(イラスト◎谷口シロウ)

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介護や看護のために離職する「介護離職」は、2010年代になっておよそ2倍に増えているそうです(2007年比)。介護離職が増加すれば、企業の人材が流出し、労働力不足により経済の減速につながることも懸念され、経済産業省によると、介護離職に伴う経済全体の付加価値損失は、1年当たり約6,500億円と見込まれるとか。飯沼佳子さん(仮名・神奈川県・主婦・62歳)も、まじめに暮らしてきたものの、子育てや介護で仕事を離れたこともあり、老後気がつけば修羅場のまっただ中!一方、必死に仕事を続けていた友人は――。

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子育てや介護の苦労もわかり合えていた

彼女とは若い頃、仕事を通じて知り会った。かれこれ40年のつきあいになる。お互いに読書好きで、周りからちょっと変わった人と思われていたけれど、それゆえに理解し合えるところもあった。

しかし、服装やお金の使い方は大違い。私も堅実に暮らしていたが、給料はある程度自由に使って流行の服やバッグを買った。しかし彼女はいつも大きな布の袋を肩から提げ、服は布地を買って手作りする。「流行はすぐに変わるけれど、布地さえよければずっと使える」というのが彼女の持論だ。私のおしゃれなバッグはろくに物が入らないので、私が買い物をしたときは「袋に入れてあげる」と言って、帰るまで持っていてくれた。

「喉が渇いたなあ、喫茶店に入る?」と聞くと、売店で飲み物を買って、公園のベンチで飲もうと言う。値段も安いし、外の空気を吸って緑を眺めながら飲むほうが体にもいいから、と。

冬になると、私はボーナスでスキー用具一式を買って滑りに行ったが、彼女は無料の「青少年の集い」に参加した。彼女に誘われて私もハイキングに同行したことがある。そこで出会った男性たちはみな善良そうでさわやかだったが、恋愛相手としては物足りなかった。

20代半ばの頃、私は夫と出会った。彼は顔、スタイル、服装のセンスも良く、デートのたびに自分の車で迎えに来てくれる。おしゃれなレストランでご馳走してくれた。友人に紹介すると、「モデルみたい」とうらやましがられ、つきあって半年もしないうちにプロポーズされたときには、幸せの絶頂で承諾した。

「顔では食べられないのよ」

しかし、私の家族は猛反対。なぜなら夫は自由業、今でいうフリーターだった。一方、わが家は全員公務員。「結婚は遊びとは違う、生活だ」と両親も姉たちも反対した。姉は「あんたがメンクイなのは知っているけど、顔では食べられないのよ」と心底心配していたが、私は誰の忠告にも耳を貸さず、結婚式の日取りを決定。

貯金はないと聞いていたので、結納はパスした。両親は「お前が公務員だから、なんとか食べていけるだろう」と、泣く泣く式に出席してくれたのだ。

数ヵ月後、友人も青少年の集いで知り合った人と結婚。お相手は、田舎から出て来た後、若くして自分の稼ぎで一軒家を購入した苦労人だった。

お互いに子どもが生まれると、子連れでよく遊びに行った。子育てが終わり親の介護が始まってからは、会って喋るのが私たちの息抜き。同じような苦労を経験し、わかり合えていた。

だが、私が気づかないうちに運命の歯車は少しずつずれ始めていたようだ。きっかけは、私が1人目を妊娠したときに仕事を辞めたことだろう。彼女はどんなことがあっても働き続けた。

子育てしていたときは4人の子どもを保育所に預け、お母さんががんになったときは退勤後に病院通い。「しんどくない?」と聞くと、「辞めたら二度と戻れない職場なのでもったいない」と話していた。

気づかないうちに大きな格差が……

彼女と私は何かが違うとはっきり気づいたのは、お互いが還暦を過ぎた頃だ。長い介護でパートすら辞めてしまった私が身につけているアクセサリーは、カラフルだが、何年も前に買ったイミテーション。

一方、彼女は地味でも一見して上等とわかる服にダイヤのネックレス。「それ、本物?」と聞くと、「イヤリングとペアで50万円くらいかな」とさりげなく答える。もはや40年前の布カバンの彼女とは別人だ。

彼女の子どもたちは全員独立したので、夫と2人で住む家を新築。野菜作りが趣味の夫のために、海が見える庭つきの別荘まで購入したという。自分の畑でとれた野菜を手にする夫の写真を見せてもらうと、自信に満ち、笑顔が眩しい。40年前に青少年の集いで会ったときはパッとしなかったのに。

一方、若い頃は芸能人に間違えられたわが夫は、お腹が出て見る影もない。しかも、たびたび転職したので、家計は安定せず、住宅ローンが残っている。病気や失業で独立できない30歳過ぎの子どもを抱えているので、私も夫も老体にムチ打って、若いときより過酷な状況で働く毎日だ。

老後の備えをしなかったわけではない。どんなに生活が厳しくても、公的年金はかかさず納めてきた。個人年金にも入り、公務員時代の年金を加えればやっていけるだろうと思っていた。

しかし、個人年金は1割源泉徴収されてしまうし、公務員時代の年金をもらうには、若い頃に受け取ったわずか数万円の一時金に数十万の利子を加算して返納しなければならない。現金で一括払いか、年金から差し引かれるか。だが、差し引かれたら子どもの小遣い程度しか残らない。

彼女は今度、働きながら取得した資格を活かして教室を開くそうだ。「働いていたときは世の中が灰色に見えたけど、今は薔薇色だわ」と明るい顔の彼女を見ていると、今になって思う。何があっても、仕事を辞めなかったのは賢明だ。子育てや介護はいつか終わる。でも、自分の人生は死ぬまで続く。苦しくても先を見て、目の前のことに翻弄されてはいけなかった。

彼女に会うたび「一緒に長生きしましょうね」と言われるが、私の笑顔はひきつるばかり。もはやゴージャス老後と下流老人。住む世界が違う。しかし今さら、失った時間が戻ることはない。

私の好きな相田みつをさんが言っている。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」。たとえ下流老人と思われても……。

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