実朝は鎌倉・由比ヶ浜に自ら宋に渡るべく船を造成させていましたが――(写真提供:Photo AC)

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小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る武士たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(総合、日曜午後8時ほか)。第38回「時を継ぐ者」では、三浦義村に命じて源実朝を屋敷へと連れ込み、鎌倉殿の座を娘婿・平賀朝雅へ譲るように迫る北条時政とりく。対する義時は泰時、時房、八田知家らを引き連れ、時政の屋敷を包囲。攻め込む機会を慎重に見定め…といった内容が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第8回は「源実朝」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!

【写真】源実朝の筆と伝わる『後拾遺和歌集(中院切)』。東京国立博物館所蔵

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源実朝と聞いてイメージすること

北条”パパ”時政が退いて、いよいよドラマも終盤です。

史実上の残された大事件というと、やはり源実朝の暗殺、承久の乱、義時の死あたりになるでしょうか。今回は、ドラマでは描かれなさそうな実朝の人物像について少し触れてみたいと思います。

みなさんは源実朝というと、どんなイメージをおもちですか?

和歌の名手。悲劇の暗殺劇。そのあたりから、「繊細」「孤独」のような言葉が浮かんでくるんじゃないでしょうか。

文学から見た実朝像

ぼくが実朝で直ちに思い出すのは、小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)所収の「実朝」です。

小林はかの俳聖・芭蕉の実朝論に先ず言及します。芭蕉はお弟子さんに『中頃の歌人は誰なるや』と問われて、言下に『西行と鎌倉右大臣ならん』と答えたそうです。実朝の和歌は昔から評価が高かったのですね。

それで肝腎の小林は、実朝の名歌である

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に波の寄るみゆ

を挙げて、「わたしはこれをとても悲しい歌だと見る」といいます。「実朝をその歌から、いわば内面から分析すると、透明な実朝という人が感得できる」というのが小林の実朝論だったように覚えています。

2020年に亡くなった山崎正和先生の『実朝出帆』も、かかる実朝イメージに重なるものでした。

山崎先生は実朝を、権力闘争のまっただ中にいながら「純粋すぎる魂」をもつ青年と捉え、中国へ向けて船出する、という彼の夢を阻止する役回りとして北条義時を配しました。

作中の義時は甥である実朝を愛し、理解しようとしながらも権力の人として振る舞わざるをえないのです。

歴史学から見た実朝像

こうした文学から見た実朝イメージに、歴史学は反対意見を表明しています。初めはぼくの師である五味文彦先生でしょう。

幕府が発する政所下文という文書の分析から、実朝は政治家としての務めをしっかりと果たしていたのだ、と指摘。それをさらに展開したのが時代考証役の坂井孝一さんで、実朝は名君だった、とおっしゃっています。

ぼくはどちらかと問われれば、文学者の実朝イメージかな。

それは政所の統括者だった実朝が、政務に精励していたと記された史料が見られないから。

政所ががんばって仕事をしていた、イコール、統括者の実朝が精力的だった、ことに必ずしもならない。下の者が仕事に励んで成果を出したけど、上は何にもしていない、なんてのは良くある話ですからね。

実朝は日本を離れようとしていた

実朝は先述しましたが、中国大陸へ赴こうとしました。東大寺の大仏を鋳造した陳和卿(ちんなけい)が実朝に拝謁した際に、「あなたの前世は中国の医王山の長老であり、私はその弟子だった」と言った。

その言に感じるところがあったのでしょう、実朝は彼に命じて大きな船を作らせ、医王山に向かおうとしたのです。

現役の将軍が長く鎌倉を留守にする。まるで夢物語ですが、完成した船はどうしたわけか動きませんでした。計画は頓挫したわけですが、もしも実朝が鎌倉での生活に満足していたら、こんな行動に出たでしょうか。

実朝の暗殺より1年前、母の政子は上洛して後鳥羽上皇の側近である卿二位(藤原兼子。上皇の乳母だった女性)と相談し、実朝の後継将軍として上皇の皇子を東下する話をまとめました。

時に実朝、満で26歳。この若さで彼は「子どものできない将軍」と実の母から認識され、次の将軍まで決められていたのです。

あなたが実朝だったとしたら…いやになりませんか? 「自分は必要とされない人間なんだ」、などと思いませんか?

鎌倉に居場所を持たないのを十分に知っていた

実朝の歌に、小林は先述のように「悲しみ」をみた。思想家の吉本隆明は、「ニヒリズム」を感じ取っています。ぼくは歌のことはよく分かりませんが、有名な百人一首に採られた歌には切なさを感じずにはいられません。

世の中は常にもがもな 渚漕ぐ海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手かなしも

訳としては、「世の中の様子は、いつまでも変わらずあってほしい。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟は、舳先にくくった綱で陸から引かれている。そんな普通の情景がいとおしい。」

「かなし」=いとおしいのは、つきつめると「綱」、なんです。小舟は綱で陸につなぎ止められている。綱がなければ繋がりをなくした舟は沖合に流されて、行方知れずになるか、沈んでしまうか。でも綱があるので、今は何とか渚をたゆたっている。

小舟は実朝でしょう。実朝は自身が鎌倉に居場所を持たないのを十分に知っている。でも「今は」綱が自分を鎌倉につなぎ止めている。

綱が具体的に何を意味するかは、分かりません。母(政子)や叔父(義時)が主導する政治状況なのか、神仏の加護なのか、それとも天の配剤なのか。

綱がいつまで小舟をつなぎ止めてくれるのかは定かでないけれども、私はそんな「今」をいとしく思う。

ぼくはこの歌をそんな風に解釈してみました。それで思うのです。こうした寂しい歌を作る実朝が腕まくりして、バリバリと仕事をこなしているようには思えないなあ、と。

さあ、大河ドラマは実朝をどう描写するでしょうか。またその最期はどのように描かれるのでしょうか。それはまさに「見てのお楽しみ」。

でもぼくのイメージする実朝は、斬りつけられて最期を迎えた際、どこか微笑んでいる…。そんな想像までしてしまうのです。