公共性の哲学「議論には大切なことがあるんやで」
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|/::::::::>-―‐- 、
|:::/ 丶 昨日の言い争いは凄かったな。
|' 、_ \
| /:し> ヽ
|八:::ノ , -‐- 、 ',\ 「科学的に正しいなら社会的に正しいのか?」
| , {: : : : : :ヽ 、 |::::::〉
| /l>、 \: : : : : ノ /し:7 ,:/ 「科学の正しさなんて存在しないんじゃないか?」
|ヽ\ \_丶-‐' {:::ノ /
| l \ l>、 ' , 〃 「一方的に悪いと決めつけてるだけじゃないか?」
|ー---=、⌒ヽノ ' /
|、 \ )ーァ '´
|/\_ 丿 _/_ てな感じで、白熱していたな。
| / } ̄ }:::::::::::::ヽ
|\ァ'ー' /:::::::::::/
| /  ̄ ̄ そしてイッチのいう「科学の正しさ」について
|ー-r― く
| 乂_)_)_) 疑問を持っていた人が結構な数だったよな??
, -――- 、__
/ _ \} まぁ科学哲学については
/ /:::l ヽ
, -/ {::::::::| ', 読者投稿:科学ってなんじゃらほい
{: :; 〈 ヽ- ' |
ー! \ /⌒ヽ にあるように、反証可能性という考えが大事になる。
八-、 ' , ' /⌒` '―- 、
\ 〉 \
>―― < r――‐- . コメント欄に薦められてる書物を見たことはないので
\ ヽ \:::::::::::::::::::`丶、
丶 __ノ , -、 .>、:::::::::::::::::::::::> 科学哲学はなんとも言えんが、
丶 /:::::::l /\:\:::::::::::/
ー=/:::::::::|‐' \_フ¨´ とりあえず、反証可能性という概念を思い出してくれ。
/::/:::l::|
` ー一'
.
, ―- 、_,,.. - ..,,_
/.:.; ´ `丶 _
l/ {:.:.:.`丶 反証可能性こそが科学にとって大事であるなら、
/ __ _ l:.:.:.:.:.:.:}
_ ____ `⌒ヾ/´: : : :`丶 丶:.:.:.:/ 科学というのはいつでも正しくないことになりえる。
ノ `) , {: : : : : : : :} /{_x `Y
└、 ̄ ̄l ̄ ヽ:_: : : :_ノ {:::::ノ ,'
{_ ヽ-┐ ' /\ ̄ , / だから「科学的に正しい」っていう言葉は
、 \ }ノ /⌒\ ⌒\} , ' /
\ }.ノ―{ _ }_ , -‐-、/⌒\ / いつでもひっくり返ってしまう不安定なものになるんだ。
、__ }ノ / ` )
丿_ノ / /´ ̄`\
なので「科学的に正しい」は議論の基準にならないんだ。
-―- .
r::ァ'´ >‐ 、
V ヽ:::::::} だからイッチが
{ `¨}
', ー(::::::::) ー ' u / 「話し合いのときは科学的に正しいことを基準にしましょう。」
ヽ∵ーv―vク∵ /
(⌒>-=く⌒⌒) __ なんて言ったとき、
`(_ /⌒`ヽV´::::::::}
/ 〈_厂`ト┬―' |:::::::/
{ 〈_ノ ̄ ノ:/ 理系の人は?マークが頭に浮かんだだろう。
_ゝ. _ _ く´
((_(ノ  ̄ ̄ {_{__)) ほんと理系科目はパラダイムシフトだらけだからなぁ…。
.
___
_ , '"´ `丶―-、
/´.: : : ノ /^ヽ __ \:/ 一方でハンナ・アーレントの公共哲学の根本は
{:: : : :/ / ・ l /.:.:.:.:.:.:.:.ヽ ‘ ヽ
ヽ_/ l| | ヽ :.:.:.:.:.:.ノ ', ウェーバー先生の「脱魔術化」と「神々の闘争」が深く関わっているんだ。
| ヽゝ __,ノ  ̄ l
| , , /^ヽ ' ' l
、 , / ⌒\l ' / 「脱魔術化」とは簡単に言うと 「神は死んだ。」
\ \ / /
\ ヽ./-‐、イ }-‐ 7 つまり「絶対的に正しいことは失われた。」ということで、
/^ ー/⌒ヽ---‐{ ノ /
r―― ゝ. _ ヽ / 絶対的な正しさが失われた個人は
ヽ、 / , -―- 、 V
 ̄{ / { } 〉 , ⊥.. _ 自分の考える価値を絶対的な価値へとするために、
| \ ヽ. ノ//: :/: :/: )
ヽ ∟ -┘ /: : : : :/ 個人自身が神となり「神々の闘争」を始める。
> 、 _ _人_,/
/: : : : :/  ̄
(:_(_:_:(_/ これを「政治的なもの」に適用したのがカール・シュミットだ。
...::::ヽ
/>≦´ ̄ ̄``丶.
//::( ノ \ カール・シュミットの文脈では価値は通訳不可能なものであって、
/ , ゞ-‐' 、 ヽ
/ , ' {////∧ ', 価値判断においての合意なんていうのはありえない。
, ヽ ///ノ 」
{ /l>、`¨´ ,ィ= 、 /:::\
', ' / \_ /:::し:/ ,:::::::::::} つまり各々の基盤となる『共通善(社会の目的)』
、 { l/フ , ゞ-‐' {::::::/
ヽヽ _./ , `フ´ なんてのは存在せず、
\ , -‐-、 ' , -‐- 、 /}
く´ ̄ ̄`丶 V }'´ ノ 話し合って和解できるのかそもそも怪しい。
\ \ ヽ
\ } ヽ
/{丶 _/ ', これは今でもリベラル多元主義を考える上で重要で、
{ ハ }
ヽ∧ ; -― 、 いまなお自由主義の問題点を
`ヘ __ノ::::::::::.ー}
\ r 、 {:::::.. ̄ ̄ ̄¨フ 的確に、簡潔に、示したものだと言えるな。
.
_,,.. ..,,_
r ー ァ '"´ `丶__
{:/ {: : : : 〉 対してハンナ・アーレントが言ったことは
/ __ 丶:_:/l
,' /し:}, -- 、 、_ノ |-- 、
{ V//{:::::::::::::::} {しハ ,': : / 『基盤がないならみんなで作ろう。』
八∵ 丶 --‐' V// /}-‐'―┐_
\ /^\ ∵, - 、/ / /:::::)
/`/⌒\ / く _/::/´ ということだ。
/ \ ` ̄´ |/
丶 -----{ , -―- 、 '
ヽ 〈 { { 〉 / まずアーレントは「公共空間でも人間の行動」を
\` Z _く /
` T::::::::T"´ 『労働』 『仕事』 『活動』 について分けて考えた。
/::::::::::::〉
ヽ{:;;:{/
, -―‐- 、 __
_,. -―r- 、 _/ , _ \: :.} 中でも 『活動』 こそが民主主義の根幹だとするが、
, '´ | `丶 _ -‐ 、 lJ;;;! ∨
/{ l };;J(: : : : ノ ゝ::ノ } 『活動』 のためには 『仕事』 が重要なんだ。
〃 ', ' ∧:ノ  ̄ ノ ' , ' ,
{ 丶 ヽ、 / ' , ' ー--‐ '´ /
丶 \ く―- 、 / 『仕事』 とは目的のために生産活動をし、
ー―ァ / 丶 ⌒ヽ--/⌒ヽ_
丶--‐'´ 丶 〉 〈 `ヽ その成果が公共の場に公開される性質のものだ。
` ーァ' ヽ }
, -―-、 / }/
く: .: .:.:.:.:.:.:丶. { } この 『仕事』 こそが世界を形作るものなんだ。
丶 :.:.:.:.:.:.:`¨ハ ノ
 ̄/.:.:.`' ァ‐----<´:.:.:\
(_(:.:.:ノ_/ 丶_):.:)_)
.
, -――一ァー―‐- .
/: : : : : : / `丶
{: : : : / `丶 仕事の代表例には科学というものがある。
/⌒ヽ‐'´ /´ ̄`ヽ \- 、
/ ヽ " l , -―- 、 ',: :}
/ V ・ /: : : : : : :\ ∨ 科学は神秘の探求を目的としていて
,' V ・ {:: : : : : : : : :}- 、l
| ', ・ ヽ::::::::: : : : / l| その成果物は公共の場にさらされる。
| l /\ 丶--‐'´・ |
| | | 丶 _ ・;
‘. jー- 、 l > / その成果物である科学的成果が公共の場で信頼され、
/ ∧ ' ヽ ヽ _,/ ・/
{ ハ / | / 広がることで、『活動』
ヽ、 \ / j _,. イノ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `)
`T `¨¨´ /ー---‐=ニ´ /\ / …具体的には議論のための
| _/ \ /
| \‐'´ 民主主義的な基盤が整備されるんだ。
, -―――‐- 、 __
_ ,/ `丶//∧ 他の仕事の具体例としては芸術があげられる。
/'// ノヽ/|
{ /// 、 ∠)ハ ヾ それもまた、私たちの共通認識に役立っている。
V// /:(_>、 , -―- 、 {:i;;;;}:::} ',
V ハ:{;;;;ノ} / } V::::::ノ l
| 乂::::ノ ヽ ___ ,ノ | だから「科学的な正しさ」などの『仕事』の成果物は
l , , , へ、 ' ' ,
', , / \ ' / 民主主義の基盤を考える上では
ヽ、 _ // ̄ ̄`ヽ -- 、 ∠、
>‐-、//⌒l| | l⌒\) ) 常に正しいことなんだとも言えるんだ。
〈 / || | | ヽ/
\ / 八 ノ人 }
.
_,. -――- ..,_
, '´ `丶.
, -― 、 \¨ 丶
/::::::::::::::ノ \::::} 逆に言うと、そういう基盤がないと俺たちは
{:::::::::/ ∨
ハ_/ ', すべての発言に対して「神々の闘争」を
l し ',
| | 行わなければならない。
', , '"´  ̄ `ヽ ;
'、 ー-‐ ''´ {: : : : : : : : } ` ''ー, /
丶 ' , ` ー----‐' ' / …そんくらい今の世の中には
{ \ , . -‐- 、 /^! , -- 、 ' /
, -―‐-ゝ ` ー' ヽ 'ー-‐'/ `フ
〈:::::::::::::::::::::/ , -―- 、 'ー--' イヽ 「絶対的な価値基準は存在しない。」
ヽ:::::::::::::::,′ { \ | \
ヽ::::::::::i ゝ、 > | ',
\:::| ` ー--‐'′ ;'ー-- '
`', / だから 『仕事』 の成果物を信頼することは重要なんだ。
ヽ /
>、 /.、 そうじゃないと民主主義はたちまち失われることになるだろう。
/::::::` ァー----r…'´:::::::::\
/::/::::;::::::/ \::::::::、:::\:}
〈::/::::/::::/ 丶 _> '"
` ー='
__
rァ'´ u `丶 _
/ r‐、 _┘{::::} だからこそ、公共性を考えれば科学とは公共的であり、
/ \_) / ‘T′
{ u ∵√}⌒! , -‐ ニ-'―― 倫理的責任も引き受けるという
ヽ U /⌒ /⌒l {/´/
\ /⌒ ( /./ | 科学哲学とは違う科学観なんだ。
`¨ゝ  ̄ヽ \ |
| ', |
八 }-‐ 、 、 そういう意味では「科学的に正しい」の正しさは
___.ヽ /: : / \
{: : : : : : : : :>―='ー‐'´ ` ー-=ゝ . ___ 立場によっては擁護されるもんなんだ。
丶---‐ '´
.
_,,.. ..,,_
r― ァ'´ `丶― 、
l:::::::/ \:| だが、今では専門化が異常なほどまで進み、
/ー' ヽ
, } 『仕事』の成果を正しく公共の場に示すということが
{ ,
. / 難しくなっているんだ。
', /⌒\ /}
Y⌒' Y ⌒^´) /
/⌒! // (知りたい人は妥当性境界で調べてみるといいだろう。)
/ | ∨
/ ノ | ~~~おわり~~~
.
乙、昨日のモヤモヤが少しスッキリした
異なる価値観、宗教、人種、文化、言語の人間の間で唯一共有可能な判断基準が科学だからこそ、
そこを否定されると、お前とは話し合う気はない、と言われたようになりますな。
乙です。一連の科学議論の中で一番しっくりきた。
昨日のあれは議論の場においては理論>>>>感情論で議論すべきって言いたかったのかなと思う次第
>>5565
それこそ個人が感情で動いたら、神々の闘争不可避なんだよなぁ。
乙です
ムムム、ムツカシイ……
乙ー
つまり公共的には科学的な正しさは前提として確固たるものとして扱われるが、科学の内側では曖昧なものであると・・・・
>>5569
めっちゃ、要約うまいな!?
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