太平洋戦争での敗北の責任を痛感、議員辞職に悩んだ三木に対してピシャリ思いとどまらせた睦子であったが、その後も三木の政治人生の中で、随所に「最強の猛妻」ぶりを発揮し続けた。三つの例を挙げてみる。一つは、総裁選出馬に関してである。佐藤栄作首相が自民党総裁選に「3選」を目指した際、三木が初めて対立候補として出馬したときである。当時のメディア論調は「『3選』に揺らぎなし」だったが、三木は「人心が倦んでは