ユニフォームをよく見るとRoswellの「o」の文字がエイリアンの顔に変わっている。未確認飛行物体(UFO)が墜落し、それを米軍が回収したとされる真偽不明な1947年7月の事件は、ニューメキシコ州のその土地の名前から「ロズウェル事件」として今も語り継がれている。

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 その地を拠点に活動するアメリカ独立リーグのチームはその名もロズウェル・インベーダーズ(侵略者たち)。そこに中村太一という1人の日本人選手がいる。どんな野球ファンでもその名を知る人は皆無に近いだろう。

 高校・大学ともに控えで、身長165cmと日本でも小柄な23歳の青年は、それでも「メジャーリーガーになります」と迷いなく言い切る。


ロズウェル・インベーダーズの中村太一 ©高木遊

不完全燃焼の国内時代

 東京都東久留米市に生まれ、たまたま入った学童野球チーム・クラウンは地元の強豪。人口約11.7万人の大きくはない市だが、市大会では無敵だった。中学はその仲間たちとクラブチームのケープシニア(軟式)に進んで、そこでは都8強に。監督同士の繋がりで山梨の帝京三高に進学した。

 投手として入学したが中学時代から制球に難があり内野手に。打ち方も左打ちになった。だが最後の夏は背番号12。三塁手のポジションを水上由伸(現西武)に奪われ、チームも山梨大会8強で終わった。

「めちゃくちゃ不完全燃焼でした。僕も当時は今よりも更に自分の考えが幼かったので、早く自分のために次の準備をしたかったくらいでした」

 続いて進学した明星大でも大学2年までベンチ外。公式戦は新人戦で代打のみだった。燻ってはいたが、プロ野球選手になる夢は諦めず自主練習に黙々と取り組む中で、その練習仲間と知り合いで既にアメリカの独立リーグで長く挑戦を続けていた安田裕希と出会う。また、その3人で食事をした際に安田から前回記事でも取り上げた現ガルフコーストリーグ・ツインズ(MLBツインズ傘下のルーキーリーグの球団)監督の三好貴士ら海外で挑戦する男たちを紹介された。現状を彼らに説明すると「じゃあウィンターリーグに行ってみなよ」と誘われ、親の反対も押し切って2018年1月に渡米。大学の野球部も辞めた。

「なんとかなる」でまずは行動!

 初めて体感したアメリカの野球は想像以上に異次元だった。日本とは違う投手の間合いと球速。「振り始めたらもう後ろにボールがあるような感覚でした」と苦笑いするほどで「ラッキーヒット以外は全部三振でした」と振り返る。それでも「無理だとはまったく思いませんでした」と言い切るのが中村の最大の武器かもしれない。アメリカでの経験が豊富な安田にも助言を受けて、なんとか打率.250で海外挑戦1年目を終えた。

 2年目となる2019年のウィンターリーグでは、その先へ繋げるために「しつこいくらい監督に絡みに行きました」と笑うように、サマーリーグの監督に「俺の名前覚えた?」と毎日のように語りかけ認知してもらい、夏場にも挑戦の機会を得た。また打撃でもレギュラーではなかったものの3割を超える打率を残した。

 英語も初めての渡米前はまったく分からなかったが「気合いです」と、ホストファミリーから球場までの道すがらに同乗の選手たちに言葉の意味や単語を聞き、多くを覚えた。

「大丈夫だって感じてから挑戦するんじゃなくて、行ってから“なんとかなるっしょ”というタイプですね。不安に思うより、まずやってみればいいじゃんって」

 3年目となる昨年の渡米時もそうだった。1月のウィンターリーグに参加したものの獲得球団は現れず。その後は様々なチームにプレー動画などを送り続けていたが、世界は新型コロナ禍に包まれていく。それでも中村は挑戦をやめず6月15日に渡米。親には「正気か?」と言われたが、東京都とアメリカ・テキサス州の面積と感染者の数を調べて「面積あたりでの感染者は東京の方が多いんだから、むしろこっちにいた方が危険だ」という半ば強引な理論で納得させた。すると動画送付の効果もあり、アメリカ独立リーグのひとつであるペコスリーグに参加しているロズウェル・インベーダーズへの入団が決定。同球団の監督がかつての三好の教え子だった縁もあるとはいえ、中村にとって野球人生で初めて「プロ野球選手」となった瞬間だった。そのチャンスに中村も応え全29試合に出場し3割以上の成績を残した。

環境は自分で作るもの

 日本でプレーをしていた時は細々とした日々の出来事から、指導や出場機会が与えられないことまで様々なことに不満を持っていた。だがその意識は三好ら海外で挑戦を続ける先輩たち、三好らが国内でオフシーズンに行うスクールでの生徒たち、同じ独立球団でプレーする選手ら様々な背景を持った人と触れ合うことで「自分が望む環境は自分で作ればいい」と思いは変わった。

 帰国時はスクールの運営の手伝いや自宅近所での公園の自主練習に加え、交通整理のアルバイトを長時間行い渡米時の資金を貯める生活だが「僕よりも大変な思いをしている人はたくさんいる。僕なんか飯を食えて、やりたい野球をやれているので恵まれています」と、あっけらかんと話す。

 当初「就職もしないで何してんの?」と言っていた同期の仲間たちからの声を「ヘイターがいた方が燃える」と原動力にしていたが、彼らも社会の厳しさで疲弊し、好きなことで夢を追い続ける中村を応援する声も増えてきた。

 取材の最後にもう一度、これまでの歩みと今後の夢を聞くと、中村は迷いなく即答した。

「後悔なんてまったくありません。野球は確実に上手くなっているし、人間的にも大きく成長できていてプラスにしかなっていない。目標はMLBに行って長く活躍することです」

 その清々しい表情に、挑戦することの尊さをあらためて教えられた。

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(高木 遊)