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その日、私は、Googleplex(Google米国本社)にいた。そこは、エンジニアやIT起業家の聖地のような場所。その聖地に、当時のGoogle Japan 代表の村上憲郎さんをはじめ、日本から10人ほど集っていた。目的は、GoogleのCEO(当時)、エリック・シュミットや、創業者のラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンなど本社役員たちに、Google Japan の経営方針や営業戦略をプレゼンすることだった。
当時の私は、Google Japan の営業戦略を構築する仕事をしていた。年間計画と四半期ごとの計画を立てて、多くの人の協力のもと、その計画を遂行していく。もちろん、一人で立案する訳ではなく、ほかの部門のシニアマネジャーと一緒に作っていく。なので、私の仕事は、各シニアマネジャーの取りまとめ役、あるいは、調整役といった面も強かった。
ラリーとセルゲイ
Google米国本社に乗り込み、いよいよプレゼンという日。もちろん、とても緊張していた。ギリギリまで資料の修正を行っていた記憶がある。そのとき、上司から「きょうは、ラリーとセルゲイも出るらしいよ」と聞かされた。
エリック・シュミットはGoogle Japan オフィスに何度か訪問していたので、握手もしたことがあったし、挨拶程度の会話をしたこともあった。だが、ラリーとセルゲイははじめてだった。いや、正確には、Google本社のキャンパスですれ違ったこともあったし、Google社内イベントなどでスピーチしている姿は見たことがあった。でも、同じ会議に出席するのは、はじめてだ。しかも、こちらのプレゼンを聞いてもらうのだから、緊張は120%を超えていた。
指定された会議室に入ると、部屋の奥の窓側の方にエリック、ラリー、セルゲイの3人が座って待っていた。ほかの米国本社役員もいて10人弱が座っていたと思う。
村上さんが英語で軽く挨拶し、プレゼンは始まった。たしか、持ち時間は1時間。40分程度で村上さんのプレゼンは終了。その間、少し質問があったように思うが、基本的にスムーズに最後まで終わった。そして、質疑応答の時間がやってきた。質問の多くはエリックが行っていて、私自身も、何かの質問に対して補足説明で1回だけ発言した。ただ、自分がどんな発言をしたのか、いまとはなっては覚えていない。というよりも、自分の発言だけではなく、エリックをはじめ米国本社役員たちからの質問がどんなものだったのか、具体的にはまったく覚えていないのだ。それぐらい、緊張していたのだと思う。
だが、時代は変わった
そのとき、創業者のラリーとセルゲイは、比較的黙って聞いていた。いや、たしかに、黙っていたのだが、彼らは、足を投げ出す格好でイスに座り、携帯電話を片手に、ずーっと下を向いて、いじっていた。私は内心、「プレゼンしている村上さんに失礼だろう」と思った。
しかし、アメリカ的感覚では、それでOKなのだ。リラックスしていると表現できる。超緊張する自分、一方で、超リラックスした創業者たち。もちろん、彼らはまだ若かった、その方がクールにみえる。ある意味で、ヤンチャであり、無邪気であり、悪意はまったくない。「失礼」など彼らの辞書には存在しないのだ。
この無邪気な青年起業家たちも、いまでは、いい年になった。それとともに、社会の目も厳しくなったように思う。昔はよかった。20代の若者が創業したベンチャー企業・Googleの振る舞い、既成概念や権力を物ともせず、革新的なプロダクトを生み出し、社会を活性化する。そのことを社会が許容し、暖かく見守っていた。
だが、明らかに、時代は変わったようだ。
高まるGoogle批判
昨年の5月25日、GDPRが施行された。その日、私はヨーロッパにいた。そのヨーロッパで、「そこまで言うか!」と思うほど、Googleへの批判を聞かされた。
「GoogleやFacebookなどは、個人情報を勝手に使って利益をあげている」「GoogleやFacebookなどは、租税回避地を使って税金を真っ当に支払っていない」「彼らは、市民社会の敵だ」「彼らは、健全な社会の構成員ではない」「彼らは、ほかのメディア企業のコンテンツを使ったビジネスをしている、つまり、フリーライダーであり、搾取だ」などなど。
私が元Googleの社員だったと告げると、畳み掛けるように、責めてきた。私は、まるで、夏の虫が自ら火に飛び込むように、反論していた。
「Googleの社員には、悪意はない。クッキーなどで収集した個人情報は利便性を高める目的で使っている」「国際的な租税法の枠組みによって、税金は合法的に処理している」「ほかのニュースメディア企業などにも、Googleから大量のアクセスを供給してビジネスを助けている」などなど。
だが、途中であきらめた。いくら私が反論しても、大きな潮流は変えられないと感じた。そして、この流れが日本に来るのは時間の問題だと確信した。
個人情報保護の流れ
GDPRとは、「個人データに関する自然人の保護および同データの自由な移動に関する規則」だ(Wikipediaより)。ネット上の個人情報や個人データを保護するという流れ、それは日本にもやってくる。
「三菱UFJ信託銀行がデータ流通ビジネス『情報銀行』に参入する理由」や「電通が『個人データ銀行』 企業の販促に活用」などの記事でわかるが、日本では「情報銀行」ビジネスが活発化している。この背景には、ヨーロッパのGDPRの影響があり、そして、個人情報や個人データには金銭的価値があり、その主導権は個人が持つべきだ、という思想がある。
また、プラットフォーマーを規制するトレンドも、勢いを増している。「EU、ネット大手に新規制 グーグル・アマゾンなど対象」というヨーロッパからのバトンをリレーするように、日本でも「個人情報にも独禁法 IT大手規制へ政府が基本原則」という記事が出て、すでに規制に向けて動き出したようだ。記事によれば、「個人情報などのデータを『金銭と同じ価値』があるとみなして独占禁止法の運用範囲に事実上含め、企業から個人への『優越的地位の乱用』の適用を検討する」とのことだ。これは、個人情報やデータに対する価値観を、法的に大きく転換することになり得る。
ITプラットフォーマーへの規制は、直接的に課税する動きにも発展してしまった。「欧州、デジタル課税の波」という記事にあるとおり、イギリスに続いてフランスも、大手IT企業に対する「デジタル課税」を導入すると発表したとのことだ。「ネット広告、個人情報の販売などに課税したい」と、ルメール仏経済・財務相は語っている。
警鐘を鳴らすWebの父
あるいは、「リンク税」「コンテンツフィルター」と呼ばれている著作権法改正もある。いわゆる、ネット上の著作権侵害コンテンツの排除と、著作権者に対する適切な報酬の分配を掲げた戦いが、活発になっている。
これは、あきらかに、GoogleやYouTubeのビジネスモデルの根底を揺さぶるものだ。もちろん、「EU著作権改正:『リンク税』と『コンテンツフィルター』は、本当に機能するのか?」という記事で、朝日新聞記者の平和博氏が指摘するとおり、うまく機能するかどうかは、まだわからない。しかし、Googleにとって看過できないトレンドであることは間違いないだろう。
そして、極め付けは、www(World Wide Web)を考案したティム・バーナーズ=リーまでも、敵に回してしまったようだ。
「Webの父、ティム・バーナーズ=リーがインターネットの未来に警鐘を鳴らす」の記事によれば、バーナーズ=リーは、「個人情報を管理しきれていない」ことや「誤った情報が簡単に広まってしまう」ことなど、現在のインターネットの憂慮すべき欠点に言及しつつ、「FacebookやGoogleといった『インターネットの巨人』たちがフェイクニュースなどに対し、より毅然とした態度で臨むこと」という表現で、ネットのプラットフォーマーに対して批判的な発言をしている。
GAFAは過去完了形
ここまで見たように、Googleには、激しい逆風が吹き始めている。だが、一方で、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』という本がベストセラーになり、世の中を震撼させている。GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)は、まだまだ、世界を支配し続けると考える人が多いのも確かだ。
ただ、この本を読んで私が感じたのは、「これは一般の読者向けの本だ」ということだ。つまり、ネット業界にいる人間にとっては、ほとんど新しい学びはないのではないか、と思った。そして、気になったのは、この本のテーマだ。 「GAFAはなぜ、これほどの力を得たのか」「GAFAは世界をどう支配し、どう創り変えたのか」「GAFAが創り変えた世界で、僕たちはどう生きるか」という3大テーマを、この本は掲げている。これは、要するに、完了形なのだ。これほど力を得て世界を支配したという過去完了形だ。もちろん、現在も、いまのところは、そうなっている。だが、どうしても、過去の話をしている印象が強い。
相場の格言に、「噂で買え、ニュースで売れ」というのがある。テレビや新聞などの一般のメディアでニュースになる情報で、相場の取引をしても勝てないという意味だ。つまり、一般人にその情報が普及した場合、その情報に依存してビジネスをするのは危険だ。ビジネスとは、先手が基本である。ビジネスは「先手先手と働きかけていくもので、受け身でやるものではない」はずだ。一般人よりも先を行かなければならない。
そう考えると、このGAFAの本が売れていること自体が、危険な兆候である。もちろん、私は、急激にGoogleのビジネスが悪化するとは予想しない。しかし、今後、10年先、20年先を考えたときに、明るい展望があるのだろうかと思う。
創業者ふたりの思惑
創業者のラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンは2015年、Alphabet Inc.(アルファベット)を持ち株会社として設立、そっちへ移ってしまった。Googleのビジネスは他の人に任せて、自分たちは自動運転自動車や人工知能領域など、今後の成長が見込める分野に注力するということだろう。
私は、ラリーとセルゲイがアルファベットを設立したとき、大企業になってしまったGoogleは、彼らのベンチャーマインドに合わない存在になったのだと思った。無邪気でヤンチャな彼らは、もっと面白くて成長性の高い分野に軸足を移したくなったのではないか、と。
そして、もしかしたら、Amazonのジェフ・ベゾスと同じことを考えているかもしれない。つまり、いつかGoogleも潰れるかもしれないと。「アマゾンは大きすぎて潰せない存在ではない。実際、私はいつかアマゾンは潰れると考えている」とジェフ・ベゾスは発言したらしい(参考記事)。
「盛者必衰の理」
25年ほど前、私の学生時代、テレビや新聞などのマスメディアは「第4の権力」と呼ばれ、もてはやされていた。いまや、新聞の読者数は大きく落ち込み、広告売上も当時の3分の1ほどに減少した。テレビの視聴率も低下の一途を辿り、広告売上も復活の兆しはまったくない。
隆盛を極めたものが凋落するのは世の常だ。「驕れる者は久しからず。 盛者必衰の理をあらわす」。我々ネット業界にいる人間は、少なくとも驕ることなく、謙虚に愚直に仕事をしていく時期が到来したのではないか、と思う。
Written by 有園雄一
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