やたらと地元愛を押し付けてくる人には要注意?(写真提供:Photo AC)

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「社会的な成功こそが正義」といった価値観も見え隠れする現在の日本。YouTubeの心霊系チャンネルが登録者数20万人を超える「視えすぎ芸人」シークエンスはやともさんいわく「そうした価値観が強くなりすぎた結果、自分を失った一見“いい人”が生まれ、結果としてまわりの人を傷つけている」と言います。たとえば“地元最高!”と、地元愛を押し付けてくる人には気を付けたほうがいいそうで――。

【写真】鰻屋さんの前にたつシークエンスはやともさん

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「喧嘩が強いヤツがモテる」現象について

めちゃくちゃイケメンというわけではないけれど、いつも彼女が途切れない男性は、どんな人の周りにもいるのではないでしょうか。

特に、ヤンキーイズムが根付いている地域は、マッチョ性が重視され、怖いもの知らずの喧嘩が強いヤツがモテるという現象があります。

これは、人類が誕生した約500万年前から変わらず、特に貨幣の価値が可視化される前は、単純に喧嘩が強いやつが最強でした。腕っ節が強く、仲間や家族、コミュニティを守れる人がそのコミュニティの頂点に立てたのです。

雌が強い雄に魅力を感じるのは本能的に必然です。だからこそ、本能に近い状態で生きている幼少期は、運動神経がいいとか喧嘩が強い人が素敵に見えるのです。

ただ、本来ならば、本能だけで生きるのは10歳前後までで、それ以降は倫理や理性が培われ始めます。

本能だけの状態から修正され、理性のコントロールを身につけることが完了するのは20歳ごろ。女性も知的な人が好き、音楽の趣味が合う人がいいなど、求める男性のタイプが多様化してきます。

中には30代、40代まで、強い人が好きという本能的な人もいれば、10代のうちからもっと大人びた感性を持っている人もいるとは思いますが、平均すると大体20歳で修正されるといったところでしょう。

20歳で絶頂を迎えて“究極の内弁慶“に

そんな中で、10代までモテ続けてスクールカーストの頂点に立ってきたような男性には、女の子を惹きつける、本能的なモテ・テクニック(腕っ節の強さとそのマッチョ性)が身についている場合が多々。


『近づいてはいけない いい人 - 一億総サイコパス社会の歩き方』(著:シークエンスはやとも/発行:ヨシモトブックス  発売:ワニブックス)

このテクニックも、周りの住人全員をよく知っているような、地元などの狭いコミュニティならそのままでも通用するのかもしれません。しかし、20歳前後で東京などの大きな街に出てくることになれば、そうカンタンにいかなくなるはずです。

地元では頂点だった自分よりも、いろんな分野で才能を発揮している人たちがもちろん大勢いるし、たとえば「ただ腕っ節が強いだけのやつ」に、すんなり従う人ばかりではないでしょう。

そうなると、なぜ誰も俺の魅力に気づかないんだ、なぜみんなは自分に従わないんだ、振り向かないんだと怒りを抱き、フラストレーションはどんどん溜まり、その後の人生は下がる一方。

つまりこの人の場合は、20歳で絶頂を迎えてしまったわけです。

このような男は、地元から“モテる”という称号だけ身につけて出てきたため、取り巻きがいなくなると、途端に元気を失います。

でも、ヤンキーイズム好きな女性など、相性の良い相手を捕まえる能力には長けているでしょうから、もし仕事を見つけられなかったとしても、その女性に食べさせてもらい、生きていくことができるのかもしれません。

そして、外では誰からも自分を認めてもらえないため、引きこもって、自分に優しくしてくれる女性にだけ「うるせーんだよ」などとイキる。“究極の内弁慶”の完成です。

人生を軌道修正するために必要な“マイナス思考”

もちろん20歳以降でも理性のコントロールを修正し、成長を遂げる人もいると思います。

その人は、それまで頂点にいた自分よりもさらに、異性にモテモテの人や仕事ができる人を見つけ、自分よりも上の存在がいることを認めることができたのではないでしょうか。

自分は全然ダメだ、あいつには敵わない……と自分を卑下して初めて、あの人と同じようになるには何をすればいいのだろう、どこから始めればいいのだろう、と考えるようになる。


「自分を卑下して初めて、あの人と同じようになるには何をすればいいのだろう、どこから始めればいいのだろう、と考える」(写真提供:Photo AC)

このようなタイプのマイナス思考は、きっと人生を軌道修正するために必要なスキルです。実際、成長したければ、自分よりもさらに上のラインの、高いスペックを持っている人を見つけるのがもっとも効率的なのではないでしょうか。

”自分の絶頂期を過ごした地元”だから最高

“20歳で絶頂を迎えた人”とリンクする部分が多いのが、“地元最高!”と、地元愛を押し付けてくる人だと私は考えています。

たとえば地元で生まれて地元で過ごし、小中高とモテ続けてきた人がそのまま大人になるパターンでしょうか。

こういう人は、たとえ上京したとしても、同郷の仲間と常につるもうとして、彼女ができたら真っ先に地元の友達に会わせようとしたり、仲間内のBBQに連れて行こうとします。


鰻屋さんの前にたつシークエンスはやともさん(写真:シークエンスはやともさんのインスタグラムより)

盆暮正月、夏祭りには必ず地元に帰り、「俺、ほら、明日から地元の祭りだからいないじゃん?」と“みなさんご存じの”的に地元愛を垂れ流す。

はっきり言って、知りません。あなたが思う地元の魅力は、あなた以外の誰にも伝わりません。そもそも、本当にその地元が好きなのでしょうか。

現在の人口はどのぐらいなのか、小中学校がそれぞれいくつあるのか、特産品は何か。実際にその地元のことをどれだけ知っていて、理解しているのでしょうか。また、そんな大好きな地元に、どのぐらい貢献しているのでしょうか。

地元のことを実は何も知らず、ただ「地元大好き! 最高!」と言っているのは、個人の世界観の中だけの話。それは地元が好きというより、その土地で培われてきた自分が好きで、自分の絶頂を体験したのがその土地だったというだけなのではないでしょうか。

たまたまその土地に生まれ育っただけで、別に本気でその土地を愛しているわけではない。いつまでも自分のノスタルジーの中の理想に浸っていたい、という甘えが出ているだけの人。

そんな人に近づくと、その偏った地元愛にとことん付き合わされることになるので、注意しましょう。

※本稿は、『近づいてはいけない いい人 - 一億総サイコパス社会の歩き方』(発行:ヨシモトブックス  発売:ワニブックス)の一部を再編集したものです。