テレビのリモコンが物語るネット動画の台頭

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 テレビはリモコンで操作するものだ。本体を触るのは掃除するときぐらいしかない。ある意味リモコンはテレビの顔だ。いつのころからか、そのリモコンにネット動画のダイレクトボタンが付くようになった。そのほとんどが白地に配信各社のロゴをあしらったデザイン。黒ベースのリモコン本体ではとても目立つ。驚いたのは6月発売のTVS REGZA 新モデル。付属のリモコンにはダイレクトボタンが12もある。しかも場所は電源ボタン直下の最上部だ。もうオンラインコンテンツは地上波よりも「上」の存在になった、ということだ。

 

 放送波を視聴する装置としてテレビをとらえると、最も厄介なのが「アンテナ線」だ。送信所から自宅までコンテンツが無線で飛んできても、その先は基本的に有線だ。部屋の中ではアンテナ線をテレビにつなげる有線状態になってしまう。しかも、その線はそこそこ太く取り回しも面倒だ。一方テレビを、ネット動画コンテンツを楽しむ装置としてとらえれば、放送とは真逆だ。家までは光ファイバーなどの有線でコンテンツが届くことが多いが、その先は無線だ。Wi-Fiを使えば煩わしい線は必要ない。ハードウェアからして、ネット動画の優位性は高い。一足先にサイマル放送を始めたラジオは、専用のradikoアプリで聴けば、放送波を聞くよりノイズレスのクリアな高音質でストレスなく番組が楽しめる。コンテンツを楽しむ環境としては、ネットの方がはるかに有利だ。実際、インターネット接続機能をもつテレビの販売台数構成比は、3年前は6割程度だったが、現在では7割を超えている。

 4月、TVerがゴールデンタイムのオンライン同時配信(サイマル配信)を開始した。地上波テレビにとってオンライン配信の開始は「パンドラの箱を開ける」ことに等しい。これまで視聴率というざっくりした基準で視聴数や視聴者像を推計してきたわけだが、オンラインにシフトするとより正確な視聴記録が残る。ごまかしや言い逃れはできない。オンラインコンテンツの台頭で背に腹は代えられなかったのだろう。数多く視聴される番組こそ商品価値が高いとされる。いかに数多くクリックされるかを競うYouTubeと同じようなことが、地上波テレビの番組でも起きることになるだろう。いや、もうすでにだいぶ進行しているのかもしれない。そこへ、サイマル配信まで始まれば、一介のYouTuberが作った動画と地上波テレビのコンテンツが同じ土俵で戦うことを余儀なくされることになるわけだ。もちろんNetflixやhuluといった本格的な配信事業者もとてつもない強敵だ。

 「若者のテレビ離れ」。激しく手あかのついたフレーズだが、実際は「地上波コンテンツ離れ」だろう。コロナ禍の巣ごもり需要で、テレビの売り上げは絶好調だった。今年は反動減で前年割れベースではあるが、底堅い売れ行きを示している。テレビ離れはハードの問題ではなく、コンテンツの問題だ。かたや潤沢な予算をつぎ込んで豪華なセットと出演者をそろえたつまらない番組、かたや予算なしセットなしだがアイディアはすぐれた個人の動画、という構図もあちこちで見られるようになってきた。地方局のみならずキー局も、テレビ局はこれから冬の時代を迎えることになるだろう。

 司法・立法・行政に並ぶ「第4の権力たるメディア」の一角を担うテレビ。ところが昨今「マスゴミ」と揶揄され、その権力に胡坐をかいた報道姿勢が激しく批判されている。ネットの力で一気に権力の座から引きずり降ろしてしまえという空気すら感じる。しかし、しかしだ。ひとつ問題がある。まさにその報道機関としての機能だ。このままテレビがさらに視聴数至上主義を激化させ、稼がないコンテンツはやめてしまえ、となれば、一体だれが政治を、経済を社会を報じるのだろうか。報道には人も金も設備もかかる。場合によっては危険も伴う。その割にあまり儲からない。ウクライナやロシアの情勢を現地から報じる記者の少なさは、テレビの現状を物語っている。

 今、世の中にあまたあるニュースは、そのほとんどが報道機関が発信しているものだ。報道機関が自ら取材し整理し編集し構成して記事や動画や音声のパッケージにして世に送り出している。しかし現在、多くのYouTuberが取り上げるニュースネタのほとんどは、こうした報道機関のニュースにタダ乗りしたものだ。もし金にならないという理由で各メディアが報道をやめてしまったら、そもそもニュース系YouTuberのネタ元が消える。世の中は「大本営発表」の嵐になり、フェイクニュースの山が築かれることになるだろう。言ったもの勝ちの世界だ。民主主義の根幹を揺るがすことになりかねない。ゴミではない、ネット社会にふさわしい、しっかりとした報道機関をつくりあげ、維持し育てていくのは、実は市民の重要な役割なのかもしれない。(BCN・道越一郎)