「嫌な相手とは心の距離を置く」
「恋愛をしなくてもいい」
「いいかげんになる」
常識にとらわれず、自分の心をいたわり、気持ちよく生きられる方法が書いてあった。「人間関係のライフハック本」と言える。
なぜ鶴見さんは『完全自殺マニュアル』、『人間関係を半分降りる』のような本を書いたのか? 生い立ちからお聞きした。
鶴見さんは4人家族で育った。
「父は怒ると叩く、厳しい親でした。ただ昭和時代の家庭では珍しくありませんでした。より問題だったのは、2つ上の兄が非常に攻撃的で、小さい頃から10年以上もそれが続いたことです」
鶴見さんの両親は共働きだった。夏休みは、鶴見さんと兄2人で過ごさなければならなかった。
「小学校低学年の頃からずっと嫌がらせ、暴力を受けてました。
ただ、近所にもそういう家庭があって、自分が特別にひどい目にあっているとはよくわかっていなかった」
中学校になると、兄の攻撃は弟だけではなく両親にも及んだ。
「兄に、俺と両親の3人が1部屋に監禁されたことがありました。こういうことはもっと詳しく今回の本にも書いていますが、結果的に流血沙汰になってしまいました」
兄ほどではないが、鶴見さんも父親と仲が良いわけではなかった。家庭内では楽しい思い出はほとんどなかった。
社交不安障害、対人恐怖症に
高校に進学すると、家族で食卓を囲むこともめっきり減った。それぞれが食事をトレーに載せて部屋に持っていき食べた。
「高校生活も決して楽しくはなかったですね」
鶴見さんが高校の時代には、「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「タモリのオールナイトニッポン」が流行っていた。
「翌日はみんなビートたけし気取りなんですよ。人を観察して、それをからかうようなことをするわけです。つねに誰かを笑いものにして、誰かに笑いものにされる。だから教室の空気はすごく悪かった」
とにかく教室内の視線が過密だった。
つねに変なふうに見られているんじゃないかと気になった。
「社交不安障害、対人恐怖症になりました。学生時代って、本当に学校と家庭しか居場所がないじゃないですか。逃げ場所がないんですね。大人だと、娯楽や旅行なんかで発散とかできるじゃないですか。学生にはそれがない。家に帰ってもずっと考えてました。
絶望的でしたね。精神病院に行きたいと思ってました」
学校を辞めたいなんてもちろん言えない。部活を辞めるというのも難しい。
「『部活なんて自由参加なんだから、辞めたらいいじゃん』って簡単に言われることがあります。でも自分が辞めた後、部室では部活の人たちが俺について話すわけです。それを想像したら辞めるのも嫌ですね。
部活を自然に辞めるためになんとか骨折できないかと思ってました。大怪我をして辞めたらみんな文句言わないですからね。
その時代の救いはロックミュージックでした。ロックを聞いてなんとか精神を保っていたという感じです」
精神状態はつねに悪かったが、受験勉強は真面目にやっていた。
「結果的に、一浪して東京大学に受かりました。ほんと真面目だったと思います。むしろチャランポランにしていたら、身を助けていたんでしょうが。
すぐに真剣になっちゃって、受験勉強もして、部活もやって……。その時は本当に、死にたかったですね」
自宅から東京大学に通いはじめた。
「でも大学の環境はよかったですね。飯を1人で食ってもいい。1人で適当にウロウロしてても怒られない。人をからかって笑うみたいなノリもそんなにない。ずいぶん楽になりました。
家庭とか学校って流動性が本当にないですよね。隣の人と近すぎます。隣の人が嫌いでも、毎日毎日その人の顔を見なければならない。
大学はそういうストレスはなかったですけど、ただ孤独な時期はありました。楽しい孤独ではありません。いつも誰か気が合う人と話がしたいと思ってました」
書く仕事がしたいと思っていたがメーカーへ就職
高校時代、大学時代通して、将来は文章を書く仕事がしたいと思っていた。
「散々音楽は聞くのに自分ではあまり楽器はひかなくて。絵も描かない。書くのは文章だけだけど、これも日記しか書いてなかったです。将来は、学者、評論家、音楽ライターになれないか? とは思ってました」
ただ卒業した後は、一般メーカーの会社に就職した。地方の工場で働いた。
「会社に入ってすぐに
『高校時代のあの嫌な感じがもどってきた』
って思いました。
同じ班に1人無視されている人がいたんです。班のひとりは、
『あんなヤツと口きくことないよ』
って言ってきました。全然変な人じゃなくて、結局なんで彼が無視されているか理由は最後までわかりませんでした。
彼と喋っていたことが原因で、今度は自分が村八分の対象になってきました。
結局その会社を辞めて、別の会社に入りなおしたんですけど、そこでもパワハラを受けました。
オフィスや教室のような空間の中で働くのは無理だと思いました。
このまま通い続けたら死んでしまうって、命の危険を感じました。それで、会社で働くのは辞めました」
1990年、26歳でフリーランスのライターになった。
ティーン女性向けの雑誌に社会物の記事を書いたり、データ集め、街頭アンケートなどさまざまなな仕事をしたりした。
「サラリーマン時代の蓄えもあったので、なんとか食うくらいはできました。
でもすごい悲惨でした。編集者にはないがしろにされて、こき使われてましたね。そもそも対人関係も苦手ですら、取材も大変でした。
ただ、それでも会社員に戻りたいとだけは一度も思わなかったですね」
前から作りたいと思っていたアイデアを出版社に提出した。
それが『完全自殺マニュアル』だった。
『完全自殺マニュアル』
最初持ち込んだ出版社には断られたが、2社目の太田出版でゴーサインが出た。
「他の仕事をしながら1年かけて作りました。専門家にお会いして話をきいたり、現地に行って取材をしたり。企画書通りに進めることができました」
そして、発売された。
「最初は全然話題になってなかったんですよ。地道に部数を伸ばしていき、徐々に話題になりました」
署名記事の依頼が舞い込むように
だんだん取材の依頼が来るようになった。
さまざまな場所で書評を書いてもらえた。
「最近よく『当時は大バッシング受けて大変だったでしょう?』とか言われるんですけど、全然そんなことはなかったんです。
インタビューは全部、好意的なものでした。有害指定されたと話題になりましたが、それも大体、発売から6年も経った1999年です。
だからベストセラーになったことで嫌な思いをしたわけではなかったですね」
それまでは無署名の記事を書くことも多かったが、すべて署名記事になった。
次から次に仕事が来て、ほとんど断らなかった。無我夢中で仕事をした。
「仕事の過程で話が合う人とたくさん会えるようになったんです。肯定してもらえる人たちです。そういう仲間ができて。気がついたら、対人恐怖症が治ってました。
そして女性とも付き合うようになりました。それまでそんなに女性と付き合おうとも思ってなかったんですよね」
段々、自分で活動したくなってきた。
9年前にはじめた“くにたち0円ショップ”ではSNSで呼びかけ、不要品を持ち寄って街頭にならべ、道行く人にもらってもらうアクションだ。
「“くにたち0円ショップ”は長くやっているのですが、みんなの目的はおしゃべりなんですよね。一緒に活動するのが楽しくて来てる人がたくさんいるんです。サードプレイスを求めてる。つながり作りですね」
そうして活動しているうちに、
「人間関係がみんなのいちばんの悩みだな」
と改めて思うようになった。
「それで過去の体験を踏まえた人間関係の本を書きたいと思うようになって『人間関係を半分降りる』を書きました」
『人間関係を半分降りる』には「普通はあまり言わない」ことが書かれている。
「人間は素晴らしくない」
「家族は寄りそわなくていい」
「家族の素晴らしいイメージにだまされない」
「どう思われるかばかり気にして生きなくていい」
「『もうどうしようもない』とあきらめる」
読んでいるだけで、ふっと肩の力が抜けるような気がした。
『人間関係を半分降りる』
「ヒューマニズムというか熱血というか、人間関係をキラキラしてるイメージで捉える人いますよね? 人と人が密接につながるのはいいもんだ!! という考えで。『家族って素晴らしい!!』って言うけど、殺し合う家族なんてたくさんあります。うちも危なかった。
家族が美化されすぎているのが原因だと思います。同じように友達、学校、会社、恋人、結婚なども美化されていますよね。
嫌いな人と毎日同じ箱の中にいたら、それはイジメも起きます。学校や会社は人と距離をとる自由がないんです」
だが鶴見さんは、世の中が悪くなっているとは思っていない。
自身を見つめ、多くの人の“生きづらさ”を癒やす
むしろ逆だ。
「昭和の時代から比べたら、全然良くなっていますよ。それは明らかですね。
子供の頃『巨人の星』ってアニメをやっていました。父親が子供にスパルタ教育をし続けるアニメです。今だったらありえないですよね? でも当時は普通だと思って家族で見ていました。父親に影響もあったと思います。『親たるもの、子供に厳しくあらねば』
って思ったでしょうね。
今は、親子関係が友達みたいになっている家が多いと聞きます。これはとても良いことだと思います。
あと、心の病気に関しても劇的に変わりましたね。30年前は精神科に通うというのは、とても抵抗があることでした。今は、うつや発達障害についても認知されて気軽に病院に行けるようになりましたし、メジャーな話題になりました。これはすごい変化ですね」
自身の“生きづらさ”を見つめ続け、結果的に多くの人達の“生きづらさ”を癒やしていく鶴見さんのパワーはすごいと思う。
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(村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)