やる夫が高橋是清になるようです 第17話 初期議会と日清戦争
454 ◆.mbjSZIPUc 2010/08/21(土) 21:07:50 ID:o8QAXTVY
《やる夫の履歴書 ①》
1854年(安政元年) 江戸で生まれるが、すぐに養子に出される
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1864年(元治元年) 11才 横浜で英語を学ぶ
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1867年(慶応3年) 14才 アメリカへ留学するが、奴隷に売られる
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1868年(明治元年) 15才 帰国し、森有礼の家に居候
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1869年(明治2年) 16才 大学南校の英語教師になる
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1870年(明治3年) 17才 250両の借金を負ったあげく、教師を辞職、芸者のヒモになる。
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1871年(明治4年) 18才 高給で唐津の英語学校教師に招かれる。
すぐに借金を完済するが、婚約していた芸者には逃げられる。
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1872年(明治5年) 19才 唐津の英語学校教師を辞職。
東京へ戻って大蔵省に入るが、上司とケンカして辞職。
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1873年(明治6年) 20才 末松謙澄と新聞記事を翻訳して売る仕事を始めるが、しばらくして脚気を患う。
その後、森有礼の紹介で文部省に入り、モーレーの通訳として勤務。
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455 ◆.mbjSZIPUc 2010/08/21(土) 21:08:18 ID:o8QAXTVY
《やる夫の履歴書 ②》
1875年(明治8年) 22才 大阪英語学校校長に任命されるが、赴任する前に辞職。
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1876年(明治9年) 23才 仏教研究から足を洗い、東京英語学校教員になる。
西郷里ゆうと結婚。
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1877年(明治10年) 24才 教員を辞職し、長野県の家畜市場改良に取り組むが失敗。大金をドブに捨てる。
長男 是賢誕生、父親になる。
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1878年(明治11年) 25才 フルベッキの帰国にともない、神田淡路町に引っ越す。内務省の委嘱を受け、
翻訳をするかたわら、共立学校を再興し、校長となる。
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1880年(明治13年) 27才 銀相場に手を出し、大金をドブに捨てる。
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1881年(明治14年) 28才 相場の仲買店を経営、大金をドブに捨てる。
4月 文部省に採用される。
5月 農商務省へ異動。
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1884年(明治17年) 31才 農商務省工務局 商標登録所長になる。
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1885年(明治18年) 32才 農商務省工務局 商標登録所長兼専売特許所長
11月 商標登録・特許制度調査のため欧米へ出張
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1886年(明治19年) 33才 アメリカで制度調査に従事、その後ヨーロッパへ渡る。
11月 帰国
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1887年(明治20年) 34才 特許局が設立され、その局長に就任。
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1889年(明治22年) 36才 3月 東京農林学校校長を兼務
11月 ペルーのカラワクラ鉱山経営のためにペルーへ
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1890年(明治23年) 37才 1月 ペルーのリマに到着
2月 カラワクラ鉱山へ出発
3月 鉱山が廃鉱同然なことが判明
4月 帰国
456 ◆.mbjSZIPUc 2010/08/21(土) 21:08:56 ID:o8QAXTVY
《やる夫の履歴書③》
1892年(明治25年) 39才 手を出したあらゆる事業に失敗し、自宅を手放す。
6月 日本銀行建築所事務主任となる
1893年(明治26年) 40才 日本銀行に正式採用される。