ゲーム中盤、相手マウンドには広島からドラフト3位で指名された大道温貴が上がった。そんなプレッシャーにも動じることなく、中村は自身の投球を貫いた。ノースアジア大学の阿部康平コーチは次のように語る。
「大道くんが登板してから、より力を入れて投げていましたね。9回を投げ切れるように、自分で計算しながら投げられるようになったと思います」
そのコーチが見守る前で、中村は最後の打者をセカンドゴロに打ち取ると、北東北大学野球連盟の歴史に名を刻んだ。
中村が生まれ育ったのは岩手県九戸郡野田村。緩やかな海岸線がつづく十府ヶ浦海岸は、平安時代の和歌に詠まれるほど、景勝地として知られている。そんな美しい村も2011年3月11日の東日本大震災に襲われた。黒い波が集落に流れ込み、村を半壊させた。当時11歳だった中村は、避難した高台の上から呆然とその様子を眺めていた。地元の少年野球チームに入団して、まだ1年も経っていない頃だった。
「震災に遭った時はしばらく避難所で生活していました。少し経ってから家には帰れたんですけど、野球はしばらくできない状態が続いて......」
避難所では、母と中学生だった兄、そして幼かった弟の家族4人が寒さに耐えながらわずかなスペースで過ごした。ひと段落しても、家族の生活を支えるため、母は勤めで家を空ける日が多くなった。そんな母を少しでも早く楽にさせたいと、中村は手に職をつけるため地元の久慈工業高校への進学を決断する。
高校でも野球は続けたが、入学時の球速は130キロに満たなかった。当時は、プロはもちろん、大学で野球を続けるなんて想像もしていなかった。そんな中村に、母はひとつだけ注文をつけた。
「野球をやるなら、最後までやり切りなさい」
もともと、野球をすることに母は反対だったが、それでも始めたからには中途半端な形でやめることだけは許さなかった。その思いに応えるように、中村も懸命に野球に取り組んだ。
ウエイトに励み、さらには大臀筋を意識した階段ダッシュ、1日3キロのランニング......すると高校2年で球速は140キロを超え、県内でも指折りの速球派右腕に成長した。わずかではあったが、次のステップが見えるようになっていた。
しかし、高校3年の夏。希望した社会人企業チームのセレクションに不合格となり、一度は野球をあきらめかけた。そんな失意の中村に声をかけたのが、ノースアジア大学だった。
「大学に行く予定はなかったんですが、母も『やる気があるならいいよ』って」
そんな母の期待に応えるように、中村は入学早々、頭角を現す。6月に東北地区大学野球選手権で東北学院大を相手に3安打1失点の完投勝利。
その秋のリーグ戦では5試合に登板して4勝0敗。佐々木健(富士大→NTT東日本→西武)、高橋優貴(八戸学院大→巨人)、大道といった、のちにプロに進む投手たちを抑えて最優秀防御率賞(1.42)のタイトルを獲得した。その後も順調に成長を続け、球速は最速147キロまで達するなど、名実ともに北東北を代表する投手となっていった。
それでも中村自身、まだプロの域に達しているとは思っていないという。
「(同連盟からプロ入りした大道やソフトバンク・中道佑哉の)ピッチングを見ても、本当にレベルが違うなと感じました。ただ、自分はあと1年あるので、秋までにあのくらいまでいけたらいいなと思ってやっています」
大学最後のシーズンは、アベレージで140キロ台後半、そして150キロ超えが目標だ。
「昨年は試合のなかで安定感を出すことができなかったので、練習でやってきたことを試合でも安定して出せるように。真っすぐの質、球速ともにもっと上げていかなきゃいけないですし......本当にこれからだと思っています」
昨年秋のリーグ戦では、走者の有無に関係なくセットポジションで投げていたが、今春は再びワインドアップに戻した。
「自分の投げ方はどちらかといえば上半身で投げている感じなので、もっと下半身を使った投げ方になるように練習しています」
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プロ野球選手などの動画を見ながら、日々、上達するヒントを探している。最近、とくに気になっているのはオリックスの山岡泰輔のピッチング動画だ。
「山岡選手も身長はあまり高くないと思うんですけど、それでも150キロを超える真っすぐを投げています。動画を見ても、下半身をしっかり使って投げていると感じましたし、真似をするのではなく、参考にさせてもらっています」
中村が注目したのは左足の使い方だ。左足の股関節を内旋させながら並進運動して踏み込む。その一連の動作にヒントを見出し、手応えも上々だという。
「一番はリーグ優勝が目標なので、そのためにも富士大と八学(八戸学院大)には、しっかり勝ちたいと思っています」
昨年秋の覇者・富士大との対戦は4月17日。いきなり開幕週で激突する。
「春のリーグ戦もまだできるのかどうかわからないような状態ですけど、大学ラストシーズンに向けてしっかり調整して、4年間やってきたことをすべての試合で出せたらいいなと思っています」
ここまで支えてくれた人たちへの感謝の思いを胸に、中村は結果で応えるつもりだ。