広枝氏は1905(明治38)年神奈川県出身。日本統治下の台湾で警察官となり、現在の苗栗県が属した新竹州内などで勤務した。連合軍との間で激しい戦闘が展開された1945年のマニラ市街戦では、台湾出身の隊員らには投降を促した一方で、自らは自決した。
広枝氏の部下で、巡査隊の小隊長だった劉維添さんは75年、位牌を勧化堂に安置。翌年から慰霊祭が行われ続けてきた。
勧化堂の黄錦源董事長(会長)によると、2008年からは事情を知った在台日本人の渡辺崇之さんの働きかけにより、日本人の参加者も増えたという。今年の慰霊祭には90歳を超える台湾人や台湾で学ぶ日本人留学生の姿もあった。
黄さんは、広枝氏の台湾出身日本兵に対する優しさや劉氏や戦友たちの恩義、渡辺さんらが台日の友情を継承しようとする思いは、得難いもので感動的だと語った。
(管瑞平/編集:齊藤啓介)