2022年上半期(1月〜6月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年3月27日)
埼玉県桶川市に、ユニークな菓子作りで注目を集める老舗和菓子店がある。両親から店を継いだ榊萌美さんは、発案した商品をヒットさせ、10年続いた赤字を黒字に変えた。「元ギャル」だったという6代目女将・榊さんの素顔を、フリーライターの川内イオさんが描く――。
筆者撮影
「五穀祭菓をかの」6代目の榊萌美さん - 筆者撮影

■実家の和菓子店を継いだ「6代目女将」が見た天国と地獄

2020年4月26日から3カ月間に起きたことを、榊萌美(さかきもえみ)は一生忘れない。

埼玉県桶川市に3店舗を構える、創業1887年(明治20年)の老舗和菓子店「五穀祭菓をかの」6代目の榊は、その日を心待ちにしていた。榊のアイデアで開発したポップな葛粉のアイス「葛きゃんでぃ」を1年半前に紹介してくれたテレビ番組が、「お取り寄せもできる中山道の新名物ベスト5」というコーナーで、もう一度、取り上げてくれるという連絡をもらっていたのだ。

放送時間になり、自宅で父母と番組を観ていた榊は仰天した。ランキング形式の構成で、まさかの1位。その瞬間から店の電話が鳴りやまず、ネットショップにもアクセスが殺到し、1日も経たないうちに2500件の注文が入った。

写真提供=五穀祭菓をかの
葛粉のアイス「葛きゃんでぃ」。溶けないアイスとして評判になった - 写真提供=五穀祭菓をかの

それだけの量の注文を一度に受けたことなどなく、「これは大変なことになった……」というのが、家族一同の感想だった。店舗の商品を切らすわけにはいかないから、職人は普段の業務と並行して膨大な葛きゃんでぃを作ることになり、店のスタッフも配送作業に追われた。その過程でミスが頻発し、苦情のメールや電話が止まらない。榊個人もSNSで誹謗(ひぼう)中傷に晒された。

この騒動の渦中、「俺はアイスを作るためにここにいるんじゃない」と職人を含む3人の従業員が店を辞めた。自分の責任だとショックを受ける榊に追い打ちをかけたのが、知人からの厳しい一言だった。

「お前が思いつきで始めたこと(葛きゃんでぃ)のせいで、みんな嫌な思いしてんだよ。お前は知識もなくて頭も悪いし、女は年取ったら価値がなくなるんだから、今のうちに金持ち捕まえて結婚しとけ」

今思えば、あまりの混乱ぶりを見かねて思わず出てしまった言葉だとわかるが、当時の榊には受け止めきれなかった。それからは、毎日気づけば涙が出ているという状態になった。

■思いがけぬ「ありがとう」の言葉

「もうやめたい。ぜんぶ捨てたい」

そう思い始めていた、8月のある日。「をかの」に葛粉を卸している問屋が訪ねてきて、榊に「ありがとうございました!」と頭を下げた。驚いて「え、なにがですか?」と問い返すと、問屋は何度も頭を下げながら、こう続けた。

「テレビで『をかの』の葛アイスが注目されたおかげで、いろいろなお店で作るようになったんです。コロナで注文がなくなってどうしようと思ってたけど、これで命がつながりました」

この瞬間、土砂降りの曇天に一筋の晴れ間がさすように、榊の胸のうちがスッと軽くなった。

「私のせいでたくさんの人を傷つけたと思ってたけど、救われた人もいるんだ。よかった……」

前向きな気持ちがよみがえった榊は、決心する。

「よく考えたら、コロナ禍でこんなに売れるのってめちゃいいことじゃん。今回、悲しいことになったのは私の力不足だから、次に同じようなことがあったら、みんなで笑えるようにしよう」

リングに倒れ、ノックアウト寸前だったボクサーがロープをつかんで立ち上がるように、6代目は挽回を誓った――。

筆者撮影
「五穀祭菓をかの」の外観 - 筆者撮影

■ギャルになって派手に振る舞う…笑顔の裏に隠された劣等感

榊は1995年、「をかの」5代目の父と母の元に生まれた。本店は桶川駅前の商店街にあり、商店街を遊び場にして育った。

「サングラスかけながら、三輪車でパン屋さんに行って、また来たの? 飴ちゃん舐める? って。八百屋さんに行ったら、お使い来たの? りんご持って帰りなって。うちのお店で働いている人たちも含めて、みんなに育ててもらいました」

明るく、朗らかな榊は、子どもの頃から大勢の友だちに囲まれていた。しかし、その笑顔の裏側には切ない劣等感も隠されていた。

「10歳年上のお姉ちゃんは中学校にファンクラブがあったくらい綺麗だし、委員会の代表をしたり、目立つ存在でした。でも、私はなにをするにも人より劣っていて、勉強もできなかったし運動神経も良くなかった。自分が人より秀でてる部分は友だちがたくさんいることだけで、そこで認められるしかないと思っていたから、嫌われないようにすごく必死でしたね」

「ギャル」だったころの榊さん(写真提供=榊さん)

中学に入ると、メイクをするようになった。父親から「なに考えてんだ!」と叱られ、メイク道具を一式捨てられたこともあるが、それでもやめなかった。高校生になる頃には、バッチリメイクでミニスカートのギャルになっていた。もちろん、女の子としてかわいらしくなりたいという想いはあったが、それだけではなかった。

思春期に入ると、友だちに嫌われることをさらに恐れるようになり、自己主張できなくなっていた。それでおとなしい見た目をしていたら、いじめられるかもしれないという危機感があった。ギャルになって派手に振る舞うのは、自分を守るための武装でもあったのだ。

根はマジメなので、テスト前には「赤点は取らないようにしよう」とこっそり勉強した。高校3年生になって進路を意識し始めると、「ちゃんと人の役に立てる大人になりたい。好きなことで誰かの役に立てるって素敵だな」と考えた。

学校で国語の授業を受けていた時、ふと「国語は得意だし、高校の国語の先生になろう!」と思い立ち、大学に進学した。

■両親の店を継いだ“あるきっかけ”

大学に入って想定外だったのは、同級生にギャルがひとりも見当たらなかったこと。周囲と話が合わず、明らかに浮いてしまった。そのうえ、授業についていけず、大学2年生になって小学校でインターンを始めた時、心が折れた。

晴れ着姿で友人とプリクラに写る榊さん(左)写真提供=榊さん

「当時の私は見た目が派手だったから、担当の先生からすごく嫌われちゃって。嫌われたくないと思って焦るとミスるじゃないですか。それで空回りして、めちゃくちゃ怒られて。私は子どもを伸び伸び育てるような先生になりたかったけど、その前に職員室での人間関係が怖いし、先生に向いてなかったと思って、諦めました」

目標を失った榊は、ほとんど大学に行かなくなった。この頃、母親が病に倒れ、入院する。ある日、病院に見舞いに行くと、病室で両親がなにやら深刻な様子で話しているのが聞こえた。ただならぬ様子に、榊は足を止めた。ふたりは、「これからお店をどうするか」を話し合っていた。

父親と一緒に「をかの」を支えてきた母親が初めて不在になり、その存在の大きさが明らかになったのだろう。「もし店を潰すなら、これからどうするのか考えなきゃな」という父親の言葉を耳にして、動揺した。

筆者撮影
店内に飾られたかつての「をかの」の店舗 - 筆者撮影

「お店がなくなるとしたら寂しい。でも、私は気が弱くて人の後をついて行くタイプだから、継ぐのは絶対無理。どうしよう……」

モヤモヤした思いを抱えながら、1週間が過ぎた。自宅からコンビニに向かっていたら、向かい側から小学校の同級生の母親が歩いてきて、「久しぶり! 元気?」と声をかけられた。

「今、なにしてるの?」
「大学に行ってます」
「そうなの⁉ お店継ぎなよ!」
「え⁉ なんでですか?」
「小学生の時にそう言ってたじゃん。いまだに、あれは良かったよねって話題になるんだよ」

榊は驚いた。なにもおぼえていなかったのだ。すぐ家に引き返し、小学校の卒業式の時に撮ったビデオを引っ張り出した。再生すると、幼い自分がカメラに向かって一生懸命に話していた。

「お父さんとお母さんがやっている仕事を、私もやりたい。それで楽させてあげたい」

その言葉を聞いた瞬間、身震いした。大学にも行かず、ダラダラとバイトしている今の自分と比べて、小学生の自分はまっすぐで、かっこいいと思った。

写真提供=榊さん
派手な髪型やメイクは自分を守るためでもあった - 写真提供=榊さん

卒業式のビデオと同じように、存在すら忘れていた熱い想いが一気に溢れ出した榊は、その日の夜、両親に「学校を辞めて、私が店を継ぐ」と宣言。両親からは「大変だから、やめたほうがいい」と止められたが、翌日には大学に退学届けを出した。

2013年、19歳の7月だった。

■不人気商品を生まれ変わらせたアイデア

大学を辞めていきなり家に戻っても、役には立てない。そう考えた榊は、短い学生時代に「唯一、ワクワクした」というアパレルのバイト先に、いきなり「就職させてほしい」と頭を下げた。

「自分に自信がなくて、自分が嫌いって思っていた時に、そこでバイトをしているのが唯一自分を保てる時間だったんですよ。私は人が好きだから、接客も楽しくて。販売の経験は、なにかに活きるだろうと思っていました」

バイト先のアパレル会社は、戸惑いながらも社員として採用してくれた。それから2年ほど、週6日、まじめにきっちり働いた。決して楽ではなかったし、伝説になるほど服を売ったわけでもないが、大学で目的を見失い、糸の切れた凧のようになっていた榊にとって「私も普通の人と同じように生きられるんだ!」という自信になった。

2016年3月、「をかの」に入社。まずは仕事を覚えようと店頭に立ち、和菓子を売った。そうすると、売れる商品、売れない商品がわかるようになる。

榊が目を付けたのは、葛ゼリー。「1日に1個も売れない日がざらにある」という不人気ぶりで、榊は両親に「売れないから、やめない?」と提案した。すると、病気から回復し、お店に戻っていた母が「おいしいんだけどね。あんただって、ゼリー好きだったじゃん」と言った。「いや、私が好きだったのはゼリーじゃなくて、凍らせたゼリーだよ」と答えた榊はハッとした。

近所のコンビニでバイトをしていた時、アイスの賞味期限が想像より長くて驚いた記憶がよみがえり、すぐに葛の問屋に電話した。「葛ゼリーを凍らせたらどうなりますか?」と尋ねると、「葛アイスという商品もありますよ」と教えてくれた。

これだ!

タイミングがいいことに、1週間後、地元でお祭りがある。そこでテスト販売しようということになり、父親が試作したアイスに「葛きゃんでぃ」と名付けて売ったら、ゼリーの時は1日に1個も売れなかったものが、2日間で1000本売れた。ふたりはすぐに「葛きゃんでぃ」の商品化を決定。包み紙などのデザインは、榊が担当した。

「当時、和菓子ってかわいいデザインのものがなかったんですよね。それで、自分が欲しいと思うものを売ったらいいだろうと考えました」

写真提供=五穀祭菓をかの
榊さんのアイデアから生まれた「葛きゃんでぃ」 - 写真提供=五穀祭菓をかの

■追い風に乗り切れなかった日

その年の夏から売られ始めたポップなデザインの葛きゃんでぃが一気に人気商品となって……という展開にはならない。お祭りの時と違い、お店に来た人しか存在に気付かないから、「ちょこちょこ売れる」程度だった。

変化のない毎日のなかで、空気が抜けた風船のように、榊のやる気は少しずつ萎んでいった。

「アパレルと違って、和菓子店は既存のお客さんが大半なので、新規のお客さんに声をかけることはあまりありません。店頭でお得意さんを待つだけの生活では、自分のいい部分がまったく活かされてないなと思うようになって」

筆者撮影
店頭に並ぶ「葛きゃんでぃ」。色鮮やかなパッケージが目を引く - 筆者撮影

榊は、「お店から出られないなら、せめてネットで外の世界とつながろう」と、自身のSNSでの発信に力を入れ始めた。するとフォロワーが増え、企業から撮影の仕事や、ホテルのアンバサダーをしてほしいという依頼が入るようになった。それは、榊にとって大きな刺激になった。

迎えた2018年9月、突風のような追い風が吹く。ゴールデンタイムのテレビ番組で葛きゃんでぃが紹介されたのだ。

事前に放送日を把握していたこともあり、テレビを観た遠方の人でも購入できるように、榊は「をかの」のネットショップを事前に立ち上げた。

しかし当日、番組が放送されると予想を超えるアクセスが殺到し、サーバーダウン。多くの注文を逃してしまい、結果的に、電話や店頭で受け付けした分も含めて、1週間で500件ほどの注文にとどまった。榊はネットで自社の和菓子を直販できるという手応えを得たものの、「失敗した」という感覚が拭えなかった。

■10年間ずっと赤字…数字を学んで気づいた経営危機

「をかの」で働き始めてから3年半が経った2019年の秋、榊はしっかり経営を学ぼうと考え、経営塾に通い始めた。そこで数字の見方を学び、初めて「をかの」の決算書を手にした時、目を疑った。過去10年間、ずっと赤字だと初めて知ったのだ。

「これはヤバすぎる! 本気でやらなきゃ!」

明治時代から130年以上続いてきた老舗の跡取りとして、それまでどこかのんびりと構えていた榊は、目の色を変えた。しかし、簡単に解決策が浮かぶはずもなく、右往左往しているうちに新型コロナウイルスのパンデミックが発生。お店の売り上げがガクンと落ち、「なんとかしなきゃ!」と本気で慌て始めた時、ホテルのアンバサダーの仕事で知り合った人から「BASE(ベイス)を使ってみたら?」と言われたことを思い出した。

BASEは、無料でネットショップを開設できるサービス。「をかの」のネットショップはあったものの、簡易な作りで以前にサーバーダウンして絶好の商機を逃したこともあり、榊は改めてBASEでネットショップを立ち上げた。そして、「をかの」の商品のなかでも榊が一押しのいちご大福を購入できるように設定し、自身のインスタグラムで告知したところ、3日間で200件の注文が入った。

上々な滑り出しを喜んでいたところに連絡があったのが、冒頭に記したテレビ番組の話。放送当日まで、「タイミングよくネットショップを整えておいてよかった」とテレビ効果に期待していた榊だが、「お取り寄せもできる中山道の新名物ベスト5」で1位に選ばれ、怒涛のごとく注文が入り始めてからは青ざめた。

その後の顚末(てんまつ)は、前述の通り。冷静に考えれば誰のせいでもないのだが、榊はすべて自分の責任だと落ち込み、一度はうつ状態に陥った。葛粉の問屋に感謝されたことでなんとか気持ちが切り替わり、「次に同じようなことがあったら、みんなで笑えるようにしよう」と奮起する。

■アイスだけには頼れない…次の狙いは「いちご大福」

2500件の注文をさばき終えるのに、3カ月。世の中は夏になり、葛きゃんでぃは「をかの」の稼ぎ頭になっていた。しかし、涼しくなればアイスの売り上げは落ちる。榊は「次のヒット商品を作ろう」と試行錯誤を繰り返したものの、なかなか納得できるものができない。

そうこうしているうちに秋が終わり、冬がきた。冬といえば、「をかの」の主力商品、いちご大福の季節。そこで、榊は考えた。前回は、3日間で200件の注文が入って満足してしまった。でも、振り返ってみれば、購入してくれた人たちは自分の親しい人たちやインスタのフォロワーで、コロナが最初に直撃した時期だったから、応援の意味もあっての注文だったはず。今回はちゃんと売らなきゃ。

そこで、まずはいちご大福の包装やパッケージのデザインを変えた。それから、ネットでの発信に力を入れた。音声SNS「Clubhouse(クラブハウス)」が日本でも話題になっていた時期で、榊は著名人が集まるルームで発言したり、自ら異業種交流の場としてルームを開きながら、「をかの」といちご大福を積極的にアピールした。

筆者撮影
包装のデザインを一新したいちご大福 - 筆者撮影

これで、ネットショップの売り上げはグッと伸びた。しかし、店の客は相変わらず、常連さんがほとんど。その様子を見て、「お店もなんとかしよう」と、手書きのビラを作り、店のスタッフとふたりでポスティングを始めた。

筆者撮影
いちご大福。ピンと張った糸を下ろしていくと… - 筆者撮影
筆者撮影
いちご大福は柔らかく、あっという間に半分に - 筆者撮影
筆者撮影
いちご大福の売り上げはグッと伸びた - 筆者撮影

榊によると、チラシの効果は限定的。1000枚配っても、それでお店に足を運ぶ人は3人弱だという。しかし、その3人は貴重な存在だ。一度食べておいしいと感じれば、周りの人たちに伝えてくれる。ひとりがふたりを呼び、ふたりが4人を連れてきて、という波が起きて、春ごろから店頭での売り上げも急速に伸び始めた。

「いちご大福はもともと人気があったんですけど、ほかのフルーツ大福はぜんぜん。ぶどう大福なんて、10個出しても1個しか売れない日もあるくらいだったんです。それでロスになるのが怖かったので土日だけの販売に絞ったんですけど、1日100個も売れるようになったんです」

■かき氷を売って気づいた波及効果

これで、もろ手を挙げてバンザイ! ……とはいかなかった。

「をかの」の職人は毎日さまざまな商品を作っているため、フルーツ大福だけがたくさん売れるようになると、負担が大きくなってしまう。葛きゃんでぃで現場がパンクした時、職人が辞めてしまったことを思い出した榊は、「これじゃあ、続かない。自分でできることを探そう」と方向転換を決める。

思いついたのは、かき氷。

「この2年間、コロナでお祭りが中止になって、地元で秩父の天然氷を仕入れている会社さんやお茶屋さんが『どうしよう』って悩んでいるのを聞いていました。地元から食材を仕入れたらみんなに還元できるし、自分がお客さんだったらあったら嬉しい商品だし、かき氷なら自分でぜんぶできると思ったんです」

SNS経由で受けた撮影の仕事のギャラなど自分の貯金を使って資材を購入し、本店の軒下にかき氷を食べられるスペースをDIY。同時に、かき氷のシロップ開発も始めた。最初に試作したかき氷を父親に食べてもらうと、評価は「15点」。なにが悪いの? と聞いたら「良い部分がわからない」と酷評されてしまった。

それからたくさんの人たちに試食をしてもらい、意見を聞いて、味を改善。夜になると、手書きのチラシを持ってポスティングにまわった。

2021年7月、ほうじ茶きなこクリーム、煎茶練乳、木苺みるく、パイナップルの4種類を売り始めた。すると、SNSやチラシを見た人たちが食べに来るようになり、それが口コミで広まって客の数が日に日に増えていき、しまいには店先に行列ができるようになった。最終的に7月から9月までの販売期間で、ひとつ850円から900円のかき氷を、1600杯販売。さらに、嬉しい波及効果もあった。

写真提供=榊さん
試行錯誤の末に完成させたかき氷 - 写真提供=榊さん

「和菓子を食べたことがなかった人が、かき氷を食べに来きたついでに和菓子を買ってくれて。それがおいしかったからって、別の機会に買いに来てくれた人がたくさんいたんです」

かき氷を前にした笑顔の榊さん。かき氷は口コミで広まり店先に行列ができるようになった(写真提供=榊さん)

実はこれまで、榊と父親の関係はあまりうまくいっていなかった。榊が次々と新しいことを始めるということは、それまでの経営の否定にもつながる。榊のアイデアは確かにインパクトがあったが、父母やスタッフがそれに振り回された感も否めない。榊は父親と日々接しながら、「心の底から喜ばれてはいない」と感じていたそうだ。

しかし、かき氷に関しては、父母や職人の手を借りず売り上げに貢献しただけでなく、新規の客の開拓にもつなげた。父親もそれを評価したのだろう。

ある日、父親は榊に「ありがとう」と伝えた。それがとにかく嬉しかった榊は、「こっちこそありがとう」と答えた。これを機に、ふたりの間のわだかまりは解けたという。

■ラッキーな黒字から地道な黒字へ

同じ年の8月末には、渋谷モディでBASEが運営するポップアップスペース「SHIBUYA BASE」に1週間、出店。父母からは「絶対売れないだろう。やめときなさい」と言われたが、平均して1日10万円以上を売り上げた。この記録は、いまだに「SHIBUYA BASE」の歴代1位である。

ネットとリアル、どちらも大切にするのは、「二兎を追う者は一兎をも得ず」になりかねず、経営的にはバランスが悪いかもしれない。しかし、榊が両方の世界を全力ダッシュで行き来することで、大勢のファンを作ることにつながった。

さらに、それまで原価計算が甘かった商品づくりにも目を向け、「作れば作るほど赤字」と判明した不採算商品のうち、20%の製造を中止。残りの80%は利益が出るように値上げした。「ぜんぜん売れなくなったらどうしよう」と不安を抱えながらの決断だったが、杞憂(きゆう)に終わった。

筆者撮影
和菓子屋さんのどら焼サンド。一口サイズで食べやすく人気商品の一つになった - 筆者撮影
筆者撮影
どら焼サンドの「いちご生クリームあんサンどら」 - 筆者撮影

「値上げ前と後で、売れた個数はぜんぜん変わりませんでした。これで、確信しました。お客さんが求めているのは安さではなくて、和菓子屋さんで買うという体験とか、職人の手作りでおいしいからとか、人に持っていくと喜ばれるという満足感なんですよね」

フルーツ大福とかき氷のヒット、不採算商品のカットと値上げという構造改革により、2021年を黒字で終えることができた。

「2020年は、テレビの効果で葛きゃんでぃが7万個売れて10年ぶりの黒字になりましたが、それはラッキーな黒字。昨年は地道にやった結果だったので、嬉しかったですね」

■プライベートブランドを立ち上げた狙い

榊は昨秋、ひとつ大きな決断をした。和菓子のプライベートブランド「萌え木」を立ち上げたのだ。そこにはふたつの理由がある。

「をかのの財務をもうちょっと早く改善するために、萌え木の和菓子の製造をお願いしようというのがひとつ。もうひとつ、自分が和菓子界で注目されるようになってきたのは周りのおかげで、ほんとにラッキーだったなと思っていて、その幸運を還元するために、和菓子の間口を広げる役になろうと考えたんです」

葛きゃんでぃ、いちご大福、かき氷は、若者に好評だった。そこから和菓子に興味を持ってくれる人たちも増えた。自分が旗振り役になって、もっと和菓子に興味を持ってもらおう、和菓子を好きになってもらおうという挑戦だ。

「萌え木」の第一弾は、羊羹。小ぶりな一口サイズで、マーブル模様の羊羹を開発した。なぜ、このデザインに? と尋ねると、榊は「私だったら、これがあったら嬉しいから」とほほ笑んだ。

筆者撮影
新ブランド「萌え木」の第一弾となった羊羹。鮮やかな色味が特徴だ - 筆者撮影

「私はいつも夜遅くまで仕事するから、あー疲れたー、甘いの摂取しようと思って、箱を開くじゃないですか。まず、見た目がかわいいから、テンション上がるんですよね。それで、今日はなに味にしようって選んで、串で刺してパクって食べて、あーおいしい! さあもうちょっとやるか! ってなると思うんです。スイーツはお腹を満たすために食べないし、正直言って、なくても困らない。でも、それをあえてみんなが買うのはなぜかというと、心を満たしたいからだと思うんですよ。だから、そこの部分でちゃんと満足できるような商品を出していこうと思います」

■「和菓子を食べようとみんなが思える世界にしたい」

例えば、今でも特別な行事やめでたい日には「とらやの羊羹」というニーズがある。でも、榊が意識しているのはもっと日常だ。友人の家に遊びに行く時、手土産に洋菓子を選ぶ人が多い。その選択肢に、和菓子を加えてもらうこと。あるいは、「今日は疲れたから」と自分のご褒美にスイーツを買う人たちに、「今日は和菓子にしよっ」と思ってもらうこと。

「萌え木」は、そのきっかけ作りにすぎない。

「萌え木で良い反響があった商品は、レシピを公開して地域の和菓子屋さんでも作れるようにしていきたいんです。あ、これSNSで見たことあると思ったら、若い人もその和菓子屋さんに入るじゃないですか。そのついでに大福を買って、それがおいしかったら、そのお店に通うようになるかもしれない。今日は和菓子を食べようって当たり前にみんなが思える世界にしたいですね」

筆者撮影
店に立つ榊さん。和菓子をもっと身近なものにしようと奮闘する日々は続く - 筆者撮影

----------
川内 イオ(かわうち・いお)
フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。
----------

(フリーライター 川内 イオ)