例えば、前回の2018年ロシア大会。日本代表を率いた西野朗監督は、1勝1分けで迎えたグループリーグ第3戦でメンバーを大きく入れ替え、決勝トーナメント1回戦に備えた。
「これはあとから聞いた話ですが、西野さんは『3戦目で休ませたい選手がいたけれど、その試合を落として決勝トーナメントに進めなくなったら元も子もない。そのギリギリのせめぎ合いのなかで、可能な限り(多くの)選手を入れ替えた』と。その結果、決勝トーナメント1回戦に余力を残して臨むことができ、当時のFIFAランク1位(ベルギー)相手に2−0までいったわけですから。夢を見ましたよね」
翻(ひるがえ)って、2002年はどうだったか。
「4試合フルに(ほぼ)同じメンバーでやったら、当然疲労は溜まりますよね。ワールドカップは、他の大会とは強度がまったく違いますから、技術的にうまいというだけでは全然足りない。肉体的には疲れていても頭は疲れていないとか、そういう選手をどれだけ育てられるか。そこに日本サッカーの未来はかかっているんだと思います」
あれから20年が経ち、日本サッカーも大きく様変わりした。
「一番(の変化)はやっぱり、選手の成長でしょうね」
山本はそう語り、表情をほころばせる。
「その時々で勝ったり負けたりはあるけれど、右肩上がりで成長していることは間違いありません。
かつてJリーグができたばかりの頃は、子どもたちに夢を聞くと、『Jリーガーになりたい』だったのが、今では『プレミアリーグで優勝したい』とか、『チャンピオンズリーグで優勝したい』とか、『日本代表でワールドカップを優勝したい』になっているんです。子どもたちの意識が変わって、もう目標値が3段階くらい上がっている。それこそが、日本サッカーの成長だと思います。
僕は(日本サッカー協会の)技術委員をしていて、アンダーカテゴリーの選手と接する機会がありますが、そこで話を聞いていても、20、30年前とはまったく違う。彼らの頭のなかには、以前とは明らかに異なる景色が描かれています。未来の目標設定が高くなれば、いずれはそこにたどり着けるはずです」
では具体的に、日本は未来にどんな景色を頭に描き、実現する必要があるのだろうか。
「チャンピオンズリーグの本戦で、日本人選手が何十人もプレーするようになることだと思います。そのなかでも、ベスト4に進むようなクラブで10人くらいがプレーするようになれば、いよいよワールドカップ優勝も狙えるか、ということになってくる。
今年は、長谷部(誠)や鎌田(大地)がフランクフルトで、ヨーロッパリーグではあるけれどチャンピオンになって、小野伸二(フェイエノールトで2002年にUEFAカップ優勝)以来、ヨーロッパタイトルのカップを掲げたわけです。そういう選手が常時出てくるようになれば、いずれすごいことが起こせると思います。そんな選手は、20年前にはほとんどいなかったわけですから」
それはすなわち、「世界基準の日常をどう実現していくか、に他ならない」と、山本は言う。
「そのためには、育成(に力を入れる)しかない。指導者と選手の育成。特に選手の育成の質をどう上げて、どう継続していくか。まずはU−17やU−20ワールドカップで優勝しないと、ワールドカップの優勝はないと思います。
2002年ワールドカップで活躍した小野や稲本(潤一)も、世界2位(1999年ワールドユース選手権準優勝)になったことで自信満々にプレーできるようになったし、その時に優勝したスペインが、約10年後に初めて世界チャンピオン(2010年ワールドカップ優勝)になっている。
今、イングランドが強くなっているのも、(2017年に)U−17やU−20の両方で世界チャンピオンになったから。育成がうまくいっているからだと思います」
アンダーカテゴリーの選手たちと接するなかで、山本は2002年当時の話をすることもあるという。
「2002年に日本でワールドカップがあったことを、今の子どもたちは知りませんからね。なので映像を見せて、『こういう時代もあったんだよ』と(苦笑)。『2002年当時の選手たちは、U−20で世界2位になったことがある。それを超えるには優勝しかない。おまえたちがその上に行って歴史を変えろ』。そんな話をいつもしています。
やっぱりA代表がワールドカップで勝つためには、修羅場をくぐっている選手をどれだけ増やすか。その経験値を上げるためにも、育成で成果を出すしかない。
そういう意味では、2002年に初めて決勝トーナメントに進出できたのも育成という土台があってこそだったので、その歴史はずっと生かされ続けていると思います」
いよいよ今年11月には、日本にとっては7大会連続7度目の出場となるワールドカップが開かれる。山本は「今回のワールドカップは、今の日本の本当の力を試す絶好の機会」と語り、森保一監督率いる日本代表に期待を寄せる。
「大事なのはいい選手を集めることよりも、結束力のあるチームにすること。そうすることで、チームは何倍もの力を発揮しますから。『ドーハの悲劇』を選手として経験した日本人監督が、チームをどうマネージメントして、一体化させていくのか、楽しみにしています」
過去にワールドカップで指揮を執った日本人監督は、岡田武史と西野のふたりだけ。だが、いずれもチームをベスト16進出に導いている。
まして、「岡田監督と西野監督は途中からの"ピンチヒッター"でしたが、森保監督は最初からやってきた」だけに、山本の期待は思い入れとともに一層膨らむ。
「森保監督は、U−20代表コーチとして(2007年U−20ワールドカップで)世界大会ベスト16の経験があるし、サンフレッチェ広島の監督としてはJ1で3度も優勝している。それだけの十分な経験があって、その経験の先に今があるのだから、堂々と胸を張ってやってほしいし、僕らは森保監督を信じるだけだと思っています」
(文中敬称略/おわり)
山本昌邦(やまもと・まさくに)
1958年4月4日生まれ。静岡県出身。国士舘大学卒業後、JSLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)入り。DFとして奮闘した。29歳の若さで現役を引退。指導者の道に進んだ。とりわけ、協会のナショナルコーチングスタッフとして手腕を発揮。U−20代表のコーチ(1995年、1999年U−20W杯※当時ワールドユース)、監督(1997年U−20W杯)、五輪代表のコーチ(1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪)、監督(2004年アテネ五輪)、A代表のコーチ(2002年W杯)を歴任。すべての世界大会に出場という、輝かしい成績を残した。現在は、指導者、解説者として奔走。