学生が恋愛物語を繰り広げる様子を、大人が楽しんでいる日本は稀有な国?(写真提供:Photo AC)

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「社会的な成功こそが正義」といった価値観も見え隠れする現在の日本。YouTubeの心霊系チャンネルが登録者数20万人を超える「視えすぎ芸人」シークエンスはやともさんいわく「そうした価値観が強くなりすぎた結果、自分を失った一見“いい人”が生まれ、結果としてまわりの人を傷つけている」と言います。たとえば「子供=清い」と無条件に捉える人なども要注意だそうで――。

【写真】灯りを一心に見つめるシークエンスはやともさん

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”中高生”の恋愛物語を”大人”が好んで見ている日本

海外旅行でその国の文化に触れたりすると、逆に日本特有の文化が浮き彫りになってくるものです。

その中の一つに、日本人は異常なぐらいに、学生を主役にしたドラマや映画が好きだというのがあるのではないでしょうか。

例えばアニメやファンタジー作品において、設定されるキャストは多くが子供。冒険に行くのも、アニメ化されるのも子供ばかりだし、子供を主役にした物語がとても多いと思います。

そして、他の国と圧倒的に違うのは、それを大人たちが好んで見ていること。

海外にも、学生や子供を主役にした作品はたくさんありますが、基本的に同年代の子供たちを中心に楽しむもので、それを前提に作られているものが多いと思います。

ところが日本では、中学生、高校生たちが恋愛物語を繰り広げる様子を、学生たちよりずっと多くの大人たちが楽しんで視聴している。これは世界から見ると、かなり稀有な文化だと思います。

“子供は何をしても清い”という思想

なぜこんな文化が生まれたかと言うと、日本人は“幼い”という言葉に、純粋さや尊さみたいなものが凝縮されているという幻想を抱いているからではないでしょうか。


『近づいてはいけない いい人 - 一億総サイコパス社会の歩き方』(著:シークエンスはやとも/発行:ヨシモトブックス  発売:ワニブックス)

そして、学生の存在もまた、清く捉えすぎているのだと思います。

つまり、学生や幼い子供たちは、過ちを犯しても、努力を重ねた末に失敗をしても、何をやっても美しいと捉えてしまう。ある意味、“子供は何をしても清い”という思想が、根付いているのかもしれません。

そうなると、大人は世間ずれして汚い、大人はずる賢くて悪いという構図も成り立ちます。

大人の社会に、純粋さや清らかさを持っている人はいないという思考になり、だからこそいつまでも無邪気で、少年少女のような感覚を持った大人が魅力的に見えるのかもしれません。

人の気持ちがわかるようになった大人こそ“清い”のでは

でも、勘違いしないでください。清い=純粋ではありません。

むしろ僕は、ある程度の努力や経験を繰り返したのちに、人の気持ちがわかるような心を持った状態こそ“清い”と思っています。それが心を?清める〞ということなのです。

友達と楽しみを共有し合ったり、コミュニケーションをとって人脈を広げたり、恋愛をして感動したり傷ついたりすることは、心を清めるためにしていることだと言えるのではないでしょうか。

大人こそ、清くないといけないのです。というのも、大人は子供たちにとっての理想型であり、現実問題を定義する存在でいるべきだからです。

お金の稼ぎ方云々よりも、人間としてどう生きていくべきか、自分の人生をもって清め方を提示するのが、大人の役割だと思うのです。

大人とは、堂々と「清らかです」と子供たちに胸を張れる人

「子供はある意味残酷だ」とよく言われるように、純粋さは悪だったりもします。相手の痛みを理解できず、平気で残酷ないじめや差別をしたりもします。

そんな子供たちに、大人は魂の清め方を提示し、導いていかなければいけないのに、それを純粋だ、清い、と良しとしてしまうことで、清め方がわからないまま成長してしまい、悪い大人がまた生まれてしまうのです。

小学校高学年にもなると、携帯を与えられるようになり、ネット環境を手にした子供たちはSNSなどに夢中になるけれど、そこには、「社畜しんどい」「旦那最悪」「結婚なんてしなきゃよかった」など、大人たちの愚痴や不平不満だらけ。

倫理や法律、リテラシーなどを培ってきた=清めてきた結果、仕事や恋愛、海外旅行などを自由にできるよとか、大人っていいものだよ、などという情報はあまり入ってこないのが現実です。


「SNSには『社畜しんどい』『旦那最悪』『結婚なんてしなきゃよかった』など、大人たちの愚痴や不平不満だらけ」(写真提供:Photo AC)

結果、大人について子供たちが知るのは「地獄じゃん」という不安か、YouTubeなどで大金を手にした、ぶっ飛んだ金持ちの成功話ぐらい。

大人になるための正しい手順を知ることができず、清め方もわからず、悪い意味で純粋無垢のまま大人になってしまうと、自分の気に入らないことが起こった時に、解決策がわからずに人を怒鳴ったり殴ったりするという凶暴な手段に向かってしまう恐れがあります。

僕たち大人は、お風呂はこうやって入るんだよ、トイレはこうするんだよ、という生活の仕方だけではなく、自分自身が堂々と「(いろんな経験をして)清らかです」と言える状態を提示し、もっと精神的な学びをさせてあげるべきではないでしょうか。

世間を変えられなくても、自分の周囲は変えられる

大人は、自分の人生に誇りを持って生きるべきです。どんな種類の仕事であろうが、年収がいくらであろうが、自分がやっている仕事や行動、人生に自信を持って、堂々と人に話せる状態でいればいいだけなのです。それを子供に見せてあげればいい。

広い視野で見ると、年収が800万円を超えると、その先は何億円、何兆円稼いでいようが、幸福度に大差はないという調査結果もあります。つまり、成功した人が偉いわけではないし、人生に成功と失敗という定義を作った時点で負けだと思います。

それよりも、「私はこうやって生きてきました!」と胸を張って言える自分に成長できた状態が、子供たちにとっての理想型なのではないでしょうか。

世間を変えるのは難しいけれど、自分の身の周りは変えることはできます。愚痴や不満ばかり言っている人に巻き込まれず、そんな人たちが拡散する負の思考に染まらずに、自分の身の周りを整えることで、何が起こってもジタバタすることがなくなるでしょう。

その先で、子供たちを清らかな大人に導くことができると思うのです。

※本稿は、『近づいてはいけない いい人 - 一億総サイコパス社会の歩き方』(発行:ヨシモトブックス  発売:ワニブックス)の一部を再編集したものです。