一軍登板なしなのに「オールスターファン投票1位」…ネット投票で起きた事件“川崎祭り”の渦中にいた男の“意外な願い”〈大宅賞受賞〉 から続く

 日刊スポーツ新聞社、Number編集部を経て、現在フリーライターとして活躍する鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)が、第53回大宅壮一ノンフィクション賞、第32回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した。

【写真】ダイヤモンドを駆け回る現役時代の森野将彦選手の姿を見る

 現場で実際に取材を重ねてきたからこそわかる落合氏の実像とは……。ここでは同書の一部を抜粋・再公開し、在りし日の森野将彦にまつわるエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む。初出:2021/10/12)

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プロ9年目の選手への激しいしごき

 まったく……ふざけんなよ。

 酸素が欠乏していく頭の中で、森野将彦は毒づいた。

 ゲーム開始までまだ4時間近くもある。投手も野手も肩慣らしをしている時分だというのに、自分だけがゼエゼエと息を切らし、汗を滴らせている。左右に放たれる白球を猟犬のように追いかけ、レフトとライトの間を何度も往復している。

 このアメリカンノックは若い選手をしごくための体力強化メニューであると同時に、廊下に立たされるような意味合いもある。2005年シーズンの森野にとって、それが試合前の日課のようになっていた。

 たしかに森野は控え選手だった。試合になればグラウンドに立っているよりベンチに座っている時間のほうが長い。それでも、プロ9年目で27歳になる自分が、まるで青二才の新人のように扱われることが不満だった。


森野将彦選手 ©文藝春秋

 一体、何のつもりなんだ。

 矛先はノックを打っているコーチではなく、それを指示した監督の落合博満に向けられていた。

豹変した落合監督

 落合は監督2年目になって豹変した。少なくとも森野の目にはそう映っていた。

 就任初年度の2004年は自らの考えを言葉にして選手に伝えていた。ベンチの中で笑ったり、しかめっ面をしたり、感情を表現することもあった。球団史上初めて監督1年目でのリーグ優勝を果たし、胴上げされた瞬間には目頭を押さえるシーンもあった。

 そうした言動から、選手たちは落合の体温を感じ取っていた。すべてをわかり合うことはなくとも、同じものを胸に抱いて戦っているのだと実感することができた。

 ただ、その年の日本シリーズで西武ライオンズに3勝4敗で敗れ、日本一を逃した瞬間から、落合は急速に選手たちから遠ざかっていった。

 指示はすべてコーチを介して出すようになり、ゲーム中はベンチの一番左端に座したまま、ほとんど動かなくなった。そこで首をやや左に傾げた姿勢のまま、じっと戦況を見つめるだけになった。その顔から心の温度は読み取れず、微動だにしない表情の中に、ただ二つの眼だけが光っていた。

 はるか遠くから、この組織の穴を探しているような、そんな眼だった。

 選手やスタッフとともに、チームの輪のなかにいたはずの落合が、自ら孤立していった。

 これが本当の落合監督なのかもしれない……。

 森野はそう感じていた。

指揮官の本性

 1年目のシーズンが終わった後、選手たちはこの指揮官の本性を垣間見た。落合は自ら開幕投手に指名した川崎憲次郎をはじめとする13人の選手に戦力外を通告した。その中には森野より後に入団してきた選手や、まだ2年目の選手もいた。

 毎年、秋に何人かが去っていくこの世界には、「若さは免罪符である」という暗黙の了解があった。入団3年目まではクビを切られることはないと、ほとんどの人間が考えていた。ただ、落合はそんな物差しを持ち合わせていないことを、実行をもって示した。冷徹な戦力の分別は、二軍や一軍半の立場にいる選手たちを戦慄させた。

 そんな空気のなか、中堅クラスに差し掛かろうという森野にも「このままでいいのか」という焦りがなかったわけではなかった。ただ、他の選手に比べるとどこか危機感は希薄だった。

 その原因はおそらくプロで初めて打ったホームランにあった。

 1997年、神奈川の東海大相模高校からドラフト2位で入団した森野は、その年の8月に一軍で初めての先発出場を果たした。

 ナゴヤドームの照明を浴びながら、見上げたマウンドには長身右腕のテリー・ブロスがいた。バッターボックスのすぐ背後にはマスクをかぶった古田敦也がいた。90年代に入って二度の日本一を勝ち取っている常勝ヤクルトの黄金バッテリーだった。

 ついこの間まで高校生だった自分が、テレビ画面の中にいたスター選手たちを相手にしている……。宙に浮くような感覚だったが、不思議と震えはなかった。そして速球を狙って振り出したはずの森野のバットは予期せぬスライダーに対応して、白球をライトスタンドまで飛ばした。

 高校を出たばかりの内野手が最初のシーズンで本塁打を記録したのは、中日において、ミスター・ドラゴンズと呼ばれる立浪和義以来、9年ぶりのことだった。

ひと目でわかる森野の才能

 ああ、俺はこの世界で、何かやれそうだな。

 ベースを一周する19歳の手には甘美で曖昧な感触が残った。それが、ただでさえ淡白な性格の森野から執着を奪っていた。

 それからは毎年のように地方テレビ局のアナウンサーから「今年こそレギュラーですね」と訊かれ、新聞にもそう書かれ、自分自身も何となくいつかそうなるのだろうと思っていた。事実、まわりを見渡してもバッティングで自分を凌ぐ選手というのは見当たらなかった。

 森野は長さ約90センチ、重量1キロの木の棒を、まるで柔らかいムチのように使うことができた。わずか0コンマ数秒の出来事であるはずのスイングがゆったりと美しく見える。それはひと目でわかる才能だった。

 時々の監督は、フリーバッティングで森野が飛ばす打球に見惚れた。自然とゲームで使いたくなる。ただ、いざ試合で打席に立たせてみると、あっさり三振して帰ってくることがしばしばだった。実戦になれば、ピッチャーは練習のときのようにはストライクを投げてこないからだ。

 それでもあの日の感触が囁いた。いつか、何となく打てるさ──。そうやって森野から悔しさや切迫感を消し去っていた。

 そのうちに1年が過ぎて、また「来年こそレギュラーですね」と問われる。いつか、いつか、と何となく自分の順番が来るのを待っているうちに10年近くが経っていた。

 あの日、「立浪以来の天才」と呼ばれたバッターは、いつしかゲームの終盤にしか求められなくなった。レギュラーである誰かの代わりに打ち、誰かの代わりに守る便利屋になっていた。

「お前は走っとけ」

 落合はそんな森野に、遠くから綻びを射抜くような視線を向けたのだ。

「お前は走っとけ」

 ベンチ裏で、グラウンドで、落合とすれ違うたびにそう言われた。試合前から、アメリカンノックを命じられ、まるで高校生のようにグラウンドを走らされた。

 なんで俺ばっかり……。

 プライドを踏みにじられた森野の胸は、やがて不満でいっぱいになっていった。

5月のある月曜日の出来事

 試合がない日のスタジアムは、休日の昼下がりのようにまどろんでいた。天井照明はいくつもある眼を半分ほどしか開けておらず、薄暗い無人の観客席はただ沈黙していた。

 夏の気配を色濃く感じるような5月のある月曜日、ナゴヤドームには数人の選手しかいなかった。翌日からのカードで投げるピッチャーと普段ベンチを温めているバッターたち。準主役と脇役というキャストも、弛緩した空気を助長していた。

 私はいつものように、重鎮たちが陣取る一塁側ベンチから離れたあたりに居場所を定めた。グラウンドとカメラマン席を隔てている腰の高さほどのラバーフェンスにもたれ、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。

 ゲームのない日にも新聞は刷られる。そのために私はペンとノートを持ってここにいる。ただ、末席の記者にできることはほとんどなかった。どこか遠く、別の場所で誰かが口を開き、それを誰かが記事にする。翌朝にはそれが紙面になっている。一面記事に縁のないザッカン記者である私は、ただそれを傍観するだけだった。

 グラウンドではバッティング練習が始まった。打者たちは順番に打撃ケージと呼ばれる、ネットが張られたカゴのなかで打席に立つ。そこで、打たせ屋とも言うべきバッティング投手の球を打つのだ。

 私のいる場所からは、バットを構えた打者を正面から見ることができた。いつもはカメラマン席の片隅でその他大勢に紛れ、馴染みのテレビマンらと談笑するのだが、その日はあえてひとり、そこにいた。

「おい、あの森野ってのは、なんでレギュラーじゃないんだ?」

「お前ら、もっと野球を見ろ。見てりゃあ、俺のコメントなんかなくたって記事を書けるじゃねえか──」

 落合はよく番記者にそう言った。キャンプ中や試合後の囲み取材の合間に、誰に向けるともなく呟いた。

「見るだけで記事を書くなんて、そんなことできるはずがない。きっと自分が口を開きたくないから、そのための方便だろう」

 私も含めて多くの記者がそう思っていた。ただ、なぜか頭の片隅に、ずっとその言葉が引っかかっていた。だから、どうせ退屈な練習を眺めるなら、落合が言うように、見るだけで記事が書けるかどうか、やってみようという気になったのだ。

 打たせ屋が投げて、脇役が打つ。投げては打つ。私の目の前には工事現場の機械音のように単調な繰り返しがあった。そのなかで、一人だけドームのまどろみを打ち破るような快音を響かせる選手がいた。森野という左バッターだった。

 森野はこの業界では有名だった。ビジター球場に行くと、試合前のバッティング練習を見た他球団のOBや記者たちから度々訊かれる。

「おい、あの森野ってのは、なんでレギュラーじゃないんだ?」

 それほど、彼が練習で放つ打球は見る者を惚れ惚れとさせた。ただ、いざ試合で打席に立つと、ボール球に手を出して凡退したり、あっさり三振という姿が目についた。

 プロ野球の一軍というのは、美しいスイングは持っていなくとも、一球でも多く相手に投げさせ、フォアボールでもいいから塁に出て、何とか舞台の端っこにしがみつこうとする選手たちがしのぎを削る場である。そんな世界にあって、森野はどこか淡白に見えた。プレーに飢餓感がないのは、駆け出しの記者である私にも分かった。森野は、いわば“カゴの中の強打者”だった。

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(鈴木 忠平/週刊文春)