PK戦を見るのは身体に悪いと、イビチャ・オシムは自ら指揮を執った2007年アジアカップで起きたPK戦さえ、実際に見なかった。開始前にロッカールームに引き上げてしまったその姿勢を非難する人は多くいたが、筆者はオシムのような人がいても不思議はないと半分以上、納得する。
PK戦を積極的に見たいとは思わないクチなのだ。サッカーのプレーそのものに比べると、全く興味を覚えない。ドラマ性は確かにあるし、感激、感動もするが、本題とは別モノだ。サッカー的ではない。サッカーの香りがしないのだ。PK戦はあくまでも抽選クジの代用品。評論は可能な限り避けている。だが遭遇率は5割に及ぶ。この現実をどう捉えるか。
とは言っても、PK戦が発生するのはトーナメント戦に限られる。リーグ戦には存在しない。極論するならば、世の中の試合がすべてリーグ戦形式で行われるならPK戦は要らなくなる。
今大会、準々決勝まで60試合が行われているが、最も多いのが1点差の試合(2-1、1-0、3-2)だ。23試合を数える。続いて多いのが2点差(2-0、3-1、4-2)の試合で、15試合。3番目が 同点(0-0、1-1、2-2、3-3)に終わった試合で、14試合となる。
パーセンテージにすれば、1点差が38.3%、2点差が25%、同点が23.3%、3点差となると0.83%に激減し、4点差以上は0.5%となる。
同点あるいは1点差に終わった接戦は、全体の61.6%を占める。サッカーは基本的に接戦であるという競技性が、この数字から鮮明になる。トーナメントで優劣を競えばPKが多発するのは当然。PKも実力のうちと言い出す人は一定数存在するが、筆者は先述の通り、それはサッカー性から外れたものだと認識する。一番手のキッカーに、試合中全く活躍できていなかった南野拓実が登場すれば、それは心配になるが、そこまで苦言を呈す余裕は筆者にはない。PKのキックの質を高めよという声にも、そうだと素直に乗っかることができずにいる。
それはともかく、1点差以内の試合が61.6%を占めるサッカーの特性と相性がいいのはリーグ戦で、トーナメント戦ではないことは明白だ。野球はそこまで接戦ではない。昨季のペナントレースに目をやれば、各球団143試合戦って、引き分け数はわずか平均2〜3試合だ。野球はトーナメント戦との相性がサッカーより何倍もいい。競技の特性と高い親和性がある。甲子園の高校野球がトーナメント制で行われることは、サッカーの高校選手権がトーナメント制で行われることより、遙かに必然性がある。
サッカー行事はなぜ、競技の特性と親和性が高いリーグ戦ではなく、そうではないトーナメント戦で行われるのか。答えは分かりやすい。短期間で済むからだ。期間限定での開催となるイベント性を優先すれば、どうしてもそこにしわ寄せが行く。
サッカーのW杯も、筆者が初めて取材に出かけた1982年大会までは16チームで開催されていて、2次リーグを行う余裕があった。トーナメントは準決勝と決勝に限られていた。本大会出場国は1986年から24チーム、1998年から32チームに増えた。次回2026年大会からは48チームに増えるのだという。48チームを32チームに絞るところまでをリーグ戦で行い、そこからは、あらかじめ山組が決まっているトーナメント制で、一気に日程を消化するのだという。期間は32チームで争われたこれまで同様、およそ1ヶ月だ。PK戦は今大会の発生率がこれまでの12試合で4試合(3割3分3厘)なので、次回の32試合では10試合を超えるだろう。