中世における言語哲学と唯名論(代表理論について)
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r‐ 、_,,.. ..,,_
{/´ r‐ 、 `丶 どうもお久しぶりです、
/ |:.:.:.:ヽ ,_
/ ヽ:.:.:.:} fハ l:.:l ファイアフォール切っても履歴を消しても
{ `¨´ ヒノ l:.ノ
r-、 ' ,' _,/ 日常様が見れないミジュニキでござい。
{ \, - 、 /
', ヽ }⌒ヽ. /
∧ / Y´ さて今回扱うのは中世哲学と唯名論の議論、
/ 丶- ' [l|
, lノ そして代表理論と呼ばれる枠組みだ。
{ /
/⌒} /_
/.:.:.:.:.:/ーr-‐ '´:.:.:.:.:) 基本的にここらへんの話はいわゆる「普遍論争」と
〈:.:.:.:.:./  ̄ ̄ ̄
`¨´ 呼ばれている分野で、なかなかに面白い。
, ―- 、_,,.. - ..,,_
/.:.; ´ `丶 _ だけどその分前提知識がガッチリしていたり、
l/ {:.:.:.`丶
/ __ _ l:.:.:.:.:.:.:} 細かく議論が分かれていたりと何かと大変なのだ
_ ____ `⌒ヾ/´: : : :`丶 丶:.:.:.:/
ノ `) , {: : : : : : : :} /{_x `Y
└、 ̄ ̄l ̄ ヽ:_: : : :_ノ {:::::ノ ,' というわけで中世哲学、つまり教会で行われていた
{_ ヽ-┐ ' /\ ̄ , /
、 \ }ノ /⌒\ ⌒\} , ' / スコラ哲学において自明なものとされる前提知識の
\ }.ノ―{ _ }_ , -‐-、/⌒\ /
、__ }ノ / ` ) 導入から始めることにする。
丿_ノ / /´ ̄`\
.
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r, -‐- 、_
/0 〇 0 Y 「あーーー大山行きたいーーソフトクリーム食べたい―」
.(∴へ∴.ノ
⊂,~^ー^~ろ 「そーいえばあの地域電車走っとるんか?(山陰への地獄みたいな偏見)」
( ◇ .ヒつ
ひ⌒び
..::::..、 '"´ ̄ ̄ ̄`丶、
/::::/ r::::....、
{〃 {:::::::::::ヽ みたいなことは日常会話で聞いてもおかしくないだろう
/ ヽ:::::::::::}
/ \_ノ
{ | 通常、言語学的なことを踏まえれば各それぞれの単語に
' /⌒ヽ , -―- 、 , -‐-、 }
、 , { : : : : : } , ヽ / 大山…鳥取の独立峰
\ , ' 、_ー--‐'_ , ' /
i>'⌒ヽV ̄ ̄V }, --、/⌒Y ソフトクリーム…白くて冷たくて甘いやつ
, へ、 l ヽ _// ノ
/ /  ̄ ̄´ /⌒ 丶、 みたいに意味が割り当てられて、 (意味論)
く _ ' , -‐- 、 { \- 、
 ̄{ く / / ヽ 丶 ___ ノ::::::\
', ヽ {_,/ }:::::::::::::::::::::::::::::ノ 同時にそれらを繋ぐ文法規則が正常に機能していることで (統語論)
ヽ く_.〉 /:::::::::::_,, -‐'´
/ \ /l  ̄ ̄ 会話を成り立たせることができると説明できるだろう
.
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_,. -――- .._
, -――ァ'´ ` 、―- 、 で、ここで哲学者が大体興味を持つのは
.::::::::::::::/ \:::::::.
|:::::::::::/ ヽ:::|
、:::::::/ V 『単語(語)の意味しているものとは一体なんなのか?』
/¨´ j| >、 _,ノ ',
{ u 〃:しf , -―- 、 fしハ }
', {:::::::::| /: : : : : : : :ヽ |::::::::} ' というどこから手を付ければいいのか、というかそもそもそれは意味ある問いになるのか、…
', 乂.ン ヽ: : : : : : : :/ 乂ン /
ヽ ・ ・ ` ー一' ・ ・ / というツッコミを四方八方からなされること不可避な問いだが哲学の世界では長く議論されてきた
r――-\ ・ / ^ヽ ・ /
ヽ { `Y" ̄`\  ̄ ̄/ ̄`ヽく )
\ ゝ._ ゝ 丶-- ' -┴ ヽ
\ / く } そんななか近年とある思考実験やそれによる問題*を解決するために
∨ ___ \ ___,ノ
_;' /l l\ ' 「何らかの形で言語は自身の外側にある実在物と関係を持たなければならない」
/:::::::{ / { } ヽ |
く::::::::::::::, ヽ _} {_ / , という驚愕の共通認識が英語圏を中心に広がりつつある…
\::::::::、 く ___> /
 ̄´>、 〃
/:::::::丶. /:、 …ていうのは流石に冗談で、そのくらいの共通認識はたぶん一部例外除いて持ってた…たぶん
/:/::::::::::/ ` ー--‐= T"´:::::::::\
{:/:::::::/::::/ l:::::',::::::',:::::} 古くから哲学ではこの 「何らかの形で」 という部分について様々な議論がなされたわけだな!
丶 __/_ノ 、._.}._}.ノ
*『中国語の部屋』という思考実験とその定式化『記号接地問題』のこと。本題ではないので飛ばす
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, -―――‐- 、 __
_ ,/ `丶//∧ で、そんな中問題となってきたのは単語の中に
/'// ノヽ/|
{ /// 、 ∠)ハ ヾ 本当に実在物を意味しているのか疑わしいものがあるという事実だ
V// /:(_>、 , -―- 、 {:i;;;;}:::} ',
V ハ:{;;;;ノ} / } V::::::ノ l
| 乂::::ノ ヽ ___ ,ノ | そうした直接的には実在物ではないものを概念とスコラ哲学*では呼んでいて、
l , , , へ、 ' ' ,
', , / \ ' / 例えば 「赤は色である」 の「赤」は実在する林檎とかから知性が取り出した概念で
ヽ、 _ // ̄ ̄`ヽ -- 、 ∠、
>‐-、//⌒l| | l⌒\) ) 「色」はさらに「赤」のような概念から取り出した二次的概念という風に、
〈 / || | | ヽ/
\ / 八 ノ人 } てな感じで概念は実在物の抽象によって得られるとされていた*
*「実在物から抽象を経て概念へ~」みたいな枠組み自体はアリストテレスやそれ以前の哲学者に見られる…というか世界全域で見られるというか
こうした実在物から抽象して概念を作るみたいな考え方は、自然言語のベクトル化や分布意味論の成功によって、もはや自明のものになりつつある。
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_,. -――- .._
, -― ァ'"´ `丶-- 、
/: : : /、 u {: : : :\ そうやってスコラ哲学ではどの言葉が実在物に相当して、
|: :/ ,.ニ\_ ___ 、___, ヽ: : : : }
{:/ /::しl! /: : : : : : :ヽ /しハ \_:/ どの言葉が概念、二次的概念に相当するのかを分類しようとした。
/ 乂__ノ {: : : : : : : : :} 乂__ノ ',
{ , , 丶 ----‐ ' , , U }
| , ______ , , そこで哲学者達は気付いた
', /V V\ u /
ヽ、 \__ ---- 、 〉 /
/´ ̄ `ヽ  ̄ , -、./ 「あれ!?文脈によって同じ単語でも、全く違う種類の事柄意味してまうやんけ!」
/ /- 、 /´ ̄`ヽ )  ̄`丶
{ / ヽ--/ / \
丶 _.イ イ ) そう言葉ってのは綺麗にカテゴリーを分けられるわけじゃないのだ!
/ 丶┬―=ニ二´
.
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_ , -――- . , ,
/::::/ `ヽ ////, , , , , 少しギャグ風味で書いてるけども、実は中世キリスト教社会においては
{::/ r‐-、 /////////,
/ {:::::::::〉 //////////, とってもやばい気付きだったりする。
, \_/ /////////////
{ }:Tj「, -―- 、 | ////////////,
八 ゞノ{: : : : : : } }Tj:「 八 /////////// というのも中世キリスト教社会では、聖書解釈によって教会法を決めたり
>、'' ヽ:_:_:_:ノ ,,ゞノ /::::::ヽ ///////
\⌒ヽ cっ , -- 、 _/}::::::::::::/ //// ' 統治の在り方に影響を及ぼせたりしたのだから、
/^\ }ー-/ _,ノ:::::::/ ////
_ { l /⌒} ヽ:::/ ///// バチカン教会にとって都合のいいように聖書は読ませなければならない。*
/{::{\. | / / }' ///////
八:::::::::::ヽJ {__,/, - 〈 /////
\::::::::} /::/:/} /// そのためにスコラ哲学者は同じ単語が別のカテゴリーを表す現象について考える必要があった
`¨⌒ ー―{::::::::::/ / '
`¨¨´
*ここらへんの事情は色んな著作に書いてあった記憶がありますが、個人的にはあんまり覚えてないので説明とかは無理。
哲学と教会の関係を知りたいのであれば山内志朗『普遍論争』やアダムタカハシ『哲学者たちの天球』だったりを読むと良いかもしれない
_,. -――- .、_
, ´ {: : : :`ヽ 結論から言うとこの問題は解決できないまま修道院制度の問題やら
_/ \: : : : |
// ___ \;_ノ 宗教改革やらなんやらで忘れ去られてしまうことになる。
|:/ /´ ̄`ヽ 〃⌒ヾ ヽ
/ , =、 / ノ ゞ==彡 |
l li liゝ __/ ' , | そんなわけで言葉のカテゴリー解釈の方法が大体2つか3つくらいに集約される
| ミ='", ーァ―- 、 , '
, ' , // | / という「代表理論」が完成して、そこからの進展はあんまりなかった。
丶 V , -― 、 _ /
r― 、 /\/⌒\ ___/ \ `ヽ
ヽ { / } { , ´ ̄ ̄ ̄ ̄`} でも代表理論の面白いところはその成立過程で
\ ゝ / /
\/ { / 「3つ派閥」と「2つ派閥」が互いに死闘を繰り広げたことにあって、
/ . ィ  ̄ `> 、 \ /
/ / | / } `T´ その影響が後の宗教改革に繋がっていることだ。
.
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, -――一ァー―‐- .
/: : : : : : / `丶 では3つ派閥の視点から見ていこう。
{: : : : / `丶
/⌒ヽ‐'´ /´ ̄`ヽ \- 、
/ ヽ " l , -―- 、 ',: :} 彼らが言うには
/ V ・ /: : : : : : :\ ∨
,' V ・ {:: : : : : : : : :}- 、l 言葉はそれ自身と文脈の作用によって、何らかしらを代表する
| ', ・ ヽ::::::::: : : : / l|
| l /\ 丶--‐'´・ | そしてそれらは以下のように分類される
| | | 丶 _ ・;
‘. jー- 、 l > /
/ ∧ ' ヽ ヽ _,/ ・/ 質料的代表…記号それ自身の構造を代表する
{ ハ / | /
ヽ、 \ / j _,. イノ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `) 単純代表…普遍的な事柄を代表する
`T `¨¨´ /ー---‐=ニ´ /\ /
| _/ \ / 個体的代表…個物としての事柄を代表する
| \‐'´
, -‐ 、 _,,.. ..,,_
/::::::::; '"´ `丶、 例えば単語 「電車」 で次の3つの文について考えてみよう
{:::/ \
〃 , -- 、
/ 〈::::::::::::::::ヽ ①「電車は漢字二つからなる」
' ヽ::::::::::::/
; \_ノl ②「電車は近代に登場した乗り物だ」
| 〃ハ ; . - 、
' |し::;} _ //:::::::::::::::\ ③「電車が鳥取を走っている」
Vン/: : : : `ヽ 〃ハ //::::::::::::::::::::::::ノ
丶 {: : : : : : : :} |し::;} /- 、:::::::::::::::/
ヽ\: : : : :ノ , ∨ソ , / `丶/ ①に関しては「電車」という記号それ自体について述べているので質料的代表となる
丶. ̄ , . 〈 )
{≧=ー-----‐='' ´ 丶--rr―一' ②に関しては電車一般の性質について普遍的に述べているので単純代表となる
V´{  ̄` >、 |_
丶l { ヽ /::::ヽ ③に関しては実際に鳥取を走っている実在する電車について述べてるので個体的代表となる
_\ ヽ _ノ /:::::::::: ',
/:, -:::::::::{≧ニ´___,. '´ |:::l::::|::::}
V:::::/:::::::/ 八::{::::{::ノ これらの区分によって言葉の機能が説明できるというのが3つ派閥だ
丶---‐' `~¨´
.
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_,,.. ..,,_
, -‐ ァ'"´ `丶ー- 、 これに対して2つ区分派は②つまり単純代表が①と③に回収できるとして
{:::/ {::::::::ヽ
〃 \:::::} 質料的代表と個体的代表の二つで事足りるのだと主張した!
/ `(
,' >、 _ ノ ',
| {:::しl /´ ̄`ヽ lJ:::} } つまり問題は②の単純代表が扱ってる対象、○○一般という対象の存在身分なわけで、
'、 乂::ノ {: : : : : : : } 乂::ノ /
ヽ ' , ' 丶----‐'―v、 ' , ' __ ノ スコラ哲学において「○○一般についての説明」が個体について述べる言明だけで表現できるのか、
i\ 〈v /⌒Y´ /´ ̄`)
ゝ ⌒ヽニニ ( / /― 、 もしくは個体について述べる言明では片づけられない特性を持っているかについてが争われた
\\ /⌒\ ヽ __/::::::::::::/
\ { ヽ |::::::::::/
/二ニyヘ 丶 __ノ ,':::::/ この「○○一般」のことを共通本性と哲学上呼ぶことになっているが、
丶 | } / 入 /"´
\ヽ -―rJ // /:::::ゝ. _ _ /\ 共通本性の「実在性(現実に作用を及ぼしうる力能)」を認める3つ派閥が「実在論」
ヽ-' " ヽ:::::::::::/ ` ̄ ̄´{:::::::::::::::}
 ̄´ 丶---‐' 共通本性の「実在性」を認めない2つ派閥が「唯名論」として一般に整理されることになる。
。 , -‐ァ-―…-- 、
o /ィ,=、ー, -‐- 、 _ノ\ー- 、 。 ゚ こうした伝統に従って、2つ派閥のことを唯名論者と呼ぶことにするが、
/{i{_ン {::::::::::::::} /ニil 丶 } o
// ' , 丶---‐' {_ンノ V 唯名論者はかなり危ない主張をしている。
/: : :{ ' /⌒\ ' , }:\
/: r‐ 、: ', N lハ ' u /.:/\
{: : : :| \X⌒ヽ /⌒ヽ_ , -― ┐-―ャ なにせ言語や論理学の問題領域とはいえ「共通本性の実在性」を否定しているからだ。
ヽ : ∧ /^ヽ  ̄> ''"´/ /: : : : : ',
,.ィ⌒ヽヽ./ , l ´ / / : : : : : : |
{ { { V / ', ヽ _/: : : : : : : : : } 伝統的な神学の解釈では、個人には共通する本性が備わっており、
ヽ ヽ 丶 !¨/: : : : : : : : : : : /
丶 } ヽ |/: : : : : : : : : : / この共通する本性があるからこそ「アダムという人類の起源が犯した罪」が
\_ノ \ /.: : : : : : : : :/
/:\ \: : : : : :> '´ どんな個人に対しても共通して適用されるわけだが、
丶 : : 丶---‐ァ "´ ヽー―<
 ̄ ̄ ̄/ }、 __) 唯名論者は共通本性が論理学においてはあくまで二次的なものに過ぎないことを述べてるからだ。
=ニ二三ゝ _{_},ノ三二ニ=‐
.
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-―――- .. _
, ´ , ´ ̄ ` - もし論理学だけじゃなく、神学的な議論の領域においても
/ / `丶-- . _
/: . / \ `丶、 共通本性が二次的なものに過ぎず、個体こそが一次的なものだと
{: : : . / - ヽ :\
ヽ: : /: . . ´ ヽ: : : : : :} したら、どのような問題が生じるだろう
/⌒>―- . . ´ ',--‐ '
, "´ `丶 / ',
/ ! l_ u r‐- 、 / :l 神は罪を犯した個人アダムに原罪を被せ、
/ \|_ { }: :/: : : . . . . . . . : }
{' , /:::::::::`ヽ ヽ// ', /: :{: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/ それとはまた別の個人に 「アダムが罪犯したからお前も同罪な」
l , ヽ ::::::::::ノ ∠ _ ヽイ}>ゝ:_: : : : : : : : : : : : : : : : : :_: -‐'
、  ̄ , , U/  ̄ ̄ フ T ¨¨¨´ と言っていることになる。非常に不味すぎる。
\/⌒\ , u / /-、 / |
丶 \ ∠ィ l __ -‐'/ / / |
`¨T ーァ='´ | | ヽ{__{_ノ そのため唯名論者は「あくまでこれは論理学の問題ですから」と
└ '´ ! ,'
ハ / シラを切りながらもバチカン教会にボディブローを負わせてたことになる。
ヽ-'
_ . -―――- .
/::::::/ `丶
':::/ ヽ こんな感じで共通本性という伝統的な枠組みを支持する神学者に対する
{/ , ⊥.. _
/ /し {::::::::::::::〉 個体第一主義を掲げる唯名論者の戦いが(論理学における実在論者との戦いとは別に)
{ イ;;;;;ノ , -―- 、 ,_)ヽ |:::::::::::/
V / {: : : : : : } |;;;;;;;;l 丶::_ノl 水面下で巻き起こることになってしまう。
/⌒!/⌒l>、_ー--‐' _ 卜- ヘ | , -――- 、
,' {{ / /  ̄ V`ヽヽ l //:::::::::::::::::::/
{ V / | } \l⌒ヽ/} '::::::::::::::::::〃 またこの闘争とは別に教会内や神学では清貧論争と呼ばれる対立が
ヽ / | ノ ) ∨:::::::::::::::::/
`{ .ノー/´ ̄`{ }ヽ::::::: / この共通本性についての問題が噴出したのと同時期に激化していくことになる。
\ / ゝ __,ノ ',/
丶--‐'´_ ___ | (ちなみに唯名論者として有名なオッカムさんは清貧論争にも反権威側として参戦してるぞ)
| / / >、 |
| ヽ { l ヽ ,'
/::.、 \ 、 ノ / そんなこんなで教会にとっては地獄な時代が訪れ、14世紀の唯名論者の個体主義や
く:/:::/::::>、 く _「 ̄ /::\
` ー' ` ー------‐ '´{:::::::::::::ヽ 同時期の教会批判、15世紀のビザンツ崩壊によるイタリアへの知識人の流入の影響で
',::::',:::::',:::}
ー'--'‐' 個人主義万歳のルネサンスの時代が本格的に華開く結果となってしまった。
.
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_ , -―――-、-―-、
, ..::::::::::', /´:i /::::'::::; -―- 、:::::丶 ::_} 14世紀から17世紀にかけてバチカンは「異端」に対して強硬的な態度を取っていたため
〈::::::::::::::::', ,':::::::', 〃::':::::::;:{ }:::::::::::::::\
ヽ::::::::::::::', |::::::::::ヽ -/:::::::::::::::::ヽ ノ:::::::::::::::::::::ヽ あの頃がカトリックにとっての全盛期だと思っている方は少なくないと思うが、
、::::::::::}-――┴‐-、:/::::ヽ::::::::::::::::::::, 二 、:::::::::::::::::::::::::::',
\_ ノ::::::::::::;::-:、:::::::::::::::::}:::::::::::::::::/:::::::::: \:::::::::::::::::::::::::', 実情としては正反対で、聖書解釈の独占性と神の代理人としての権威が重大な危機に
/:::::::::::::::/::;;;;;::ヽ::::::::::ノ:::::::ヽ、:::|::::::::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::|
,':::::::::::::「::´::::::::`}:::::::::{_::::::::::/:::::、:::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::| 陥ってしまったからこそ、防衛本能的に弾圧を強めたといっても過言ではない。
{::::::::::::::L, -―-/:::::::::::::`ヽ:::::::::::::::ヽ __/:::::::::::::::::::::::::::,'
_ -‐=::',:::::::::::::::::ヽ;;;/:::::::::::::::::::::}:::::::::::::::::::::; -‐- 、::::::::::::::::::/
/:::::::::::::::/⌒ ー-',::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::く:::::::::::::::::;:::{ 〉::::::::::;:::ヘ そのため映えを意識する[規制音]のように、教会は教会建築という外見にばかりお金を費やし
丶 ::::::::::{::::::::::::::::::::.、 ::::::::::::::::::::::::::::;:::::⌒\ヽ:::::;::::::;:::ヽ._/:::::::/::::::j
 ̄ヽ-----一'´` ー-----‐へ :::::::::::`丶 ::::::_::::::::::::::::_::/―一' 宗教改革を招くことになり、三十年戦争を経て完全に世俗に対する権力を失うことになった
` ー一'  ̄ ̄
.
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, -―‐- 、 __
_,. -―r- 、 _/ , _ \: :.} 元々の主題は中世における「言語の哲学」についてだったが、
, '´ | `丶 _ -‐ 、 lJ;;;! ∨
/{ l };;J(: : : : ノ ゝ::ノ } 中世哲学では教会との関係が切っても切り離せない。
〃 ', ' ∧:ノ  ̄ ノ ' , ' ,
{ 丶 ヽ、 / ' , ' ー--‐ '´ /
丶 \ く―- 、 / また12世紀、商工業者が商業ルネサンスを通して徐々に力を付け始めることで
ー―ァ / 丶 ⌒ヽ--/⌒ヽ_
丶--‐'´ 丶 〉 〈 `ヽ 教会の規制や教会法に対して反発的な社会的気運が培われたことが
` ーァ' ヽ }
, -―-、 / }/ 唯名論の成立に大きく関わっているというのは有名な話だ。
く: .: .:.:.:.:.:.:丶. { }
丶 :.:.:.:.:.:.:`¨ハ ノ
 ̄/.:.:.`' ァ‐----<´:.:.:\ そうした社会背景とも密接に関わる中世哲学はどうやっても現代人から見ると難しくなってしまうのだ!
(_(:.:.:ノ_/ 丶_):.:)_)
_,,.. ...,_
, .:'´ ノ }<´ ̄`ヽ
/ ,.:: ´. '´ ` 、:::} こういった感じで世間から敬遠されがちな中世哲学にも、
〃r ―― -='´. ´ \
ゝ-――-‐='´ ヽ 面白そうな議論があるのだなぁということが伝わったと思う。
/:::} 、 _ ',
〃:::::ノ , -― 、 lし:::', ',
三二ニ= _ /: : : : : : :', ,:::::::} | この話の主な種本は上にも挙げた山内志朗『普遍論争』で、
三二二二ニ= _ ノ、 ,: : : : : : : : : :} ー' |
三三二二二二ニ=_T::::しハ { : : : : : : : : / ・ ・l 平凡社文庫のものだと2000円弱で買うことができる。
三三三二二二二ニ=_ :::::ノ 丶----‐='´ ・/
三三三三三三三二ニ=_ ・ r‐v::::::´ V} /⌒ヽ あと同著者の最近出た『中世哲学入門』もオススメだな!
三/´ ̄ ̄ ̄`\三二ニ=_ \ ___,ノ / }
/二二二二二二.\三二ニニ=_ -、 { ノ .:: :: . (おそらくそれ以外だと専門的な内容過ぎて訳ワカメになる)
三三三三三二二二 ヽ三三二ニ=_\_/ ..: :: :::
三二二二三三三./´ ̄ \三二ニニ=_ ....: :: .:. :: .:
二二二二二三/三二二二\二二ニ=_ .:: .: ::.: .: そんな感じで、中世の言語哲学、暇潰しとしてオススメしながら終わろう
二二二三三/三三三二二二l三三二ニ=_:: :
~~~おわり~~~
以上となります。ちなみに個人的にはこの普遍論争や代表理論といった考え方がパースの記号論に影響を与え
現代記号論の素となったと考えてます。パース経由で現代にも深く影響を与え続けてる代表理論ですた。
投稿乙です
レトロ観光列車「昭和」「あめつち」が走る鳥取 鉄道を「汽車」と呼ぶ地の郷愁
ttps://www.sankei.com/article/20180806-GUMRVHZ4SNITNEI63S72JNNTQQ/
> 鉄道のことを「汽車」と呼ぶのが一般的な鳥取県。
むかし、サッチが大山と鳥取で雑談してたような……
鳥取で電車だとイメージにノイズが……(故人の乾燥です
乙でした
ミジュニキがオブジェクト指向プログラミングのクラス設計やったら、この投稿の内容も変化しそうだ
あれは概念の実装のような向きがある
>>4240
つまり「鳥取には電車は走ってない」という偏見は一部正しい可能性が…?
>>4242
というか割と初期からオブジェクト指向設計の傾向自体は強いです。なにせイデア論者ですから…
>>4231-4232の文脈の実例として、二つ目にこっそり鳥取の特殊性を出したのではなかったのか……
鉄道自体が近代(歴史区分だと市民革命や産業革命以降)の産物だとか
そこらの部分で、分野や地域での言葉のニュアンスの違いを表してるのかとばかり……
>>4244
「危険な配合です」って言ってくれる人はいなかったんですか!?
>>4245
ただただ「電車」というのが記号における代表作用で分かりやすい例だと思ったので
鳥取に流れ弾が当たってしまっただけとは今更言えない…
言葉って使っている人ごとにニュアンスの違いは出てきますので、中世で問題となってくるのは
「こんなのニュアンスの違いじゃ片づけられねー!」っていう言葉の代表作用がメインとなります
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