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読書的な小咄 93 孔子伝

国際的な小咄

8843 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:08:18 ID:zf3Cx2x.


                                   00/30

                Λ_Λ                   読書的な小咄93 孔子伝
                (・ω・`)
             _φ___⊂)__               著 白川静
           /旦/三/ /|               中公文庫(1991年)
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |               ※単行本は1972年
        | 001   |/
                                   

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8844 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:09:03 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ         01/30
                (・ω・`)         「孔丘」「公孫龍 第一巻 青龍篇」出版記念…というわけではありませんが。
             _φ___⊂)__       
           /旦/三/ /|         これまで「子産」「沙中の回廊」を紹介してきましたが、宮城谷先生が影響を
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |         受けた人物として、二人挙げられます。 
        | 002   |/        
                             一人は、立原正秋。若い頃に。
                           文章についてかなり強烈な指摘を受けた(そう感じた)ことがある…
                           というような話があります(何かのあとがきだったか解説だったか
                         (あるいはエッセイだったか)で読んだ覚えがあるのですが…)。
                           宮城谷先生は強い衝撃を受け、郷里に戻って文章を磨き上げました。
                           
                             立原正秋(Wikipedia)ttps://ja.wikipedia.org/wiki/立原正秋


8845 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:09:42 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ          02/30
                (・ω・`)          そしてもう一人が、今回紹介する「孔子伝」の著者の白川静。
             _φ___⊂)__          短編「沈黙の王」で描かれた文字のはじまりは、まさに白川説に基づくものです。
           /旦/三/ /|          (たとえば、「白」という字は頭蓋骨の象形、というように)
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 003   |/         英文学科出身だった宮城谷先生ですが、太古の中国に魅せられ、
                              冗談抜きで「三年庭を見ず」に近い生活を送られたそうです。
                              その学んだ結果は膨大な数のノートにまとめられました。

                              白川静(Wikipedia)ttps://ja.wikipedia.org/wiki/白川静

                              白川静は明治43(1910)年福井県生まれ(平成18(2006)年没)。
                              立命館大学において長く教鞭をとっていました。
                              宮城谷先生との対談(「回思九十年」に収録)もあり、日経の「私の履歴書」も書かれています。

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8847 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:10:18 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ          03/30
                (・ω・`)           白川静といえば、上記のような、漢字の字源についての独特な説ですが、
             _φ___⊂)__            その原点は「万葉集」と「詩経」でした。字源の研究は、その一環なのです。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |            字統(字源字典)
        | 004   |/           字訓(古の日本語と漢字の辞典)
                                字通(漢和辞典)
                                 私事ですが、字通は未読(未購入)です。

                                さて、本書についてですが…「伝」とありますが、
                           いわゆる伝記と思って読むと肩透かしを食らうことになります。
                                本書の主題は、孔子個人というより、その思想の源流はどのようなもので、
                                どのように形成されたか、ということです。

                                本書の構成とキーワードは次レスのとおりです。
                                各章の概要については、章のタイトルの右の数字のレスをご覧してください。

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8848 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:10:55 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ          04/30
                (・ω・`)          第一章 東西南北の人 05~11  孔子の出自とその生涯。
             _φ___⊂)__          第二章 儒の源流 12~17  伝統、儒、巫祝、史、天。
           /旦/三/ /|          第三章 孔子の立場 18~22  盗。奴隷制(注1)。亡命の意味。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |          第四章 儒教の批判者 23~25  諸子の論。ノモスとイデア。
        | 005   |/         第五章 『論語』について 26~28  文体。孔子死後の諸派。弟子。

                               注1 奴隷制うんぬんについては、あまり深く考える必要はないと思います。
                                  (本書が書かれた時期は文革の真っただ中であったことに注意)

                              では、次レスから章ごとに概要の紹介を。
                          所々で関連する人物や事件、「孔丘」等での記述についても言及しますので、かなり脱線します。
                              ご了承願います。
                              (人名等の注釈の※は、最後にまとめています)
                              (機種依存文字の*は、各レス中で示しています)

                              お忙しい方、とりあえず結論だけ読まれる方は、第五章の後のまとめまでスキップしてください。


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8853 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:18:55 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ            05/30
                (・ω・`)             第一章 東西南北の人
             _φ___⊂)__         東西南北の人。検索すると「住所が定まらず、諸方をさまよい歩く人(「礼記」檀弓上)」とあります。
           /旦/三/ /|         孔子は、(父母を合葬したときに自身をそう呼んだように)まさしく東西南北の人でした。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |         
        | 006   |/             ○「孔丘」は、母の遺骸を合葬したところから始まります。
                             また、呉の季札(※01)が我が子を埋葬する場面を、
                            幼い孔子が見物したというくだりを描くことで、
                             葬儀が「学に志」した孔子の原点であったとほのめかしています。

                            孔子は聖人(聖…白川説では神の声を聞きうる人の意)でした。
                            それは、荘子や墨子、韓非子のような、孔子の批判者達でさえ全否定できないものでした。
                            では、孔子はどのように生まれ育ったのでしょうか。


   ∧,,∧            ∧,,∧ 
   ( ´・ω)           (,,   )    葬儀ですか
   | ⊃|__,>;* ザッザッ   ⊂  ヾ
    u-u     ・;*;'∴     (  ,,)     はい、そうです
~~~~´゙`゙゙´´ ~~゙`゙´\ ∧,,∧/`゙゙´´ ~~゙゙´`

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8855 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:19:30 ID:zf3Cx2x.




                                  06/30
                Λ_Λ                  「史記」の「孔子世家(※02)」では、父は叔梁コツ(*01)、母は顔徴在とされています。
                (・ω・`)                   叔梁コツの名は「春秋左氏伝」の襄公十(紀元前563)年にあり、
             _φ___⊂)__                    敵城内に閉じ込められた味方の兵を救うため、
           /旦/三/ /|                    ただ一人で城門を開けたという逸話が記されています。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                    ○さらに祖先をたどると、宋の君主につながるとされています。
        | 007   |/                    宋というのは、暴君伝説を残す殷の紂王の兄で、
                                   賢人として知られる微子啓を初代とする公国です。
                                  ○なお、「孔丘」では、父母の名は「史記」に準じて書かれています。
                ∧_∧_
               (・ω・` )  ̄"⌒ヽ        *01 コツ(機種依存文字)…糸へんに乞
              / ) ヽ' /    、 `、
              γ  --‐ '    λ. ;!
              f   、   ヾ    /   )
             .!  ノヽ、._, '`"/  _,. '"
             .|   ̄`ー-`ヽ 〈  < _ ヽ.
    ∧,,∧  ∧,,∧ !、__,,,  l ,\_,ソ ノ     ←叔梁コツ
 ∧ (´・ω・) ( ´・ω)     〈'_,/ /   /
( ´・ω) U) ( つと ノ       | |  イ-、__
| U ( ´・ω) (  ´・)     .l.__|   }_  l
 u-u (l    ) (   ノ.     _.|  .〔  l  l
     `u-u'. `u-u'     〔___! '--'

 ↑助けられた兵

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8857 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:20:10 ID:zf3Cx2x.




                                   07/30
                Λ_Λ                   孔子は身長が2m以上あり、六藝(礼、楽、射、御、書、数)に通じていました。
                (・ω・`)                    射と御に通じていたことから、武勇をもって知られた弟子の
             _φ___⊂)__                     子路より強かったのではないかと思われます。
           /旦/三/ /|                     まさしく父譲りの…と言いたいところですが、実際のところはどうだったのでしょうか。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 008   |/                    ○なお、遠い先祖?の紂王は、素手で猛獣を倒せるほどの力があったといいます。
                                    弁舌にも秀でており、一個人としての能力は恐ろしいほど高かったそうです。

                ∧_∧_
               (・ω・` )  ̄"⌒ヽ        父母の名については「史記」以前には言及されていません。
              / ) ヽ' /    、 `、       また、野合で生まれたこと・(子を授かるよう)尼山に祈ったということ等から、
              γ  --‐ '    λ. ;!      本書においては、孔子は巫女の私生児であったのではないか、
              f   、   ヾ    /   )     と推定されています。
             .!  ノヽ、._, '`"/  _,. '"
             .|   ̄`ー-`ヽ 〈  < _ ヽ.
    ∧,,∧  ∧,,∧ !、__,,,  l ,\_,ソ ノ
 ∧ (´・ω・) ( ´・ω)     〈'_,/ /   /
( ´・ω) U) ( つと ノ       | |  イ-、__    ←孔子
| U ( ´・ω) (  ´・)     .l.__|   }_  l
 u-u (l    ) (   ノ.     _.|  .〔  l  l
     `u-u'. `u-u'     〔___! '--'

  ↑弟子達

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8860 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:21:37 ID:zf3Cx2x.




                                     08/30
                Λ_Λ                     孔子の原点は、巫祝(神事をつかさどる人)にありました。
                (・ω・`)                      葬祭に関わる中で、様々な儀礼を通じて教養を得ていったものと思われます。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|                 若い頃を振り返り「われ少きとき賤しかりき。故に鄙事に多能なり」と言っているように、
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                 孔子の前半生は、決して明るいものではありませんでした。
        | 009   |/
                                     前半生は暗かった。
::::::::::::::::::::    :::::::::::::::::::::::                  では後半生は明るかったのかといえば、そうとも言えません。
:::::::::::::::::::     ::::::::::::::::::::                       孔子は、二度、故国の魯を追われているのです。
::::::::::::::::::      :::::::::::::::::::
:::::::::::::::::        :::::::::::::::::                       一度目は、東の斉へ。当時、弟子を持ち教育者として知られつつあった孔子は、
::::::::::::::::       ::::::::::::::::                  陰の実力者となっていた陽虎とは相性が悪かったようで、
:::::::::::::::  ∧,,∧  ::::::::::::::                    その専制を嫌っての亡命でした。
:::::::::::::: _..( ´・ω・).. :::::::::::::
:::::::::::::.'c(,_U_U  `.::::::::::::
::::::::::::::::::....    ....::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::  うわ…私の人生、暗い、暗くない?

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8861 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:22:23 ID:zf3Cx2x.




                                 09/30
                Λ_Λ            陽虎は、やがて宰相の季孫氏を脅迫して僭主の如き存在になりますが、
                (・ω・`)            数年後に失脚して亡命します(最終的には晋の趙簡子に仕えました。
             _φ___⊂)__             ここでは主君をよく補佐する名臣となっています)。
           /旦/三/ /|             陽虎が去った後、孔子は帰国しました。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |             その後、孔子は魯の国政に関わることになります。
        | 010   |/
                                 弟子の子路が季孫氏の宰という地位にあることを利用し、
                                 三桓(※03)の勢力を弱めようと画策します。
    ∧,,∧  ∧,,∧                   結局これは失敗に終わり、再び亡命することになります。
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧               ○なお、この頃に小正卯なる人物を誅殺したとされていますが、
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )             これも「史記」以前には言及されておらず、真偽のほどが疑われます。
| U (  ´・) (・`  ) と ノ                 「孔丘」でも描かれていません。
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'

         では孔丘さんの扱いについてですが…

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8863 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:23:00 ID:zf3Cx2x.




                                10/30
                Λ_Λ                一度目の亡命は三年程度でしたが、二度目の亡命は十四年にわたる厳しいものとなりました。
                (・ω・`)            衛にいる間はなかなかの待遇を受けたのですが、用いられることはありませんでした。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|           一方で、他国を巡ると、一度ならず生命の危機に晒されるという有様
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |            (このうち陳・蔡の辺りで難渋したことは「史記」以前の資料にも言及されている)でした。
        | 011   |/
                                結局、七十近くになって(弟子達の活動もあって)帰国が叶い、
                                魯で静かに晩年を過ごしたのですが、
    ∧∧     ∧∧               愛弟子の子路・顔回(それと、子の鯉)に先立たれる等、多少物寂しさを伴うものでした。
   /⌒ヽ)    /⌒ヽ)                 ○「夢に周公を見ず(衰えを自覚)」「(顔回の訃報を聞き)天われを喪せり」
   i三 ∪    i三 ∪
   〇三 |    〇三 |
   (/~∪    (/~∪      周公タン…  顔回タン…  子路タン…
   三三     三三
  三三     三三
  三三三   三三三

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8864 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:23:37 ID:zf3Cx2x.




                                       11/30
                Λ_Λ                 その死後、弟子達は、親に対するのと同じように
                (・ω・`)                  三年の(孔子を経済面で支えた子貢(※04)は、さらに三年の)喪に服したといいます。
             _φ___⊂)__                   また、時の君主から悼辞を賜っています。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                   本章の終盤において、孔子の生涯を概観して、次のように語られています。
        | 012   |/                  「神はみずからを託したものに、深い苦しみと悩みを与えて、それを自覚させようとする。
                                       それを自覚しえたものが、聖者となるのである」。


   ∧,,∧            ∧,,∧  ∧,,∧       孔子は、二つの幻影をみていました。一つは、周公(※05)。
   ( ´・ω)           (,,   )(,,   )        孔子が天命を語りえたのは、その声を聴くことができたからでした。
   | ⊃|__,>;* ザッザッ   ⊂  ヾ ⊂  ヾ         そしてもう一つが、陽虎。
    u-u     ・;*;'∴     (  ,,) (  ,,)      陽虎は政治的才能も教養もあり、弟子もいたようです。
~~~~´゙`゙゙´´ ~~゙`゙´\ ∧,,∧/`゙゙´´ ~~゙゙´``´`´~~     孔子と陽虎。この二人は、理想の有無を除けば似た者同士でした。

       服喪中
       (言えない、三年は長いなんて言えない…)
       (それを言ったら、私は六年だぞ…)

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8865 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:24:15 ID:zf3Cx2x.




                                    12/30
                Λ_Λ                    第二章 儒の源流
                (・ω・`)                     儒教は孔子によって組織され、中国における伝統を形成しました。
             _φ___⊂)__                      では、伝統とは何でしょうか。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                      「古代の思想は、要約すれば、すべて神と人との関係という問題から、生まれている」。
        | 013   |/                     これは洋の東西を問いませんが、ソクラテスに始まる西洋思想に比べ、
                                    儒教は実践性の強い思想です。
                                    それは巫史による神事や儀礼の実践を通じて形成されたことによります。
 ∧,,∧           ∧,,∧
(´・ω・)         (´・ω・)                  孔子は「述べて作らず」と言いました。自身は創作者ではないと
[(っ⌒/⌒o_        [(っ⌒/⌒o_                  いうことです。それは巫史の伝統(歴史意識はない)でしたが、
|\⌒''⌒∧,,∧     |\⌒''⌒∧,,∧ ...zzZZ           孔子によって歴史という要素が加えられた、ということです。
|| || ̄ (´・ω・)      || || ̄ (´-ω-)
    ||  [(っ⌒/⌒o_    || .[.(っ⌒/⌒o_
    |\⌒''⌒∧,,∧       |\⌒''⌒∧,,∧
    || || ̄ (´・ω・).     || || ̄ (´・ω・)
        ||  [(っ⌒/⌒o_      ||  [(っ⌒/⌒o_     子曰く、「……」
        |\⌒''⌒  \       |\⌒''⌒   \
        || || ̄ ̄ ̄ ̄||     || || ̄ ̄ ̄ ̄||

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8866 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:25:15 ID:zf3Cx2x.




                                       13/30
                Λ_Λ                 儒教、といいますが、「儒」とは何でしょうか。
                (・ω・`)                  孔子は「君子の儒」と「小人の儒」と言っていますが、儒に区別があるということでしょうか。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|                   白川説によると、儒は需(まげのない巫祝:雨乞いをするもの)。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                   孔子の時代の儒は、今でいうところの葬儀屋のような存在でした。
        | 014   |/                  ○葬儀に関わるということは墓所についても詳しいわけで、
                                        葬儀後に盗掘をする輩もいました。
                                        「荘子」中に盗掘をする儒の話があります。
::::::::::::::::::::::::::_________:::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::/             \::::::::::::::::::       経典中にも喪礼に関する記述が多いのも、「服喪三年」もその一つ。
::::::::::::::::::/     ∧,,∧  ∧,,∧    ヽ、::::::::::         その論拠です
:::::::::::::::/   ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧ |:::::::::       (いわゆるこれは「高宗(※06)諒陰、三年もの言はず」からきているのですが…)。
::::::::::::::i  ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) i:::::::::::
::::::::::::::i  | U (  ´・) (・`  ) と ノ  i::::::::::::
::::::::::::::i   u-u (l   ) (   ノu-u  /::::::::::::
:::::::::::::::\     `u-u'. `u-u'     /:::::::::::::::
::::::::::::::::::::::\_________/::::::::::::::::::

              お宝は…?

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8867 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:25:48 ID:zf3Cx2x.




                                         14/30
                Λ_Λ                         前のレスで言及したように、儒の原点は巫祝でした。
                (・ω・`)                    フレーザーの「金枝篇」にある「殺される王」に似た、雨乞いのために焚き殺される
             _φ___⊂)__                     巫祝です(もちろん、王自身が雨乞いを行う事例(※07)もありました)。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 015   |/                    神事に従うものには、ほかに史があります。
                                         史というと君主の言行などを記録するという印象があるでしょうが、
                                         太古の史は、巫祝と同様、祭祀をつかさどる者でした。

    | ̄ ̄|
    |∧∧|       (( ) )  (( ) )  ((⌒ )      白川説によると、史は、祝詞の器(「口(サイ ※08)」)を榊につけて手に持つ形、としています。
 __(;゚Д゚)___   (( ) )  (( ⌒ ) (( ) )       祭儀の儀礼執行者であるとともにその由来の伝承者でもありました。
 | ⊂l>>000l⊃ .|     ノ火.,、  ノ人., 、  ノ人.,、         伝承者から記録者に転化していったというわけです。
  ̄ ̄|.|.  .|| ̄ ̄   γノ)::)  γノ)::)  γノ)::)
     |.|=.=.||       ゝ人ノ  ゝ火ノ   ゝ人ノ        それゆえ、彼らは最高の知識階層でもあり、権力に阿諛追従しません。
     |∪∪|        ||∧,,∧ ||∧,,∧  ||  ボォオ
     |    |      ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
     |    |      ( ´・ω) U) ( つと ノ (ω・` )
.   ~~~~~~~~.      | U (  ´・) (・`  ) .と ノ
              u-u (    ) (   ノ u-u
                  `u-u'. `u-u'

                雨が降るかこんがり焼けたら終了ということで…

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8868 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:26:32 ID:zf3Cx2x.




                                     15/30
                Λ_Λ                     春秋時代においては、臣下が君主を弑逆する事例がいくつかあります。
                (・ω・`)                      史は、それらを(彼らなりの正統観をもって)記録し、伝えようとしました。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|                       襄公二十五(紀元前548)年の「崔杼、その君を弑す(※09)」は、その典型的な例です。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 016   |/                      神に献身する者であった名残が、死を恐れない、矜持ある史を生みました。

                                     孔子もまた、死を恐れずに己の信ずる道を進みました。
   ___________________
   ||                崔             ||       ここまで、儒・巫祝・史について語られました。
   ||                杼             ||       彼らは神と人とをつなぐ存在です。
   ||                弑             ||       ですが、殷と周(以降)では、その関係には変化がありました。
   ||                其             ||
   ||                君             ||       殷においては、神とは帝(≒殷王室の祖先神)でした。
   ||             ∧ ∧   。               ||       白川説によると、帝は神を祀るときの祭卓の形。
   ||          ( ,,゚Д゚)/                ||       太古の神々は、その多くが木や石のような具体的なものを祀った
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ  つ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      (→故にそれを破壊されると再生できない)のに対し、
             /  ̄ ̄ ̄ /|                  殷の神は抽象的なものであるゆえ、破壊しても再生できる(ゆえに滅びない)ものでした。
                | ̄ ̄ ̄ ̄| |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

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8869 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:27:18 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ                   16/30
                (・ω・`)                    もっとも、紂王の頃には帝と王とが一体化していました。
             _φ___⊂)__                     それは王権の強化を示すものでしたが、それゆえに、王が倒されると滅びることとなりました。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                     周が殷を滅ぼしたことは「革命」とされています。
        | 017   |/                    それは単なる政権交代ではなく、神と人との関係性の変化をも含むものでした。

                                   殷が祀った帝とは異なり、周が祀る天は非人格的な存在です。
                                   天にも意思はありますが、直接は表現されず、民意を媒介します
        _,..-――-:..、         ^^            (それゆえ、周以降の王朝は絶対的な神聖性を持たないー打倒されうるー存在となります)。
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       :::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
         ::::::::::::::::::::∧.....∧                   殷周革命から数百年。共和(※10)、宣王、幽王と続いて、
         :::::::::  ( ::;;;;;;;;:)                     いわゆる周の東遷という事態に至ります。
            _..  /⌒:::;;;;;ヽ                    王権が揺らぐ中で、有識者達は創業の精神に立ち返るべく訴えかけます。
  -― ―'ー'-''―-''/ / ::;;;;;;;;:| |―'''ー'-''―            そうした危機意識の中で天の思想が深められ、
   ,,  '''' .  ''''' と./ゝ_;_;_ノヽつ   、、,          「詩」や「書」の原型が形成されます(確立するのはもっと後)。
      ,,, ''  ,,,    ::;;;;;;;;;::: ,,  '''''  ,

       天道是か非か…

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8871 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:27:55 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ                 17/30
                (・ω・`)             孔子は「詩」を重んじました。
             _φ___⊂)__             「詩」を理解し、広く知見を求め、「礼(の本質)」を尊んで「仁」に到達する。
           /旦/三/ /|             伝統とは、単に「ある」のではなく、「あるべき」ものなのです。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |             ○孔子は、子の鯉とは今一ついまくいかず、自ら教えることはほとんどありませんでした。
        | 018   |/             が、「詩」と「礼」を学ばねばならない、ということは話しています。

                                 ○本書では「仁」(という概念)は孔子に始まるとしています。
    ∧,,∧  ∧,,∧                    一方、「孔丘」では、陽虎が孔子に仕官を促した際に「仁」という未知の
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧                概念を使ったことに衝撃を受けた孔子が、「仁」の概念の再構築を行っています。
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'

         「仁」とは…

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8873 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:28:47 ID:zf3Cx2x.




                            18/30
                Λ_Λ            第三章 孔子の立場
                (・ω・`)             「人はみな、所与の世界に生きる。…(中略)…変革者は必ず思想家で
             _φ___⊂)__         なくてはならない。…(中略)…思想家は、しばしば反体制者となる」
           /旦/三/ /|         孔子もまた、このような存在でした。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 019   |/
                            孔子は長い亡命生活を送りましたが、春秋時代末期においては、
                            亡命はそう珍しいものではありませんでした。
 , -―-、、                         体制は硬直化する一方、社会は流動化。
/:::::::::::::∧_∧                    既存の枠からはみ出る人は多かったのです。
l:::::::::::::<丶`∀´>
ヽ、:::::::::フづとノ
  `~人  Y                        陽虎が孔子に仕官の誘いをかけたのも、変革者であったがゆえのことと思われます。
    し'(_)

  お宝を頂戴したニダ                 定公八(紀元前502)年に、魯の国宝である宝玉と大弓が盗まれるという
                            事件が書かれています。折しも陽虎が失脚して魯を去った年。
                            この二つの事件の関連は…?

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8874 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:29:29 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ               19/30
                (・ω・`)                実は、盗んだのは陽虎でした。犯人が分かっているのに、なぜ名を出さないのか。
             _φ___⊂)__             「盗」とは何でしょうか。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                前述したように、傍目には、孔子と陽虎は似た者同士でした(ともに三桓の勢力を弱めようとした)。
        | 020   |/                それゆえ、孔子の批判者は、孔子を叛逆者としています
                               (事実ではないでしょうが白公勝(※11)との話があります)。
【叛乱中】
        / )/)
        /   ソ                   孔子もまた、亡命中は「盗」でした。
      ⊂   う                   「殺すもの罪なし」とされる「群不逞の徒」です。
       (   ).∧_∧  父の仇!!      聖人たる孔子が…と思われるでしょうが、体制からみれば、ということです。
        V''`と(*・ω・)
            と  ,イ   ノ,,ノl
     lヽlヽ    / ,_ づ  (   )
     (   )  (ノ´    ⊂   く
     と___⌒つう     と 、 _ r''′

            ↑白公勝(白起の先祖説あり)

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8875 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:30:15 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ           20/30
                (・ω・`)            ここで、鄭の事例が挙げられています。
             _φ___⊂)__             一つは、亡命先の宋で公子子臧が殺害された事件(僖公二十四(紀元前636)年)。
           /旦/三/ /|             もう一つは、西宮で子駟・子国(子産の父)・子耳が殺害された事件(襄公十(紀元前563)年)です。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |             後者は「子産」の中盤の山場ですね。
        | 021   |/


          ___                   子臧の殺害犯については、名は不明です。
         ∧_∧                  こちらは「盗」が何者であるかではなく、殺害理由の考察です。
         V.| .|V                     華美な服装が…とされていますが、その背後に巫祝集団の存在(軽視できない組織力がある)が。
    , -―--.<>()<> --―-.、
   ////////|| ∧ ||//////∧
   |//,v^v.//|∧|i|∧|//,v^v//|         子駟達の殺害犯は名が知られています。
   V《〉[]〈》/||)8()8(||/,《〉[]〈》/           彼らは宋に亡命し、数年後に、(相当の財物と引き換えに)鄭に引き渡されて処刑されました。
    ┌><二_\il/_二><┐         鄭が引き渡しを求めなければ、彼らの亡命は、単なる移住でした。
   〔》γ⌒))≪〔!_i〕≫((⌒ヽ'《〕
    └‐---´======`----┘

   華美な服装…鷸冠(いつかん)
   AAは王冠だけど、春秋時代な目で見ると鷸冠だよ!

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8876 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:30:58 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ          21/30
                (・ω・`)           白川説によると、盗(旧字は盜)は、器中に水を注ぎ罵詈を加える形。
             _φ___⊂)__       血盟に水を注いで盟約を破棄する=従来の社会的秩序からの離脱者である、
           /旦/三/ /|       ということです。いわゆるこそ泥の類ではありません。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 022   |/
                          春秋時代には、工商の身分の人々が徐々に力をつけてきました。
                          史上に名を残した商人もいますし、王子朝の乱(※12)においては、
 , -―-、、                       それらの人々が王子朝を支えました。
/:::::::::::::∧_∧                   工の人々から後の墨家が生じたのではないかと思われます。
l:::::::::::::<丶`∀´>
ヽ、:::::::::フづとノ
  `~人  Y                      孔子と奴隷制とのかかわり(奴隷解放者か否か)については…
    し'(_)                     そもそも、奴隷の存在とマルキシズムでいう奴隷制とは別物ですし本書においても否定的です。
 , -―-、、
/:::::::::::::∧_∧
l:::::::::::::<丶`∀´>
ヽ、:::::::::フづとノ      ウ…ウリはこそ泥ではないニダ!
  `~人  Y
    し'(_)        ウリもこそ泥ではないニダ!

.


8877 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:31:42 ID:zf3Cx2x.




                              22/30
                Λ_Λ          亡命時の孔子と弟子達は「群不逞の徒」でした。
                (・ω・`)          ただ、亡命前の時点で「群不逞の徒」は入り込んでいました。
             _φ___⊂)__          子路や漆雕開(※13)がそうです。彼らは侠者というべき存在でした。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 023   |/         亡命前の弟子達は、礼楽を学んで仕官を…
                              という者が多かったと思われます(子路が季氏の宰になったように)。
                              亡命生活にあってはそれは望めなくなりますが、師弟の関係は深まり、思想の純度をも高めました。
    ∧__∧                    「所与の世界」を脱したことで、思想の自由を得たのです。
    (`・ω・)
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ                   それはやむことのない自己追及。
    /  l |                    「力足らざるなり」と嘆く若い弟子に「今、汝は画れり」と叱咤する。
"""~""""""~"""~"""~"            そうして至った境地が「七十にして己の欲する所に従うて矩を踰えず」。

 子路です…先生が不遇です…
 子路です…冠のひもはきちんと結ぼうね!

                              顔回に先立たれ孔子自身も亡くなるとその集団は分裂しますが、
    ∧__∧                    すべてが失われたわけではありません。
    (`・ω・´)                      その思想の系譜は、様々な形で思想史上に大きな影響を与えたのです。
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"
  漆雕開です…仕官したくないでござる!
  漆雕開です…先生とずっと一緒でござる!

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8879 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:33:06 ID:zf3Cx2x.




                                   23/30
                Λ_Λ                   第四章 儒教の批判者
                (・ω・`)                    「批判とは自他を区別することである」。
             _φ___⊂)__               前章までは孔子の生きた春秋時代(以前)について語られましたが、
           /旦/三/ /|               本章・次章は、孔子死後の、戦国時代における諸思想の展開について語られます。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 024   |/

                                   まず、墨子。
          __                     「兼愛」「非攻」など、儒とは真っ向から対立しているように見えますが、
  __    /  ./)          __       成立途上においては儒に近い面もありました。
/  ./)   三三)/)        /  ./)        (儒家は巫祝、墨家は工というように、ともに下層から生じた思想)
三三)/)   ∧,,∧   ∧,,∧   三三)/)       独自の思想を形成していく中で、儒との相違点が明確化します。
三三)/   (´;ω;)   (;ω;`)  三三)/
   ∧∧  と  φ)  .( つφノ  ∧,,∧           墨家といえば、「墨守」という言葉があるように、
  ( ´;ω)/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄(ω;` )         「非攻」を実現するための堅い守りが有名ですが、工から生じたのであれば、
  / _∧,,∧口  ∧,,∧ ⌒   □と_ ヽ           その高い技術力も腑に落ちるというもの。
  (/(  ´;)η口(;`  )/⌒/  /_ノ            また、強い団結と厳しい規律が、その特徴として挙げられます。
 ∥ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||             その思想的展開の中で、墨家は、天下を意識するようになります。
  __`ー‐'    `ー‐'
/  ../)       __
三三)/)     /  ./)
三三)/)     三三)/)
三三)/      三三)/   うう…防御兵器の設計の締切が…

.


8880 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:34:00 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ         24/30
                (・ω・`)          そして、墨の批判者という性質を持った、孟子が登場します。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|           …孟子は「亜聖」と言われるように、儒教においては、孔子以後で最大の存在です。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |           しかし、儒家の正統かというと、そうとも言い切れないのです。
        | 025   |/          (キリストに対するパウロの如き存在、という感じ)

                               孟子は仁義を併称しましたが、「義」は、実は墨家が重視した概念です。
    ∧__∧                     つまり、孟子は儒家を批判した墨家の再批判を行っていたのです。
Team(`・ω・) 儒
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ                    ときは戦国時代。
    /  l |                     春秋戦国時代(または東周時代)と一括りで語られることも多いですが、
"""~""""""~"""~"""~"             世界観は大きく変質していました(ここで、ノモス(※14)という哲学用語が出てきます)。

  孟子は諸国を遊説する際、        儒家は孟子・荀子によってノモス的世界に対応しましたが、
  従者数百人を従えていたと         墨家は対応できずに滅んだ、と。
  いわれる

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8881 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:34:36 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ              25/30
                (・ω・`)               秩序を重んじるノモス的世界。そこには個人の自由の存在する余地はありません。
             _φ___⊂)__          自由を得るには、体制から出てひたすらに自己追及するのみ。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 026   |/           この点において、荘子こそが、孔子の思想を最も正しく継承している…と言えます。


  ∧_∧                      「荘子」においてしばしば描かれる、孔子を超えてゆく顔回。
 ( ´・ω・)                           それは、イデア(※15)を探求する者の姿です。
 //\ ̄ ̄旦\
// ※\___\
\\  ※  ※ ※ ヽ                    荘子とくると、老子ですね。
  \ヽ-___--___ヽ                 「老荘思想」と言われるように老子(※16)が先にきますが、
                            実際の成立時期は、荘子の方が早いようです。

                              こちらは、ノモス的世界に背を向けた、いわば無の境地です。
 回、益せり。 回、仁義を忘れたり。     本書では「敗北の哲学」と表記されています。

 回、益せり。 回、礼楽を忘れたり。
                              なお、本章の最後に、孔子と荘子がともに宋にゆかりのある者ということに言及されています。
 回、益せり。 回、坐忘せり。

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8882 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:35:15 ID:zf3Cx2x.




                                         26/30
                Λ_Λ                         第五章 『論語』について
                (・ω・`)                          「論語」の文章は簡潔です(現代語訳でも1ページを越える節はわずか)。
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|                           その多くは「○○曰く」で始まる対話調ですが、
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |                           特に孔子のそれは、そのまま格言たり得るものである、といいます。
        | 027   |/                          続けて、「孟子」「墨子」「荘子」「老子」等の文章の比較。
                                         本書においては、「荘子」が(思想的文章として)最も高く評価されています。

 ∧,,∧                ∧,,∧
(´・ω・)            (´・ω・)
[(っ⌒/⌒o_            [(っ⌒/⌒o_                   儒家は、孔子の死後、いくつかの流派に分かれました。
|\⌒''⌒∧,,∧        |\⌒''⌒∧,,∧ ...zzZZ             批判者による評価とはいえ「腐れ儒者」と言いたくなる輩も少なからずいたようです。
|| || ̄ (´・ω・)          || || ̄ (´-ω-)
    ||  [(っ⌒/⌒o_         || .[.(っ⌒/⌒o_             さて、「論語」はどのようにして編纂されたのでしょうか。
    |\⌒''⌒∧,,∧         |\⌒''⌒∧,,∧
    || || ̄ (´・ω・).        || || ̄ (´・ω・)
        ||  [(っ⌒/⌒o_          ||  [(っ⌒/⌒o_        「論語」において、孔子以外で「○子」と呼ばれている(…師とみなされる)のは、
        |\⌒''⌒  \           |\⌒''⌒   \      有子(有若)・曾子(曾参)です。
        || || ̄ ̄ ̄ ̄||        || || ̄ ̄ ̄ ̄||       しかし、彼らは孔子最晩年の弟子であり、
                                         師との接点はさほどではありません。

  子曰く、「○○」  子曰く、「△△」

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8883 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:35:50 ID:zf3Cx2x.




                                       27/30
                Λ_Λ                       有力な弟子と言えば、中島敦「弟子」の主人公でもある子路、
                (・ω・`)                        唯一継承者たり得る存在であった顔回です
             _φ___⊂)__                         (あと、世俗的なつながりという意味では、子貢も)。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 028   |/                        「論語」は、次のようにまとめられたのではないかと推定されています。

                                        一 亡命生活を共にした子路・顔回がまとめた記録
          __                          二 孔子の死後、喪に服しつつ子貢がまとめた記録
  __    /  ./)          __                  三 最晩年の弟子で初期の有力者であった子游・子夏・子張の派の資料
/  ./)   三三)/)        /  ./)                 四 前出の有子・曾子の派の資料
三三)/)   ∧,,∧   ∧,,∧   三三)/)
三三)/   (´;ω;)   (;ω;`)  三三)/                以降、魯以外の諸国で加えられた説話等も含まれます。
   ∧∧  と  φ)  .( つφノ  ∧,,∧     __
  ( ´;ω)/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄(ω;` )  /  ./)
  / _∧,,∧口  ∧,,∧ ⌒   □と_ ヽ  三三)/)       現在の形の「論語」が成立した時期ははっきりしていません
  (/(  ´;)η口(;`  )/⌒/  /_ノ  三三)/)       (孟子や荀子の時代には原型はあったかも知れません)が、
 ∥ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/        孔子存命中から数百年にわたる思想の変遷が一緒くたにまとめられている、
  __`ー‐'    `ー‐'                             ということです。
/  ../)       __                           (それゆえ整合性が取れない個所もある)
三三)/)     /  ./)
三三)/)     三三)/)
三三)/      三三)/

 これが顔回の…これが子路の…
 これが…これが…
 これは…たれのだっけ…

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8884 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:36:26 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ            28/30
                (・ω・`)             統一に向かう(社会がノモス的なものになってゆく)中で、
             _φ___⊂)__              儒家の思想は政治的に都合の良いものに変質していきました。
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |              「石径の果て」の陸賈、「満天の星」の叔孫通、賈誼、董仲舒。
        | 029   |/
                                  彼らの志はともかくとして、個々人の精神の自由はどこにあるのでしょう。

    ∧__∧
    (`・ω・)                        これは、単に古代の話ではありません。現代は、当時と比べてもさらに
   .ノ^ yヽ、                      巨大なノモス的な社会と化しているわけですから。
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"                1972年の元旦に、著者が台北の聖廟を訪れたくだりをもって、
                                  本書はしめくくられています。
 陸賈です…高皇帝(劉邦)に「新語」を     太古の日本と中国の精神を探求し続けた著者らしい場面です。
 献じました…


    ∧__∧
    (`・ω・´)
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"

 叔孫通です…いろいろがんばったんよ…

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8885 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:36:58 ID:zf3Cx2x.




                Λ_Λ         29/30
                (・ω・`)         まとめ
             _φ___⊂)__         ○孔子は、親の名も知れぬ下級の巫祝階級の出身と考えられる。
           /旦/三/ /|          葬祭に関わる中で様々な教養を培った。
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |         ○改革者たらんとしたが、挫折して亡命を余儀なくされた。
        | 030   |/          当時、亡命者は「盜」と呼ばれ、体制の外におかれた。
                             ○その挫折と長く苦しい亡命生活が孔子の思想を発展させた。
                              しかし、顔回の早世もあり、孔子の死後、儒家は諸派に分かれた。
                             ○墨家は儒家の批判者。その再批判者が孟子。
                             ○主に孟子・荀子によって、儒家はノモス的社会に適応していった。
                             ○(本書においては)真の意味で孔子の思想を継承するのは荘子と考えられる。
                             ○「論語」は、孔子の死後数派に分裂した儒家が残した資料をまとめたもの。

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8886 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:38:24 ID:zf3Cx2x.




                         30/30
                Λ_Λ         関連する人名・事件等
                (・ω・`)          自分の興味で注を付けたのでややアンバランスですが…
             _φ___⊂)__
           /旦/三/ /|       ※01 季札…呉王・寿夢の少子。鄭の子産と並ぶ春秋時代屈指の知識人で、
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |           君子の中の君子と評されました。彼が呉王の使者として中原諸国を
        | 032   |/                巡ったとき(紀元前544年)にいくつかの予言をしていますが、
                              それらはことごとく当たったといいます。

                             魯…叔孫豹の末路を予言(まともには死ねない→庶子の牛に欺かれ餓死させられた)。
                                 古の舞曲を聴き、そのすべてを言い当て、適切に評した。

                             斉…晏嬰に、いったん政権から距離を置くよう話す。
                                 (その後内紛が生じ、その収拾後、晏嬰は宰相となる)

                             鄭…子産とは旧知の如き親しさを示す。
                                内紛の後、子産が執政(宰相)になると話す。

                             衛…賢大夫が多く、心配はいらないと話す。
                                 (衛は始皇帝による統一まで存続。
                                また、他国で活躍したが、戦国時代には呉起、商鞅という異才を輩出)
                                 鐘の音から、孫林父の傲慢さを指摘(以降、孫林父は生涯音楽を楽しまなかった)

                             晋…政権が(当時は、他に范・中行・知氏も有力であったにもかかわらず)
                                韓・魏・趙の三氏に帰することを予言。

                               ※02 世家…史記においては、周~前漢の間の諸侯の伝記を指します。
                              孔子は後に様々な称号を贈られています(諸侯や王にもなっています)。

                               ※03 三桓…春秋時代初期の君主・桓公の子を初代とする三氏(仲孫氏、叔孫氏、季孫氏。
                                   (桓公の次の)荘公の同母弟を初代とする季孫氏が最も栄えた)。
                                   代々魯の大臣の地位を独占していました。

                               ※04 子貢…氏名は端木賜(たんぼくし)。弁舌に優れ、政治家・事業家としても知られています。
                                   ○陳舜臣「中国傑物伝」に子貢の項があります。
                                   ○富豪として、「史記」の「貨殖列伝」に名が記されています。
                                   ○外交官として、一人で国際情勢を動かしています(子貢、一たび使いするや、
                               勢いをして相破らしむ。十年のうちに、五国各変あり)。
                                   ○「孔丘」にも異質の人物、として登場しますが、
                               終盤、残り100ページを切ったところでの初登場です。

                               ※05 周公…畿内の諸侯の称号ですが、通常、周王朝初期の周公旦(武王の弟。
                                   魯の初代君主・伯禽の父)を指します。太公望(姜姓。斉の初代)・召公
                               セキ(*02)(キツ(*03)姓。燕の初代)と並ぶ、周王朝建国の功臣の一人です。
                                   殷王朝を滅ぼして間もなく武王が崩じると、摂政として幼少の成王を補佐し、
                                 成長後は大政奉還をしています。

                             *02 セキ(機種依存文字)…爽の××のところが百
                             *03 キツ(機種依存文字)…女に吉

.


8888 : ◆IuH5dBO4yw : 2021/02/20(土) 14:38:59 ID:zf3Cx2x.

                          ※06 高宗…殷の武丁。疾を卜する資料から、言語障害があったとされています。
                              この王の頃から体系だった文字資料の出土がみられることから、
                              この時代に文字の原型が作られたと考えられています。
                              上述の「沈黙の王」の主人公でもあります。

                        ※07 雨乞いを行う王…よく知られるのは、殷の初代の湯王です。
                              九年にわたって続いた旱魃のとき、自ら犠牲となって雨を祈りました
                              (このときは無事に雨が降り、湯王は助かりました。さすがは聖人といったところでしょうか)。
                            「天空の舟」の終盤にこのくだりが描かれています。

                        ※08 口(サイ)…白川説の根幹をなす要素です。
                            多くの字に「口」が含まれていますが、これらは「口 くち」ではなく、
                             「口 サイ(ふたの付いた、祝詞をおさめた器)」であると解します。

                        ※09 崔杼、その君を弑す…斉の崔杼が自邸で君主を殺害した事件について、
                            大史(長男)がこう記録すると、崔杼は大史を殺し(て、その記録を変えようとし)ました。
                            しかし、大史の弟(次男)も、その弟(三男)も同様に記録しました。
                            崔杼は二人も殺しましたが、その弟(四男)も同様に記録したため、
                            ついにその記録は変えられませんでした。
                            …これには続きがあって、大史の四兄弟がみな死んだと聞いた南史(大史の補佐)は、同様に記録して都に向かい、
                            四男が生き残っ(て、「崔杼、その君を弑す」と記録され)たことを知ると帰ったそうです。

                          ※10 共和…レイ(*)王の時代、王が言論弾圧等の圧政を敷いたために追放されると、
                           二人の大臣が「共」に「和」して政務を執った(または「共」伯「和」という大臣が政務を執った)時期を指します。
                           紀元前841年~紀元前828年。

                               *04 レイ(機種依存文字)…がんだれに萬

                        ※11 白公勝…楚の平王の孫、太子建の子。
                             太子建が楚を追われ、亡命先の鄭で殺された後、楚に帰国して白公と称します。
                              父を殺した鄭への復讐を企て、叛乱を起こし(て、楚の令尹の子西を殺し)ましたが、敗死。
                           「韓非子」等に、その復讐心の凄まじさが描かれています(伍子胥の影響?)

                             ※12 王子朝の乱…昭公二十二(紀元前520)年に始まる周の後継争い。
                            王子朝は庶子でしたが器量はかなりのものであったようで、
                             晋なども巻き込む大乱となりました(残党も含めると終結までに十年以上かかっています)。
                           「老桃残記」で描かれています。

                            ※13 漆雕開…しっちょうかい。「孔丘」では漆雕啓、字を子開としています。
                            「論語」などでの登場は少ないですが、初期の弟子なだけに「孔丘」では出番が多いです。

                             ※14 ノモス…古代ギリシアにおいて用いられた社会概念で、法律、礼法、習慣、掟、
                            伝統文化といった規範を指します(Wikipediaから)。

                        ※15 イデア…もともとは、ものの「姿」や「形」を意味する言葉。
                            プラトン哲学におけるキーワード的概念。

                        ※16 老子…周を去る時に、関所の役人に乞われて「老子」を書き残したとされています。
                            若き日の孔子がそのもとを訪れたという話がありますが、いつ頃の人物かもよく分かっていません。
                            「孔丘」では、孔子が成周に行き老子に学ぶというくだりがあります。
                            (ただし、「老子」の著者ではない、としています)

                         なぜ叔梁「コツ」が機種依存文字で漆「雕」開はOKなのか…

                         あれ? 文庫本一冊の紹介なのに、上下巻の「沙中の回廊」(の紹介)より長くなっている…。

                         「孔子伝」の紹介は以上です。ご覧いただき、ありがとうございます。


      ∧,,∧    ∧,,∧    ∧,,∧    ∧,,∧    ∧,,∧    ∧,,∧
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     (っ=川o   (っ=川o   (っ=川o   (っ=川o   (っ=川o   (っ=川o
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8889 : 尋常な名無しさん : 2021/02/20(土) 14:39:55 ID:wk35H90E

乙でした
適度に挟まれているまとめが
部分的に興味を持った人にもどこを読んだらいいか分かり易い感じになっているとは思います

……やっぱり文字が多い気はするけどw


8890 : 尋常な名無しさん : 2021/02/20(土) 14:42:36 ID:fZ1tQMdI

乙です。
儒教は中国と日本に強い影響を与えた学問だと思いすぐ。


8891 : 尋常な名無しさん : 2021/02/20(土) 14:47:52 ID:fZ1tQMdI

儒教から朱子学、陽明学へ発展した認識だけど
儒教はうさんくさい変な学問ではなくまっとうに
人はどうあるべきかを説いているイメージ


8892 : 尋常な名無しさん : 2021/02/20(土) 14:49:05 ID:OdTMsitE

乙。

叔孫通さんはマナー講師として本当に頑張ったよね…。


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