パキスタンの建国後、カラチではビリヤニ・ブームが巻き起こった。店ごとの微妙な味の違いこそが、ビリヤニ通の舌と心を刺激する。
ムハンマド・サキブさん(36)は「うちのビリヤニは前の店と違うというだけでなく、世界で唯一無二」と言い、骨髄のだしで炊き込んだビリヤニにハーブを乗せる。
向かいの店のムハンマド・ザインさん(27)は「ここでビリヤニ屋を始めたのはうちが最初」と主張する。「オリジナルレシピは秘密だ」
だが、2人の意見が一致することが一つある。
「
パキスタンみたいなビリヤニは、世界中どこでも見つからないと思う」とサキブさん。ザインさんは「祝い事などの席で、ビリヤニはまず欠かせない」と話す。
英国の
南アジア植民地支配は1947年に終焉(えん)したが、同時にこの地域は宗教的な境界線に沿って断絶してしまった。
新生
パキスタンのヒンズー教徒とシーク教徒はインドへ逃れ、インドのイスラム教徒は
パキスタンへ逃れて「モハジール(Mohajir)」と呼ばれた。以来、両国は宿敵として紛争を繰り返している。貿易や観光による往来もほとんどない。
モハジールの多くが住み着いたカラチは、1947年の人口40万人から、今や2000万人を擁する世界有数の大都市となった。
インド料理史研究家のプシュペシュ・パント(Pushpesh Pant)さんは、
南アジアのるつぼのようなカラチのビリヤニは共通する文化を再認識させると話す。「
パキスタンの一部とインドの一部の料理や味の違いは、人が引いた国境から考えるほど大きくない」
■無限のバリエーション
ビリヤニのレシピには無限のバリエーションがある。
イスラム教国の
パキスタンでは牛肉入りが好まれ、ヒンズー教徒が多いインドではベジタリアン向けが人気だ。
鶏肉はどこも共通で、海沿いではシーフードも入る。純粋主義者の間では、ジャガイモを入れるのが異端かどうかという議論がある。
ビリヤニの起源にも諸説あるが、16〜19世紀に
南アジアを支配したムガール(Mughal)帝国の宮廷料理だったという説が有力視されている。
そうした由緒ある料理だとしても、ビリヤニの決定的な特徴はやはりさまざまにアレンジできる点にある。
キュラトゥル・アイン・アサドさん(40)は、1948年にインドからカラチにやって来たモハジールの子孫だ。だが夕食に出されたビリヤニは代々続くレシピではなく、テレビで有名なシェフが考案した冷たいヨーグルトソースをかけるレシピだ。
そんなアサドさんも「カラチのビリヤニを一度食べたら、他のどこのビリヤニも好きになれない」と言う。「隠し味はない。ただ情熱と喜びをもって作るだけ。だからおいしい」
一度に大量に作れるビリヤニは、慈善メニューの定番でもある。「ガジ・フーズ(Ghazi Foods)」で働くアリ・ナワズさん(28)は数十食分のビリヤニを袋に詰めていた。バイクで貧困地域に届けるためだ。
バイクが止まって1分もすると、子どもや若者たちの手に渡り、ビリヤニはすっかりなくなってしまう。
「ビリヤニを食べながら、みんな私たちのために祈ってくれる」とナワズさん。「私たちのビリヤニが人々に届くのはいい気分です」
【翻訳編集】AFPBB News
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