「選手たちとのコミュニケーションや信頼関係が薄れていた」
日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長が述べた解任理由だが、ワールドカップ予選を勝ち抜き、本大会を目の前にしての解任理由としては弱い。のちにハリルホジッチが言っていたように、「信頼関係の薄れ」という程度では通常解任はされないものだ。田嶋会長の説明を聞いて、納得したファンは少なかっただろう。ほかに何か理由があるはずだとの憶測も生んだ。
チームを維持できないほど求心力がなくなっている。そうはっきり言えばよかったのではないか。いや、それはそれでまた紛糾したかもしれないが。
ハリルホジッチがJFAを訴えるまでの事態になったのは、欧州人と日本人の間にあった小さな差異が増幅された結果のように思える。
ハリルホジッチとは、あるテレビ番組で長時間同席した。収録の合間にいろいろと話もしたが、物事をはっきり言う非常に正直な人物という印象だった。記者会見もそうだったし、選手のコメントを聞いても、よくも悪くもストレートな性格との印象は変わらない。
解任されたあと、ハリルホジッチが言っていたのは「何か問題があるなら、なぜその時に言ってくれなかったのか」ということ。西野朗技術委員長も田嶋会長も「よくやってくれている」としか言っていなかったという。
一部の選手が不満を持っているのはわかっていたと思うが、チームを率いるうえで珍しいことではない。雇用者側から何も言われていないから「問題なし」と受け取っていたわけだ。
だから、会長から突然「解任」を告げられてショックを受けた。どういうことなのか理解ができず、「真実を知りたい」との理由で慰謝料1円を求めての訴訟になったわけだ。
日本人はハリルホジッチのようにストレートな性格ではない。問題があると思ってもすぐに言わないし、不満や意見があってもある程度はため込む。物事を荒立てない習慣があるので、一般的に欧州人より沸点も高い。ハリルホジッチのような人が80度で沸騰するところも100度になっても沸騰しない。
注意深く観察していれば、というより日本人なら、いくつかの兆候に気づいていたのではないかと思う。ハリルホジッチにしてみれば騙し討ちにあったような気持ちだったろうが、JFA側にはそのつもりはなかったと思う。少なくとも解任が決まるまではなるべく気持ちよく仕事をしてもらおうという気遣いが、不誠実や二枚舌につながるとは思っていなかったのではないか。
<先見の明と現実のギャップ>
17年12月のE-1の韓国戦に惨敗した時に、解任論はすでにJFA内では出ていたようだ。ただ、決定的なのは翌18年3月の欧州遠征の2試合だろう。
マリ、ウクライナとの試合内容は惨憺たるものだった。この2試合、ハリルホジッチは明確な戦術を打ち出している。縦にロングボールを蹴って敵陣からのハイプレスを行なう。簡単に言うとそういうスタイルである。
予選段階からすでにそちらの方向へ舵を切っていたが、欧州遠征の2試合はより明確になり、その結果は「このままではW杯を戦えない」ことが誰の目にもはっきりとわかるものだった。これで選手たちの求心力は一気に低下したとみていい。
ただ、ハリルホジッチは「このままで」W杯を迎えるつもりはなかったに違いない。本番直前の追い込みと対戦相手への対抗策は、この監督の十八番なのだ。14年のブラジルW杯ではその手腕を遺憾なく発揮してアルジェリアをベスト16に導き、この大会で優勝するドイツと延長戦にもつれる好試合を演じている。
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勝利至上主義者で、戦術的にはプラグマティスト的だった。ボールポゼッションを基盤にした日本のスタイルがアジア予選で行き詰まりをみせると、躊躇なく方針を転換している。世界の動向変化にも鋭敏だった。
Jリーグの「デュエル不足」を何度となく指摘していたのは、欧州から来た指導者はだいたいそう思うところだが、それ以上に日本のサッカーがこのままでは周回遅れになるという危機感を持っていたからだ。
ハリルホジッチが日本代表に導入しようとしたのは、現在のリバプールやバイエルンのスタイルと言っていい。ある意味、先見の明はあった。ところが、それは日本選手の資質や嗜好性にまるで合っていなかった。
みすみす相手ボールになるとわかっていてロングボールを蹴らなければならない意味が、当時の選手にはまったく理解できていない。それで効果があるならともかく、むしろ墓穴を掘るような展開なのだから、監督の方針に疑問を抱くのも当然と言える。
ハリルホジッチ監督も、アレルギー反応が出るのは予想していたに違いない。そこをどう修正するかにも自信はあっただろう。しかし、もうその時点で選手側からは見限られていたわけだ。監督か選手か、JFAは選手を温存したのだと思う。あの段階で選手の大半を入れ替えるギャンブルは打てなかった。
ブラジルW杯でアルジェリアを率いた時は、試合によってかなりメンバーを入れ替えていた。ラマダンの影響もあったかもしれないが、対戦相手に応じてバランスを変えていた。一方で戦い方の基盤のところは不変で、システムもほとんど変えていない。
代表チームのつくり方としては理にかなっていて、基盤がしっかりしているので大胆な変更も効く。ロシアW杯で日本を率いていたら、勝負師としてどんな采配を見せていただろうか。
それを見たかった気もするが、日本代表の場合は基盤のところがかなり壊れてしまっていたので、どのみち難しかったのではないかと思う。
後任となった西野監督が、日本選手のある種の土着性を生かしてチームをつくったのは、ハリルホジッチ監督とは正反対のアプローチだった。ベスト16に入ったことで「ジャパンズ・ウェイ」として高評価を得たわけだが、それが大事だったのなら、なぜハリルホジッチを招聘したのだろうとは思わざるを得ない。
ヴァイッド・ハリルホジッチ
Vahid Halilhodzic/1952年5月15日生まれ。ボスニア・ヘルツェゴビナのヤブラニツァ出身。選手時代はFWとしてヴェレジュ・モスタルやフランスのナント、パリ・サンジェルマンでプレー。旧ユーゴスラビア代表として82年スペインW杯に出場している。90年にヴェレジュ・モスタルの監督をスタートに、フランスのリールやパリ・サンジェルマンなど、多くのクラブの監督を歴任。14年ブラジルW杯ではアルジェリア代表を率いて、同国を初のベスト16に導いた。15年から18年まで日本代表監督。19年8月からはモロッコ代表監督を務めている。