「当時の代表には僕のような選手はいないと思っていたし、誰もできないプレーができるという自信がありました。トルシエは厳しい監督で、何かあるとすぐ怒ってましたけど、『思い切ったプレーをしないとダメだ』と常に自分に言い聞かせていました。日本開催のワールドカップなんて一生に一度しかない。悔いの残らないようイケイケで行こうと思った。チャレンジャー精神がよかったんでしょうね」
1月の指宿合宿の後、3月のポーランド遠征、5月のレアル・マドリーとノルウェー代表とのアウェー戦など代表活動は数えるほどしかなかったが、短期間で足場を固めた三都主は本大会メンバー入りを果たす。「三都主なら何かをやってくれる」という大きな期待を抱かせた。そしてトルシエ監督も重要なトルコ戦で、満を持してスタメン抜擢するに至った。
「ヤナギ(柳沢敦)が首を痛めて出られず、普通にアキが入るんだろうなと。アキとモリシ(森島寛晃)のコンビならやりやすいし、それがベターと考えてました。だけど指名されたのは自分。しかもポジションは一度もやったことのない左寄りのシャドー。先制点を奪ったウミト・ダバラの裏を突き、アルパイに勝負を仕掛けようと思ったんです」
だが、日本が12分と早い時間に失点し、トルコが守勢に回ったことで、狙っていた穴がなくなり、三都主は悔しい結果を突きつけられた。ただ、誰にでも愛される人間性とスペシャルな武器を併せ持った彼がW杯に滑り込んだのは、ある意味、当然の流れだったと言っていい。
翻って、今の森保ジャパン。5か月後のカタールでサプライズ選出される人材がいるとすれば、三都主のように場の空気をパッと明るくでき、チームにスペシャルな強みをもたらせる人材に限られるだろう。7月のE-1選手権、あるいは9月の国際Aマッチデーでそういう選手が出現し、我々を驚かせてくれることを祈りたい。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
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