家にいる時間が増えると、何となく見てしまう大相撲

 いま開催中の初場所は、9月場所、11月場所に続き横綱不在で行われている。白鵬、鶴竜の両横綱は、過去12場所のうち8場所の休場となった昨年11月場所終了後「休みがあまりにも多い。横綱の責任を果たしているとは言えない」と、横綱審議委員会から「注意」を受けていた。

 にもかかわらず、鶴竜は怪我が治らず、また白鵬はコロナに感染したことも手伝い、ともに初場所を休んでいる。注意は、今後それ以上の強い言葉に発展しそうな気配だ。

 しかし、力士が怪我で休むことは、そんなに悪いことなのか。怪我や病気をしたら休む。これは普通のことではないのか。少なくともスポーツ選手では常識だ。怪我が治らないうちに出場することは、逆に問題視されている。監督が強行出場させたとすれば、世間から大いなるバッシングを浴びるだろう。

 力士、横綱はスポーツ選手ではないということか。仮病だとしたら、それは問題だ。横綱審議委員会が注意するのは当たり前だ。しかし、そうでなければ、横綱審議委員会の行動は、少なくとも、スポーツ界では立派なハラスメント行為に当たる。

 大関は2場所連続して負け越せば陥落するが、横綱には陥落がない。横綱が特別なポジションであることは確かである。しかし、横綱だって普通の人間。一介の力士であり、スポーツ選手だ。スポーツ界の常識が、大相撲には通じないと言うことか。横綱の年齢は、概して他の力士より上。慢性の怪我を抱えている可能性は高いと言うのにだ。

 大相撲は単なるスポーツではない。スポーツと言うより伝統芸能だ。一般的なスポーツを見る目で、大相撲を語るなという声がある。そう言われると話は終わる。引き下がらざるを得なくなりがちだが、そうは言っても大相撲を報じているのは「スポーツニュース」だ。テレビ局は大相撲を他の一般的なスポーツと同じレベルで扱っている。

 NHKの「サンデースポーツ」などは、時に放送時間の半分近くをそれに費やすことさえある。その前後では、プロ野球の話題に触れたり、サッカーの話題に触れたりする。大相撲を伝統芸能とは見ていないのだ。

 開催すべきではない。あるいは再延期すべしという声が、圧倒的多数を占める東京五輪。だが、筆者はスポーツライターという肩書きにもかかわらず、コロナを抜きにしても、東京開催を積極的には望んでいなかった。一番の大きな理由は、日本人が他国の人に比べて、五輪スポーツに特段、高い関心を抱いていないと感じていたからだ。

 スポーツと言えば、野球と相撲。最近それにサッカーが加わった。言ってみれば、これが日本の3大スポーツだ。NHKのスポーツアナウンサーも、最初に希望する配属先を、次のように尋ねられるそうだ。相撲か、野球か、サッカーか。相撲は五輪競技ではない。野球も世界的には超マイナー種目だ。ロンドン(2012年)、リオ(2016年)は開催されず、次回パリ大会(2024年)でも除外されている。

 サッカーはご存じの通り、正式競技ではあるけれど、ステイタスは限りなく低い。W杯を10とすれば1程度だ。

 野球と相撲とサッカー以外、つまり五輪の中心的な競技が、スポーツニュースで取り上げられる絶対的な時間が、他国に比べて断然、少ない。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、英国等々で見るスポーツニュースと、日本で見るスポーツニュースは、似て非なるものだ。上記の国々はサッカー大国ながら五輪競技も盛んだ。スポーツニュースでも多くの時間が割かれている。報じる姿勢がまさに五輪的なのだ。

 日本が非五輪的な状況に陥る理由は解りやすい。大相撲が幅を利かせすぎているからだ。先述した、サンデースポーツの現状を見れば、一目瞭然。もし大相撲がなければ、その枠を五輪競技に充てることができる。五輪好きからすると、大相撲は極めて邪魔な存在に映る。

 そこでスポーツか伝統芸能かという応酬を耳にすると、どうぞ伝統芸能であって下さいと言いたくなる。大相撲をスポーツニュース枠で報じるほど、五輪競技への関心は低くなる。いま購入する人の数はずいぶん減ったと思われるが、スポーツ新聞についても同じことが言える。大相撲にページを割くほど、他の競技のニュースは少なくなる。五輪開催に相応しい国に見えなくなる。

 五輪と大相撲とは深い関係にある。五輪を開催するなら、大相撲も日本の伝統芸能臭さを薄め、よりスポーツ的なもの、もっと言えば、五輪的なもの、アスリートファーストになるべきだと思う。いくら横綱であっても、怪我をしている力士に、本場所に出てこいと圧力を掛ける姿は、まさしく非五輪的だ。 1年間怪我と戦い、復帰した中村憲剛を温かい目で見つめる姿と、怪我が完治したようには見えない稀勢の里に対し、出場を促す姿を比較すると、違和感に襲われて仕方がない。自国開催となる五輪を数か月後に控えた(?)いま、日本に対して抱く、大きな疑問だ。