大抵どんな夫婦にも、互いに“秘密”があるものだ。

『愛しているからこそ、全てを知りたい』

そう考えた一人の男がいた。

愛しすぎることは、罪なのか……?

◆これまでのあらすじ
料理教室を営む里紗は、最愛の夫・毅と幸せに生活していた。しかしふたりが付き合う前、毅は里紗のストーカーだったことが判明し…。

▶前回:夫が隠していた結婚前の秘密。全てを知った妻に、男が語った衝撃的な言い訳




「俺はただ里紗を愛してるだけなんだ。それをストーカーだって言われることが信じられない」

夫のその言葉を聞き、里紗の脳裏に“離婚”の二文字がチラついた。

いくら「愛しているから」と理由付けされても、毅がやっていたことは完全なストーカー行為だ。空間プロデューサーになったのも、共通の話題づくりも、すべて里紗のことを調べ上げた結果だ。

運命だと信じていたものは、実は仕組まれたものだったのだ。ずっと、ずっと、ずっと、騙され裏切られていたということになる。

うつむいて黙ってしまった里紗に、毅はいつもの優しいトーンの声で言った。

「困らせるつもりじゃなかったんだ。里紗に好きになって欲しかっただけなんだ…でも、ごめん…俺、重いよね?」

― 重い?ストーカーだったことを“重い”の一言で片づけるの!?ずっと、私のこと騙してたのに!?

思わず顔を上げると、泣きそうな毅と目が合う。いつもと変わらないのは彼の声だけで、感情的に涙を溜めている。

「俺は、本当に里紗のことが好きなんだ。君と出会うために、何でもしたいと思ったんだよ。だから会社を辞めて、それまでまったく興味がなかったインテリアの勉強を始めたし、師匠のもとで2年間みっちり修行もした」

たしかに、それは凄まじい執念だ。返す言葉がなかった。

「里紗と知り合いたくて、ただただ必死だったんだ」

だからこそ怖いのだ。怖いと感じてしまったのだ。そう伝えたかったが、なぜか素直に言うことができない。

突然の告白に戸惑った里紗が決断したこととは…

とにかくこの場を早く終わらせたくて、里紗はある提案をすることにした。

「少しの間、別々に生活しない?」

里紗の提案が意外だったのか、毅は困惑している。

「え…なんで?」

「私、今、混乱してるの…」

最愛の夫がストーカーだったのだ。出会いから何まですべて仕組まれていたのだ。混乱しないほうがおかしい。

「だから、しばらく距離を置いてひとりで考えたいの」

「考えたいって何を?」

「今後の私たちのこと」

毅は何かを言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。そして、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。

「そうだよね。それがいいよ。うん、それがいい。でも住む場所はどうするの?」

「実家に戻るわけにはいかないから、友達のところに行くか、ウィークリーマンションとかビジネスホテルに泊まる」

「なら俺が出ていくよ」

毅はそう言うと、里紗の返事を待たずに、席を立ちベッドルームに向かい、キャリーバッグに衣類を詰め始めた。準備を終えた毅は、去り際に「本当にごめんなさい」と言い残し家を出ていった。

何と返事するべきか分からなかったから、里紗は無言で頷き彼を見送る。

こうして里紗と毅は、別居生活をスタートさせることになった。

丸2年の結婚生活で、もちろん初めてのこと。別居の提案は咄嗟に出たものだったが、「ひとりになって今後について考えたい」という気持ちに嘘はなかった。

本当にひとりで考えたかったのだ。

だから加奈子と梓には、1週間ほど仕事を休んでもらうことにした。

1ヶ月後に迫ったフードデリバリーの開業準備は順調に進んでいたし、なにより毅の元カノで「毅さんはストーカーだ」と告げてきた梓とこんな状況で、顔を合わすことはできない。

里紗は、仕事でもプライベートでもひとりになって考えたかった。

自分のことをストーキングしていた相手と、このまま結婚生活を続けてもいいのか。

もし離婚を選ぶなら…。

そのときは、できるだけ相手を刺激しない言い方をしなければならない。なにしろ彼はストーカーなのだから。


1週間後、その日は朝から雨だった。

今日は久しぶりに梓がキッチンスタジオにやって来る。

「加奈子さんは、まだなのね?」

傘をたたみ、コートについた水滴を払いながらスタジオに入ってきた梓は、もうひとりの同僚も来るはずと誤解していたらしい。

「今日、ここに呼んだのは梓さんだけよ」

里紗の口調からその意味を察したようで、梓の表情が変わる。

「今日は仕事のことじゃなくて、毅さんのことを話したいの」

「…そうだったんですね。わかりました」

里紗は、お茶を入れ、腰を落ち着けた。

「毅さんのことを教えてくれてありがとう。梓さんの言っていたことは本当だった。彼からすべて聞いたから」

梓は黙ったままだ。雨の音がやけに大きく聞こえる。

「ストーカーだって認めたんですか?」

「認めたことになると思う。ストーカーって言われるけど、自分としてはそんなつもりない、って言ってた」

「そうですか」

梓の口元がわずかに緩んだのを、里紗は見逃さなかった。

「それで里紗さんは、どうしたんですか?」

「驚いたし、戸惑った。それでひとりになりたくて、1週間ほど別居してたの」

「やっぱり、離婚するんですね」

「ううん。しない」

「…えっ…」

「離婚はしない」

梓は虚をつかれたように目を見開いた。

「毅さんが、私のストーカーだったことを知ったうえで、彼とやり直すことに決めたの」

里紗は、夫と別居していたこの1週間のことを思い出しながら、ポツポツと語り始めた。

別居して1週間の間に、里紗は何を考えた?

別居して3日目のことだった。

結婚して2年、ふたりで暮らすことに慣れていた里紗にとって、たった3日でもひとりで過ごすのは寂しい。

人の声が聞きたくなってテレビをつけると、ストーカー被害に遭い危ういところで一命を取り留めた26歳の女性のニュースが流れてきた。

夫とのことがあり、他人事とは思えない里紗は、そのニュースに見入った。

ニュースによれば、女性はその事件が起きる前に、ストーカーの被害届けを警察に出していたらしい。友人にも「怖い」「気持ちが悪い」と相談していたのだとか。

そしてある日、その女性が職場を無断欠勤し、突然連絡が取れなくなった。職場の人間から通報を受けた警察が捜索を開始し、ストーカーの家に監禁されていた女性を救出した。

「愛していたから自分のものにしたかった」

逮捕されたストーカーは、そう供述したらしい。

― 同じストーカーでも、逮捕された犯人と毅さんはちがう。

そのニュースを見て、反射的に思った。

毅は、自分が嫌がることや不安になることは絶対にしない。それに、すべて里紗のために動いてくれるし、好みを調べて嬉しい提案もしてくれる。

里紗と出会うために会社を辞め、まったく門外漢だった業界に転職するなんてよほどの覚悟がないとできない。

― そうよ…。毅さんは、このストーカーとは違う。本当に、私のことを愛しているんだわ…。

幸せな結婚生活、やりたかった料理の仕事、順調に収益を増している事業…。

今の里紗があるのは、すべて彼のおかげ。

毅が自分に愛情を注いでくれているからこそ、今の自分があるのだ。だから、彼なしの人生は考えられない。

そう思った里紗は、早速彼にLINEした。

『ひとつ聞いてもいい?』

すぐに『何?』と返信がくる。

『もし私が、毅さんのことを好きにならなかったら、どうしてた?』

『好きになってもらえるまで、自分を磨いて里紗に尽くしたと思う。それが君の負担になるようなら、嫌だけど離れたと思うよ。里紗に嫌われるのが一番つらい』

毅のメッセージをみて、里紗の心は決まった。多くの人は首を傾げるだろうが、里紗は気づいた。

毅が自分に向けるものこそ、“愛”なのかもしれないと。

里紗の心境を聞いていた梓は、憮然としているようだった。

「本当に、毅さんとの結婚生活を続けるんですか…?」

「うん。一緒にいるって決めた」

「今さら何言ってるんですか?里紗さんって、バカなんですか…」

突然、梓の言葉が汚くなる。その声は、嘲笑うかのようにわずかに震えている。

「私も、昔は同じことを思ったんですよ。ていうか、思おうとしてたんです。毅さんは私のことが好き過ぎてストーカーをしただけだから、そういう愛情もあるって納得して、交際を続けていこうと思ったんです」

一気呵成に話した梓は、一度言葉を止め、大きく深呼吸をしてからまた話し出した。

「でも、無理だった…」

「そうだったんだね。毅さんがストーカーだと知ってすぐに別れたと言ってたけど、本当は違ったんだ…」

里紗が淡々と言うと、痛いところを突かれたように梓の顔色が変わる。

それを隠したいのか梓の声のボリュームが上がった。

「ストーカーが本物の愛情だなんて、おかしいです。そんなの本物の愛じゃない!」

梓の息は弾んでいた。こんなに声を張り上げる彼女の姿は初めて見る。里紗は、心臓が早鐘を打つのを感じながら、つとめて冷静に返した。

「梓さんの言う“本物の愛”ってどんなものなの?」

そう問いかけると、梓は言葉を詰まらせる。無言で目をそらす彼女に、里紗はきっぱりと言った。

「毅さんは、相手のことを調べ上げて、相手の幸せのために自分の人生だって犠牲にすることが、“本物の愛”だと思ってるんだと思う。それがあの人なの」

「…」

「あなたの言いたいことは、わかる。でも、『もう限界』って思うまで、私は彼と一緒にいるって決めたの。限界を超えたら、その時は仕方ない。別れるわ」

梓は鼻で笑った。

「いつか別れるなら、今、別れておいたほうがいいですよ」

彼女はなおも言い募る。

「私は里紗さんのために言ってるんですよ?」

呟く梓の声は、意固地で硬かった。

― もしかしたら……。

“里紗のために”と言いながら、梓は、自分と毅を別れさせようとしているのかもしれない。自分の過去の選択が正しかったと主張するために。

「忠告してくれたのにごめんなさい。でも私は毅さんと離婚しないって決めたの」

「里紗さんって本当にバカなんですね。そこまで言うなら、里紗さんの好きにしたらどうですか」

「うん。好きにする」

平然と言い返した里紗に、梓は挑発的な笑みを浮かべる。

「でも断言します。ストーカーとの結婚生活なんて続きません。それが“偽物の愛”だって、いつか気づくと思います。どこまで結婚生活が続くか、楽しみにしていますね」

そう言い捨てると、自分が使っていたコップを片付けることもなく、スタジオを出て行った。

― ふう。最初の難関は終わったわ。

テーブルに突っ伏して、里紗は大きくため息を吐いた。

実際のところ、夫にはまだ「結婚生活を続けたい」とは伝えていない。

毅と話し合いをする前にまず、正体を隠してDMを送り続けるという陰湿な方法を使っていた梓に、「これは夫婦の問題だ」と理解してもらう必要があった。

― どこまで理解してもらえたのか、わからないけど…。これでひとまず、毅さんとの話し合いに集中できる。

里紗はあらためてスマホを手に取り、彼にLINEした。

『私たちの今後について提案があるの。だから話し合いをしない?』

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結婚を続けるため…。里紗が毅に提示した条件とは!?