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近代日本の「原点」=渋沢栄一に学べることとは──守屋 淳さんと読…
NHK出版デジタルマガジン
元号がまもなく平成から令和に変わろうとしていた二〇一九年四月、財務省は、二〇二四年度に紙幣のデザインを一新することを発表しました。新しい一万円札の図柄に採用された人物は、「渋沢栄一」。お札になったこと、さらに二〇二一年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公になったことをきっかけに、渋沢という人物に興味を持たれた方も、多いのではないでしょうか。 渋沢栄一は、明治時代に活躍した実業家であり、近代日本社会や経済の礎を築いた人物です。生涯で約五百の会社や約六百の社会事業にかかわり、ノーベル平和賞の候補にも二回なりました。経済分野のみならず、社会全般、ひいては国際関係にまで大きな業績を残した人なのですが、十年ほど前まで一般にはその名前があまり知られていませんでした。その頃、私が企業研修で渋沢の業積について話すと、多くの参加者から返ってきたのは「そんなすごい人がいたんですね、全然知りませんでした」という反応だったのです。しかし、この十年ほどの間に知名度が上がり、最近では、本書で取り上げる『論語と算盤』を愛読書に挙げる人も増えてきました。
『論語と算盤』は、厳密には渋沢栄一の「著作」ではなく、渋沢の膨大な講演の記録を、編集者の梶山彬(あきら)が十のテーマに分けて切り貼りし、再構成した「講演抄」に当たるものです。 中国古典を専門に研究する私は、『論語』の影響を受けた日本人について調べたことがあります。そのなかで、渋沢栄一と本書に出会いました。読み解いていくと、日本、さらには世界の経済や社会の行く末を考えるうえで、非常に参考になる考え方が示されていました。彼の「論語と算盤」というモットーに端的ですが、渋沢栄一の思想を学ぶことで、社会や政治、経済、倫理、そしてビジネスなどの大局的なバランスを俯瞰する重要さをあらためて考えさせられたのです。 渋沢栄一と『論語と算盤』が注目され始めた時期は、リーマンショックで世界経済が大打撃を受けた時期と重なります。当時、日本の経営者たちは、このまま強欲な資本主義や経営を続けていては、社会も会社も維持できなくなると考え始めていました。しかし、リーマンショックの震源地であるアメリカも、国家レベルの財政危機が起きていたヨーロッパも、お手本とはなり得ませんでした。では、日本の資本主義や経営は何を道しるべにすべきなのか。そう考えたビジネスパーソンたちがスポットを当てたのが、「近代日本の建設者」とでもいうべき渋沢栄一でした。そして、彼の考え方や行動にもう一度学ぼうという気運が広がり始めたのです。
『論語と算盤』や渋沢の考え方は、海外にも広がっています。特に『論語』が生まれた中国での人気は高く、十一種類もの翻訳が出版されています。その背景にあるのが、一九九〇年代に始まった市場経済の導入でした。 資本主義化にともない、中国の経済は急激に成長しました。しかし残念ながら商業道徳の面では、契約が遵守されない、コピー商品が蔓延するなど諸外国からさまざまな批判を受けました。中国国内でもその点が問題視されるようになり、『論語』をベースにして、モラルある資本主義を育てようという気運が高まりました。そうした流れのなかから渋沢栄一──『論語』を商業道徳の源泉として日本の実業界を発展させた人物──が注目されたのです。中国以外の国でも、著名な経営史学者が何人も渋沢の研究に取り組み、数年前には、国内外の研究者による共同プロジェクトも行われています。 二〇〇〇年代以降、日本企業では、旧来の家族主義的経営と、バブル景気以降にアメリカから入り込んできた株主至上主義や、利益至上主義の経営との間で、せめぎ合いが起こっています。そして、そこから生じたひずみを、社会も企業自身もうまく扱いきれずにいます。社会に生きるわれわれすべてが幸せになる経済の形や、ビジネスの形を考えなければならない時代が、すでに始まっているのではないでしょうか。
われわれが直面している問題の本質は何か、その問題の解決には何が必要なのかを知るためには、原点に立ち返ることが不可欠です。そして、現在の日本の制度や仕組みの多くは、近代化を推し進めた明治期に端を発しています。渋沢栄一が百年前に唱えた「合本(がっぽん)主義」──企業だけでなく社会全体を富ませようとする経済のあり方(第3章で詳しく見ていきます)──は、現代に生きる私たちが未来を描く時、大きな示唆を与えてくれます。これからの経済と社会をどうしていくべきなのかを考えるにあたって、立ち返るべき原点は、渋沢栄一にほかならないと私は考えています。 また、渋沢栄一の姿から私たちが学べるのは、経済や社会にまつわることだけではありません。渋沢は、その人生で何度も苦境に陥りますが、そのたびに逆境をはねのけ、立ち上がり、自らの道を歩み続けました。近年の日本、そして世界は、地球温暖化や排外主義、自然災害、経済格差など数多くの問題を抱え、人々は苦難に直面しています。そうした逆境にあって、私たちはどう生きるべきなのか。『論語と算盤』、そして渋沢の人生や思想を通じて、ぜひそのヒントを見つけていただきたいと思っています。
本書『NHK「100分de名著」ブックス 渋沢栄一 論語と算盤 対極を両立させる知恵と才気』では、・第1章 高い志が行動原理を培う・第2章 「信用」で経済を回せ・第3章 「合本主義」というヴィジョン・第4章 対極にあるものを両立させる・ブックス特別章 渋沢栄一と同時代の実業家たちの『論語と算盤』という構成で、渋沢栄一の思想を現代に読み解きます。
守屋淳(もりや・あつし)1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。トロント大学客員研究員(2 019 年)。グロービス・アルムナイスクール特任教授。中国古典の研究者として多くの著書を発表するとともに、渋沢栄一や明治の実業家に関する著作・翻訳を多く手がける。渋沢関連の主な著書・訳書・編書に『詳解全訳論語と算盤』(筑摩書房)、『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)、『現代語訳渋沢栄一自伝』(平凡社新書)、『渋沢栄一 「論語と算盤」の思想入門』(NHK出版新書)などが、ほかに『最高の戦略教科書 孫子』『勝負師の条件 同じ条件の中で、なぜあの人は卓越できるのか』(ともに日経BP)、『組織と権力の教科書韓非子』(日経ビジネス人文庫)など著書多数。※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 渋沢栄一 論語と算盤 対極を両立させる知恵と才気』より抜粋■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。※本書における出典記載のない『論語と算盤』からの引用は、守屋淳訳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)に拠ります。※本書は、「NHK100分de名著」において、2021年4月に放送された「渋沢栄一論語と算盤」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「渋沢栄一と同時代の実業家たちの『論語と算盤』」、読書案内などを収載したものです。