「一晩中、彼はなぜかベッドに入ってこなくて…」翌朝のリビングで、女が見てしまった光景
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堰を切ったように溢れ出す感情。恋人も家族も敵にまわして貫く恋。
「ねえ。私たち、出逢わなければよかった…?」
安定した未来を捨ててまで燃え上がってしまった、恋の行方とは。
◆これまでのあらすじ
初恋の人・健太郎と結ばれた菜々子。だが職場も家族も敵に回し、居心地の悪さを感じていた。「こんな環境から逃げ出したい」そう考えていた菜々子は、あることを画策していて…?
「俺さ、転職しようと思う」
リビングで健太郎と二人、くつろいでいたとき。彼が突然、こんなことを言いだした。
その言葉に、菜々子の神経はチクッと刺激される。実は菜々子も転職活動を始めたところだったのだ。当然、キャリアアップなど前向きなものではない。
ひどく居心地の悪い職場を離れるためだ。
菜々子がプロジェクトを外された話は、浮気の噂とともに瞬く間に広まった。もちろん周囲からの視線は冷たくなったし、明らかに侮蔑の色を浮かべる者もいる。
仲良くしていた上司や同僚も距離を取ろうとするようになり、そんな態度にも傷ついた。
「…そうなんだ」
菜々子は素っ気なく返すが、健太郎は意気揚々と続ける。
「ヘッドハンターから声かけてもらったんだ。年収もアップしそうだし、タイミング的にもいいかなって」
彼の話をこれ以上聞きたくなくて、そっと浴室へと向かう。すると様子がおかしいと思ったのか、健太郎が後を追いかけてきた。
「どうしたの。俺、何か悪いことした?」
― ここまで付いてこなくても、いいじゃない…。
菜々子は、思春期の子どものように黙り込んで抵抗する。
「ほら、おいでよ」
抱きしめようとでも思ったのか、彼がこちらに手を伸ばしてきた瞬間。思い切り、その手を振り払った。
「近寄らないで!どうせ、健太郎さんには私の気持ちなんてわからないのよ」健太郎に八つ当たりしてしまう菜々子。その背景にあったのは…?
2人の格差
3日前。
― 私、本当にダメダメだな。
菜々子は転職エージェント経由で届いた不採用通知に、がっくりと肩を落とした。送られてきた求人情報を開く気にもなれず、そのままブラウザを閉じる。
「お給料が下がっても、何でもいいので。転職したいんです」
そう伝えたときに担当者が見せた、苦い顔が思い出された。
菜々子はこれまで3つの部署を渡り歩き、事務アシスタントのような形で働いてきた。しかし、特筆すべきスキルや実務経験はない。
31歳、年収600万の事務職。新卒で大企業に入ったからこそ得られる待遇だったのだ。
「お給料は何でもいいとおっしゃいましても…。事務職は、第二新卒や若手の採用も多いですから」
事務職で転職するには、年齢的にも厳しいということだろう。
エージェントの担当者は「わかりました。探してみますね」と言ってくれたが、その声には無理だろうという諦めの色が浮かんでいた。
その中でも見繕って送ってくれた、会計事務所や法律事務所での事務総務の求人。それらに手当たり次第応募してみるが、どこも結果は芳しくない。
― こんなにお給料低くてもダメなんだ。書類選考すら通らないなんて。
続々と届く不採用通知に、自分の市場価値を思い知らされる。一刻も早く転職したい気持ちと、うまくいかない焦りでやる気を失いつつあった。
そんな矢先に聞いた、彼のヘッドハンティング。菜々子は惨めな自分との差に我慢できなくなったのだ。
「健太郎は何も失ってないじゃない。どうして私ばかり…」
バスタブに浸かってぼんやりと天井を眺めていると、目から涙が溢れ出てくる。濡れた手で顔を覆うが、涙はなかなか止まってくれない。
仕事も転職もうまくいかず、ボロボロの自分と比べると、健太郎は仕事も順調で無傷のままだ。
― バカみたい。どうして私ばかりが苦しまなくちゃいけないの。
菜々子は、感情ひとつで恋愛に走った自分を責めた。
「着替えたら、こっちにおいでよ」
お風呂からあがった菜々子に、リビングのソファで寛いでいた健太郎が声をかけてきた。彼はいつも通り音楽を聴きながら、手元のワイングラスを回している。
「菜々子も少し飲む?それとも、温かい紅茶でも淹れようか?」
彼の冷静な口調と優しい眼差しは、反抗期の娘に接する父親のようだ。
癇癪を起こしたとでも思っているのだろうか。先ほどのことには一切触れず、それ以上聞こうともしない。
だが菜々子は、どうにも見下されているような気分になってしまう。恋人同士なのに、二人のあいだには“先生と生徒だった”という、昔から変わらない圧倒的なパワーバランスがあるからだ。
― 今話したところで、喧嘩になるだけ。
大人げないと思いながらも、菜々子は聞こえないフリをして寝室へと向かう。手短にスキンケアを施し、ベッドに入ってスマホを手にとった瞬間。
寝室のドアを乱暴に開けて入ってきた健太郎に、スマホを奪われた。
「おい、急にどうしたんだよ?」優しかった健太郎がついに声を荒げる。そして2人は…?
結ばれた結果
「何するの。返してよ!」
菜々子はスマホを取り返そうと、ベッドから慌てて起き上がる。自分でも驚くほどの大きな声が出たが、健太郎の声はそれ以上に大きかった。
「さっきから何なんだよ!機嫌が悪いんだか何だか知らないけどさ。スマホいじってる時間があるなら、ちゃんと説明しろよ」
声を荒げた彼に対し、つい感情的になって言い返してしまう。
「職場でも居心地が悪い、転職もうまくいかない。それで、家族にも見放されたのよ?順風満帆な健太郎さんに、私の苦しみなんかわからないのよ」
ずっと我慢していた思いが、堰を切ったように溢れ出る。歯止めが効かなくなった菜々子は、言うべきか、言わないべきかの判断もつかないまま口にしてしまう。
「いいわよね、健太郎さんは。私と別れたとしても、いくらでもやり直せるじゃない。新たな転職先で仕事に生きることもできるしね」
「何が言いたいんだよ。…早く結婚したい、そういうことか?」
健太郎は“結婚の保証もない今の関係”に、菜々子が不安を抱いていると感じたらしく、苦しそうな表情で尋ねてくる。
正直に言うと、菜々子自身もどうしたいのか、よくわからなくなっていた。ただただ攻撃的な言葉で返すことしかできない。
「今私たちが結婚したところで、誰が祝ってくれるんだろうね。少なくとも私の周りには一人もいないわよ!」
菜々子の尖った声が、その場に響く。
すると彼は「感情的になった女ほど面倒なものはない」とでも言いたげな様子で、大きなため息をついた。
「あっそ。勝手にすれば」
それだけ言い残すと、寝室を出て行ってしまった。
菜々子は布団にもぐって、ただ朝が来るのを待つ。その晩、彼がベッドに入ってくることはなかった。
翌朝6時。
いつもより早く目を覚ました菜々子は、なんとなく胸騒ぎを覚えた。重たい身体を無理やり起こして、リビングを覗きに行く。
そこには、スーツケースに荷物を詰め込む健太郎の姿があった。
― こんな時期に出張?
寝ぼけた頭でそんなことを考えていたが、ギロリとこちらを睨んできた彼を見てハッとした。
「ちょっとの間ホテルに泊まるから。ここ、俺の家だけどな」
最後の言葉は、完全に菜々子に対する嫌味だった。「本当はお前が出て行くべきだ」とでも言いたいのだろう。
「ちょっと待ってよ…」
「俺がいない間に、よく考えてくれ」
吐き捨てるように言った健太郎は、せっせと荷造りを進める。最初はその様子を黙って見ていたが、ついに小さな声でこう言った。
「…わかった。私が出て行きます」
どこにも行く場所なんてない。だが、こう口にする以外の選択肢がなかったのだ。
菜々子は絶望感に打ちひしがれながら、彼の部屋を後にした。
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次週、最終回。周りを敵に回した恋の行方は、いったいどうなる?-
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