復職を強く勧めてくる、同期の男社員。男が腹の底で考えていた、まさかの計画とは
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湾岸エリアのタワマンで、優しい夫とかわいらしい娘に囲まれ、専業主婦として生きる女。
ーあのときキャリアを捨てたのは、間違いだった?
“ママ”として生きることを決意したはずの“元・バリキャリ女”は、迷い、何を選択する?
◆これまでのあらすじ
湾岸のタワマンで育児に専念する、元バリキャリ女子の未希。
未希の復職問題は解決することなく、認可保育園の申し込み時期を迎えてしまう。その頃、ワ―ママの友人・華子が退職したと言う話を聞いてしまい、未希は戸惑うのだった。
「退職?どうしてまた…」
昼下がりの公園で、華子からされた突然の退職報告。あれだけ働くことを誇りに思っていた彼女だったから、未希は掛ける言葉も見つからず、驚いたままその場に立ちつくす。
しかし、以前彼女の会社に行ったとき、華子が悪口を言われていたことをふと思い出した。
「夫も賞を取ったし、今以上に忙しくなるからね。お互い多忙同士だと子育てに支障出るし、あとは2人目も考えてるから」
華子の顔は、どこか憑き物が落ちたように爽やかだ。
「じゃあ完全に専業主婦ですか…?」
「今は知人の紹介でニュースサイトのライターをしているの。余裕があれば保育園をお休みしてこうやって公園にいるときもあるから、また遊んでちょうだいね」
「ええ。でも、本当にそんなのんびりとした働き方、うらやましいです」
思わず未希は本音を漏らしてしまい、ハッとした。会社を辞めたことは、華子にとって不本意なことだったかもしれないのだから。
未希が戸惑っていると、華子はゆっくりと落ち着いた声で、こうつぶやいたのだった。
「実はね、私…。未希さんがうらやましかったのよ」華子が漏らした、まさかの本音とは
―うらやましい?私のことが?
意外な告白に、未希は思わず目を見開いた。
「未希さん、大企業で相当期待されて働いてたんでしょ。自分の力で活躍していたって。私にはなにも取柄がないし、仕事もできなかったし」
「…華子さんも、すごくバリバリ働いていると思ってましたけど」
「なんもないよ。復帰後は夫の奥さんか、あの子のママか、って存在感」
その言葉は、自己否定ではあるが、どこか肩の力が抜けた本音に聞こえた。
今までは未希が感じていた通り、相当強い鎧をムリヤリまとって過ごしていたのだろう。マウンティングも悪口も、自分を保つためだったのかもしれない。
「“自分が何者か”を証明するために仕事していたけど、パンクしちゃったのよ。未希さん、スゴイ人だったのに育児で仕事を辞めたって聞いて、私には今、なにが大事か考え直してみたんだ」
未希は、実のところ育児で仕事を辞めたわけではない。会社に幻滅したからで、育児を言い訳にしただけだ。
そのことを華子に言うと、途端に心配したような顔になった。
「じゃあ、実は仕事したいんじゃないの?」
「はい。ずっと思っています。でも、預ける場所がないから何もできなくて」
「私、気づかなくて…。デリカシーなかったね」
そんな華子の言葉が、未希の心に響いた。
―お互い、別の何かと戦っていたんだな。
きっと華子とはママ友として出会わなければ、互いの弱さや黒い部分をあけすけに話せる親友になれていたのかもしれない。
「未希さん、就職活動で預け先に困ったら相談してね。私ね、夫が撮影した広告の未希さんが大好きなの」
「カメラマンがいいだけですって」
「ま、あれだけの賞をとって月に何百万も稼ぐカメラマンだからね」
相変わらずナチュラルに自慢を入れてくる華子に、未希はホッとする。そんな未希の笑顔に彼女も安心したようで、同じようにニッコリ微笑んだ。
専業だろうがワ―ママだろうが関係ない。同じママ、そして悩み多い人間なのだ。
分断の無意味さを、未希は改めて思い知ったのだった。
◆
2020年、1月。
認可保育園の結果が到着するも、未希のもとに届いたのは、やはり落選通知だった。
認可外保育園の予約はしているが、抽選や順番待ちのため、最悪また待機状態が続くと思うと心が重くなった。
「ああ。また長い1年が始まるのか…」
ため息をついた、そんなときだった。前職の後輩・瑞樹からLINEが届いたのは。
『うちの会社、4月から認可外の保育園と提携することになったんです』
落選の絶望感で、思わず未希は彼女に電話をかけてしまった。
「弊社と関連会社社員向けに入園枠ができたんです。未希さんの家の近くにも提携園があるようですので、ご興味あればと思いまして」
待ってましたとばかりに、声を弾ませ説明する瑞樹。そして最後にこんなことを言ったのだ。
「この制度の発案者、誰だと思います?」
「えっ…?」
聞けば、これは梶谷が声を上げ、行動したことだという。
「本来の営業の仕事もしながら、人事総務部に掛け合っていたんです。部署外提案募集制度を使って、保育園のことや、有能な社員を復帰させる制度作りとか、何度も相談してたみたいですよ」
―まさか、あの人が…。
未希は信じられなかった。
「そんなことまでして、どうして…」梶谷の真意とは…?
未希の問いに、瑞樹はあっけらかんと答えた。
「正直言うと、私が今後働きやすくするためだと思います」
「ま、そうよね…」
力なく相槌を打つ未希だったが、瑞樹はさえぎるようにしっかりとした声で続けた。
「ただ、最終的には後に続く人の道になるんです。彼も、私や未希さんの苦しみを知って、自分のあやまちを本気で後悔したんだと思います」
梶谷のその行動に対し、上司からの圧力や周囲の嘲笑もあったのだという。
だがそれにも屈せず行動する梶谷の様子を見て、瑞樹も改めて惚れ直し、会社に在籍し続けることを決意したそうだ。
そして、いつか後輩が言っていたことを未希は思い出した。
『目標、というか、希望が無くなっちゃって』
自分が仕事をすることのもうひとつの使命に、未希はハッキリと気づいたのだ。
―この問題は、自分だけの問題じゃない。
「その話、前向きに考えるから、じっくり聞かせて」
未希のその言葉に、もう迷いはなかった。
2020年 11月
あれから梶谷のさらなる尽力の甲斐あって、咲月は会社と提携する保育園に入園が決まった。
さらに未希も、前勤務先の関連会社にて、以前と同様の課長代理待遇で働けることになったのだ。
復職して早々、新型コロナウイルス蔓延の関係で登園自粛を促されたり、テレワークへの移行で今までのようにバリバリ働く、という感じにはならなかった。
しかし、徐々に仕事モードを回復させたかった未希にとっては、むしろ都合が良かったとも思っている。
「未希さん!じゃあ、お仕事がんばってね」
「ありがとう、本当に助かります」
今日は休園日にもかかわらず、夫婦ともども出勤の日。
こんなときの預け先は華子の家だ。彼女は未希が復職して以来、何かにつけて未希やまりあの手伝いを申し出てくれている。
「そんなこと言わないでよ。今日はまりあさん家のふう君もいるから」
「まりあさん、毎日お忙しそうですからね」
ほぼワンオペで看護師をしているまりあは4月から認可保育園に転園したそうだが、預かり時間の関係で遅くなりそうなときは彼女を頼っているという。
「お友達いた方が勝手に遊んでくれるし都合がいいの。みなさんの家より広いし眺めもいい部屋だから、みんなゴキゲンで遊んでくれるよ♪」
華子の言葉からも、棘は一切感じられなかった。むしろ、ホッコリするくらいだ。
「はいはい」とツッコむような呆れ声で、未希は笑った。
「それに、ネタにもなるからね。新作子育てグッズの反応も見れるし」
華子はライター業も順調のようで、子育てサイトでコラムの連載も始まったらしい。
ムリせずとも自分を保ちながら働ける方法を見つけたと、先日彼女は語っていた。
「じゃあ、代わりに日曜は私たち預かりますね。旦那さんと久々のデートなんですよね?」
「ふふふ。じゃ、お仕事がんばってね!」
華子の嬉しそうな声を背に、未希は会社へと向かう。マンションの横を流れる運河に、朝日が差し込んでキラキラと綺麗だ。
働く幸せをかみしめながら、未希は思う。
考えてみれば、ここまで自分自身の内面や生き方をじっくりと見つめ直したのは、就職活動以来かもしれない。
―苦しかったけど、いい時間だったな。悩まないで、働きたい人が働くことができるのが一番だけど…。
未希は咲月のことを思いながら振り返り、マンションを見つめ微笑んだ。
そして、地下鉄の駅へと吸い込まれるように入って行くのだった。
Fin
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