率を下げる」(Nau&Dwyer&Hodson、2015)。「出生への影響は、親の性別人種別によって異なる」(Min&Taylor、2018)。米国では、性別だけでなく、人種別の影響調査も行われているのです。
――なるほど、米国でもそうなのですか。奨学金受給の負債の影響力は、けっこう大きいのですね。ところで、研究リポートで、「奨学金制度の設計では、家族形成への影響を配慮する必要がある」と訴えていますが、具体的に奨学金制度をどう改革したらよいと考えていますか。
王さん 本研究の分析結果から、ただちに男女別に奨学金受給の選考基準をつくる検討にはつながらないと考えています。奨学金返済の改善策について、各国でも工夫が進み、米国では学生ローンの一部返済免除や、ハンガリーでは高学歴女性の出産を促すための学生ローン返済減免が知られています。なによりも政府は、貸与型奨学金は受給者のその後の人生にさまざまな影響を与えうるという認識を共有すべきです。そしてそれを前提に、政府の責任で、貸与奨学金受給者と非受給者を比較できる、十分なサンプル数と多くの情報を確保したナショナルデータを収集し、貸与奨学金が若者のライフスタイル全般に与える影響を検証する研究をオープンに推進する必要があります。少子化に苦しむ日本社会では、奨学金負債が若い世代の結婚、出産に与える影響の検証は待ったなしです。
――今回の研究リポートのことで、特に強調しておきたいことがありますか。
王さん 私たちの研究はナショナルデータを用いたものの、サンプルサイズが大きくありません。また、奨学金と家族形成の間の因果関係を厳格に立証するには情報が不足しています。さらに検証する必要があります。男女差の原因を究明するには、貸与奨学金の受給の有無や返済状況、学生時代の成績、アルバイト経験、卒業後の就業状況のほか、年収、初婚年齢、子どもの数、家事に費やす時間などを数年ごとに把握し、若い世代のライフスタイルを動態的に捉え、男女別に比較研究を行う必要があります。研究グループでは、これからも調査を続け、奨学金政策がもたらす効果や長期的な影響の究明に貢献することを目指します。
(J-CASTニュースBiz編集部 福田和郎)
【プロフィール】王 杰(ワン・ジェ) 通称名:王 傑(おう・けつ)慶應義塾大学経済学部経済研究所特任講師お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。専門は教育社会学。中国・清華大学外国語学部助教・専任講師、お茶の水女子大学リサーチフェロー・特任講師、学術振興会特別研究員(RPD)、東京大学特任研究員などを経て現職。主な著書に『中国高等教育の拡大と教育機会の変容』(東信堂、2008年)。共著に『教育機会均等への挑戦―授業料と奨学金の8か国比較』(東信堂、2012年)、『平等の教育社会学―現代教育の診断と処方箋』(勁草書房、2019年)など。