【流麗でゴージャスなスパイダー】(写真3点)
ミケロッティによるデザイン、ヴィニャーレ製造の3500GTスパイダーは、1957年のトゥーリング製3500GTから進化して1960年に本格生産が始まった。マセラティ社初の本当の意味でのロードカーのシリーズで、同社を救った車でもある。1957年にファンジオが250Fを駆ってマセラティ最後のF1世界チャンピオンとなったが、資金は底をついていた。マセラティのチーフエンジニア、ジュリオ・アルフィエーリはかつてこう語っている。
「以前の我々の最優先事項はレースに勝つことだった。でも1957年終盤から、生き残ることが目的になってしまった。闘いの場が、レース場からショールームへなってしまったのさ。幸運にも、あの車(3500GT)は発売直後から大人気で、およそ2000台が売れた。このタイプの車としてはかなり多い台数だ。後悔するつもりはないけれど、私は3500GTをとても誇りに思っている」
この車の3.5リッターのアルミニウム製ツインカムツインプラグの6気筒エンジンは、基本的には350Sの220馬力のレース用エンジンのチューンダウン版だった。そしてGTクーペが大成功となり、(モナコ公の)レーニエ3世、(米俳優の)トニー・カーティスやロック・ハドソンらに販売された。
1960年に入るとヴィニャーレGTスパイダーが登場し、せり上がったリアウィングのラインが、フェラーリ250GTカブリオレやカリフォルニア・スパイダーと比較された。1959年からオプション装備となった、フロントのダンロップ製ディスクブレーキは1960年に標準装備となり、ZF製5段ギアボックスなどの新要素で、モデルとしての魅力が増していった。1962年のGTIモデルに搭載されたルーカス製フュエルインジェクションにより、235馬力にパワーアップし、 0-60mphは8秒以下、トップスピードは137mphとなった。とはいってもGTクーペほどは速くはないのだが、スチールボディのスパイダー(ボンネットとトランクリッドはアルミニウム製)は、ホイールベースが4インチ短くなったとしても、アルミニウムボディのクーペ、トゥーリング製スーパーレッジェーラよりも140kgも重いためだ。
スパイダーの生産台数については諸説あるが、だいたい242台といったところだ。著名人の所有者には、モロッコ国王や、イージーなスタイルがリラックスしたアートになった、ディーン・マーティンらがいる。「キング・オブ・カジュアル」なコンセプトは、華麗かつエレガントで気兼ねのないこのマセラティにうってつけだった。他のイタリア車のような気負いや押しの強さ、挑戦的な雰囲気とは無縁だったといえよう。フランク・シナトラを連想する、とでもいえばよいだろうか。
これでお分かりだろう。ヘイター(批判する人)達は硬いリアアクスルやチューブ型シャシーがとても原始的だと悪く言うかもしれない。しかし、あなたが気にするならば、(まぁディーン・マーティンなら間違いなく気にしないだろうが)、それは先代のA6モデルのレース由来のものであると、大げさに言っておけばいいのである。実のところ的外れでも、気にしなくていい。なぜなら、ディーノには絶対に電動ウィンドウがあった方が良かっただろうし、ベガスのカクテルバーのような輝きを放ちながら並ぶクロームリム付きのガラス製ダイヤルと上品なレザーの内装であればより好まれたであろう。