「うまく隠せてると思ってたのに…」好きな男にとっくにバレていた、不都合すぎる女の事情
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「完璧」に彩られた人生を、決して踏み外すことなく、まっすぐに歩いてきた。
…彼と出会うまでは。
地位もない。名誉もない。高収入でもない。
自由以外に何も持たない男とどうしようもなく激しい恋をした時、迷う女は、平坦な道と困難な道の、どちらの道を選ぶのか。
もし、明日が世界のおわりの日だとしたら─
◆これまでのあらすじ
▶前回:恋人とヨリを戻した夜。「じゃあね」と手を振った直後に、その足で女が向かった場所は…
―2019年5月―
ずっと昔から求めていた、確実に安定した幸せを与えてくれる直人。将来には不安しかないけれど、どうしようもないほど惹かれてしまっている塁。
私はいま、究極の二択の前で立ち往生しつづけている。
子供の頃に読んできた御伽話のほとんどは、結局お金より愛が大事だって結論づけていた気がする。
けれど、現実世界において“安定”という物差しを手にしてしまった今、“肩書”とか“世間体”とかいうものを知ってしまった今、心から愛する人を選ぶシンプルさが本当に正しいことなのかどうか、本気でわからない。
―それに…。
塁は、私の心をかき乱し続ける。
あの日、私がバーに入ったとき、塁とあの女はキスしていたと思う。
けれど、そのあと塁から聞いた話に、私の心は大きく揺さぶられた。あの日、塁は女と何を話していたのか。女の正体は…
直人に「別れたくない」と伝え、けれど塁との関係を切る覚悟ができていなかった私はあの日、塁のバーへと向かっていた。
そして、あの扉をあけた瞬間。あの色っぽい女と塁が…多分、キスをしていた。
全身の血液が、カッと煮え立つような感覚を覚えた。怒り、嫉妬、苛立ち。感情が同時に押し寄せるような感じ。
思わずその女と口論になってしまったのだが、女は最後に、確かに言ったのだ。
『直人っていう恋人とは別れるの?』
「…塁、どういうこと?塁も、直人のこと知っているの?」
女が帰ったあと、私の問いかけに、塁は観念したように話してくれた。直人と大学の同期だったこと。直人が、このバーを訪ねてきたこと。私と真剣に付き合っているから、私に手を出すなと釘を刺されたこと…。
「正直さ、そんなこと、あいつがとやかく言う権利はないと思うよ。結婚してない限り、恋愛は自由なんだから。真衣が好きに決めればいい」
「塁は、私と直人が付き合っていたこと知っていたんだ…」
「あぁ…」
「嫉妬とかしなかったの…?」
自分が恋人の存在を隠していたことを棚に上げ、何を聞いているんだと思った。けれどどうしても、それが何より気になってしまった。私がここにいた女に嫉妬したように、塁に激しく嫉妬して欲しかった。
「…してたよ。早く別れればいいって、マジで思ってた。でも、真衣はしょっちゅう俺と会ってくれてたし、真衣からの気持ちは感じてたから、まあいいかなって…」
自分の気持ちを誤魔化すためなのか、塁はグラスを磨いたり食器を片付ける手を止めない。
「直人のこと、隠していてごめんなさい」
私がそう言うと、塁はぶっきらぼうに言い放った。
「男が露骨に嫉妬を口にするの、かっこわるすぎだろ」
今まで私たちは、私たちの関係性について、決して触れてこなかった。どこかタブーな話題として、避けてきたように思う。
ついにその核心に触れている今、ここには何とも言えない空気が流れる。けれど、彼の発言は、なんとも塁らしいと思った。
付き合っているというステータスより、そのときの気持ちに重点を置く。きっと、私はそういう所を好きになったのだろう。
「…あの女の人は誰なの?」
それでも、私の嫉妬心はとまらない。自分の中の知らない自分が、何かを必死に訴えかけて、とめられない。
「まぁ、友達みたいなものだよ」
「なんで、直人のこと知ってるの?」
「…俺が相談っていうか、…話したから」
俯きながら、塁がボソリとそう言った。
その言葉に、なぜだか嬉しさが込み上げる。私のことを、誰かに相談してくれていた。それは、私との関係に悩んだり、真剣に思っていてくれたりすることの、何よりの証明な気がしたから。
本当はもっともっと、ここにいた女について問い詰めたかった。けれど、直人の存在を隠していた私にそんな権利はなかったし、塁のその一言に、煮えたぎるような嫉妬心はほんの少しだけ薄れたのだった。ついに、塁の本心が明らかに…。塁は何を思い、何を考えているのか…
塁:「…ここまで、マジになるとは思っていなかった」
はじめて真衣がこのバーにやってきたとき、めちゃくちゃタイプだと思った。でも、正直それだけ。ちょっと遊べればいいかな、それぐらいにしか思っていなかった。
けれど、徐々に会話を重ねるほどに、彼女が少しずつ変わっていく姿を見るたびに、離したくないって本気で思うようになってしまった。
ここまで、色恋に本気で熱を上げるのなんて、何年ぶりかもうわからない。
でもだからといって、直人から奪ってしまおうと思えるほど若くもない。真衣の抱えている葛藤が、痛いほどにわかるから。
俺も、都内の御三家といわれる男子校から東大へ入った。そこまでは直人と同じ、エリートコースと言われる道を歩んでいたんだと思う。
だけど、ずっと疑問だった。この“エリート”と言われる道の先にあるものが、幸せなのか。
「なんだかんだ言っても、大企業で出世することはまだまだ、安定した幸せを手に入れるための一番の近道だからな。だから、今は我慢すること多くても、努力しろ」
ステレオタイプだった親父は、俺にずっとそう言い続けていた。
けれど、大学2年生のころ、事件が起きた。
親父が死んだのだ。事故で、本当に突然。
親父もまた、エリートと言われるタイプの、そのさらに上澄みにまで上り詰めた人間だった。日本有数の大企業の役員にまで上り詰め、多分本気で社長の座を狙っていたんだと思う。
毎日毎日、ぎりぎりまで精神をすり減らしながら働いていた。とにかく上へ上へと昇りつめることだけを目標に、死に物狂いで。家でもずっと資料を読みあさったり、リラックスしたような表情をみたことがなかった。
だけど、人間死んだらそれまで。親父の動かなくなった体を見て、心の底から実感した。
死んだら、全部終わりなんだ、って。
果たして、親父は幸せだったのか。その答えはわからない。けれど、もっと肩の力を抜いて、もっと楽に生きればよかったんじゃないかって、もっともっと今を楽しんだほうがよかったんじゃないかって。俺は生前の親父を思うと、そう考えずにはいられなかった。
だから、俺は大学をやめて、やりたいことを始めた。極端な話に聞こえるかもしれないけれど、父親の死というものには、それだけのインパクトがあったのだ。
後悔や不安が全くないといったら、嘘になる。親父の言う通り、いい大学を卒業して大企業に就職することが、安定につながることは事実だと思うから。
ときおり、夢を見る。自分が大学を卒業し、真っ当な会社員になっている夢を。本当にこれでよかったのか、無意識のうちにまだ葛藤しているのかもしれない。
「ずっと、お母さんに言われ続けてきたんだ。将来のために今頑張りなさい、って…」
いつか、真衣もそう言っていた。きっと真衣は、その言葉を実直に守り続けてきたんだろう。そんな彼女の人生を考えると、直人と一緒になるほうが賢明な判断だと、誰もが思うだろう。
…でも、いや。だからこそ、俺は決めたんだ。
俺と真衣の関係。今後の2人の関係を、どう決着させるか…。
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真衣に本気になってしまった塁。彼の決意とは…?-
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