作品づくりは「自分のため」、作った後には興味がない。ヨルシカを貫く強固な哲学

ヨルシカとは、いったい何なのだろうか?

エッジの立ったバンドサウンドと詩情あふれるメロディーに、近代文学からの影響が色濃い歌詞。YouTubeの登録者数が97万人を超えるなど、大きな注目を集めているヨルシカは、コンポーザーのn-bunaがボーカルsuisを迎えるかたちで2017年に結成されたふたり組の「作品」である。

そう、彼らは先入観なく「作品だけを見てほしい」という思いから、自分たちの情報をほとんど明かしていない。作品至上主義のスタンスを採る異質なアーティストだ。

そんな彼らの最新アルバム『エルマ』は、音楽活動を断念した青年を描いた1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』の続編として、青年に取り残された女性が主人公となっている。本作についてのインタビューを通し、ヨルシカというプロジェクトの本質、そしてふたりのルーツに迫った。

取材・文/照沼健太

ギターヒーローへの憧れが、今のn-bunaの根底にある

過去のインタビューを拝見するとn-bunaさんはさまざまな音楽を聴いているようですが、今あえてギターロックにフォーカスしている理由とは何なのでしょうか?
n-buna 僕が今作りたい音楽が、メロディーとコード感重視の編曲をしたサウンドなんです。今後バラードやジャズに傾倒したり、僕の好きなブルースがめちゃくちゃ作りたくなったらそっちにいくかもしれませんが、今はこれを作りたい。その理由に尽きますね。
今のn-bunaさんがロックに感じている魅力とは?
n-buna ギターヒーローと呼ばれるような、凄腕のギタープレイヤーが好きなんです。たとえばラリー・カールトンやジョニー・ウィンターですね。ああいう“ギターが歌っている”みたいな音楽が好きなので、それをやりたいというのが大きい。エレクトロニカやアンビエントみたいな音楽も好きなんですけど、今やりたいのはこっちですね。
音楽に目覚めたきっかけもロックだったのでしょうか。
n-buna そうです。中1の頃に兄の影響でエレキギターを買いまして、その頃聴いていた邦楽バンドやギターインストを弾こうと頑張ったのが入り口です。その頃にはもうYouTubeがあったので、“ギター”で検索して「こんなスゴい人がいるんだ!」と見つけたのが、今でも僕の大好きなラリー・カールトンやジョニー・ウィンター、ロベン・フォードといった人たちでした。
アルバム『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』収録のインスト曲には、n-bunaさんのロックやギター以外の趣向が出ていますよね。
n-buna そうですね。ちょっと前に流行ったローファイヒップホップのようなスタイルを取り入れています。nujabesから始まる音楽の流れも好きなので、そこへのリスペクトを持ちながら取り組みました。

ボーカルsuisの音楽的ルーツは、村下孝蔵とミュージカル

suisさんは「あまり音楽を聴いてこなかった」と過去のインタビューで話されていましたが、音楽的なルーツを挙げるとすると何でしょうか?
suis 歌声の軸にあるのは、父の影響で聴いていた村下孝蔵さんです。
n-buna えっ、それはめっちゃ面白いね。
suis そう、これを言うといろんな人に笑われるんですけど、最近、村下孝蔵さんの曲を聴いたら「あ、やばい。私ってこの歌い方を意識している!」って思って(笑)。でも、私が歌うことで村下さんを今の世に伝えられたらいいなと思っています。
n-buna うん、それはいいことじゃないかな。
ミュージカルもお好きだとか?
suis ミュージカルは大好きなんですけど、比較的新しい趣味なんです。ヨルシカを始める前、友だちの紹介でn-bunaくんのソロライブに私が出演することが決まったんですけど、本番が近づくにつれ「音楽をわからない素人がいきなり歌うなんて、できるわけない」って追い詰められたんです。そのときに母が初めて『天使にラブソングを 〜シスター・アクト〜』のミュージカルに連れていってくれて。
なるほど。
suis 歌の喜びがストレートに表現されたストーリーなので「すごく悲観的になってたけど、歌ってこんな素晴らしいものなんだ」って再確認させてもらえて。自分がこれから歌っていくことや、新しいことに挑戦することに対して、すごく元気をもらえたんです。
それはすごくいいタイミングでしたね。
suis はい。そこからはもうハマって、定期的に浴びるようにしています。ミュージカルのあの生の熱量とか、思い切りハッピーな感覚は他のものでは得られないんですよね。
歌のキャラクターに入り込み、演じるように歌う。そんなsuisさんのスタイルは、物語性の強いヨルシカの音楽にはぴったりですね。
suis そうですね。今まで人間として生きてきた自分とか、そこで得た思想のようなものを、このヨルシカのために一旦全部捨てて作った“ゼロ”がsuisという存在なんです。だから私は今、自分自身の思想がゼロになってるんですけど、その代わりにn-bunaくんが作った曲の世界に完全に入り込めるようになっています。そう思うと、相性が良かったのかなって思いますね。
n-buna うん、合ってる。suisさんが演じるタイプの歌い方ができるからこそヨルシカはうまくいっていると思います。ただ歌がうまいってだけの人だったらダメだった。もちろん声質なんかと曲の相性もあるけど、それ以上に“ちゃんと考えられる人”と一緒にできて良かったですね。
パズルのピースのようにハマったんですね。
suis とはいえ、人間なので最初はゼロになりきれなくて、やっぱりこう、本来の自分が出てきたりしていたんですけど、2〜3年やっていると徐々に“人間を辞められる”というか、人としてのエゴがなくなってきて、今回の2作では完全に登場人物になりきれたのかなと思っています。

メジャーデビューして「大きくなりたかった」わけではない

n-bunaさんは芸術至上主義という思想をたびたび語られていますが、その一方でメジャーレーベルと契約して音楽を広く届けることを選択されています。そこにはメジャーだからこその希望のようなものがあったのでしょうか?
n-buna 僕は本当に自分の作りたい曲が作れれば良くて、曲を作った後のことにも興味がないんです。自分の作りたいものを出せたら、その後はもう「お好きにどうぞ」っていう感じで。だから僕はどこでやってても良かったんですけど、ユニバーサルミュージックさんは作品第一で自由にやらせてくれるし、話していて信頼できる人たちだと感じたんです。
作品は自由に作れるし、そこに予算もつく環境が得られた、と。
n-buna 現実的な話、ギャラの面でも、いつも一緒にやってくれているミュージシャンのみんなに恩返しできるかなと考えました。そして、僕はMVもひとつの作品だと思っているので、その制作も含めて、僕の表現したいものをより良い環境で制作できる可能性が高まると思ったんです。
メジャー契約にあたっては周りのネット発のミュージシャンの話を聞いて参考にしたりしましたか。
n-buna いや、僕にはそういう友だちがいないんですよ。僕はただひとりで曲を作ってるだけだったので、他の人のことは全然わからないですね。
suis n-bunaくんはボカロPとして世に出ていったので、「メジャー契約して大きくなりたい人」と思われているのかもしれないけど、違うんですよね。「ヨルシカは作品だ」ってn-bunaくんが言っているように「アーティストになりたい」って気持ちはなくて、ただ作品を作りたい人なんですよ。隣で見ていても、本当に目的はそこにしかないんだと感じます。
n-buna 僕の好きな人にヘンリー・ダーガーという作家がいるんですけど、彼はアメリカのイリノイ州で誰にも見せることなく50年間ずっと小説を書き続けて、死んだ後にそれが発見されたという人なんです。僕は彼のように「自分たちのためだけに物を作る」ということがいちばん美しい在り方だと思っていて、本当はそうありたいんです。そのうち誰にも干渉されない海外の離島とかに住みたいとも思っています。
自分が死んだ後には、それらの作品を誰かに見てもらいたいとは思いますか?
n-buna いえ、納得できるものが作れたなら、自分の中で完結していてもいいと思います。ただ、その一方で僕が今やっていることは、商業的な音楽作品づくりという現実もあるんですよね。

本当に作品づくりだけをやりたいなら、メジャー契約や作品の発表なんてしないで家で曲を作っているだけでいいんですよ。でも、生活のために自分の作品を売るっていう、ある意味では自己矛盾を抱えていて。それが自分を苦しめている部分はありますね。その苦悩をいちばん強く感じていた19歳や20歳の頃の自分が詰まっているのが前作の『だから僕は音楽を辞めた』というアルバムだと思います。

ネット上のリスナーの考察は「ときどき見ています」

1stフルアルバムである『だから僕は音楽を辞めた』とそれに続く今作『エルマ』は対になるアルバムです。最初の2作をこうしたコンセプトアルバムとした理由とは何でしょうか?
n-buna そもそもヨルシカ自体をコンセプティブなバンドにしようと決めていたので、最初のミニアルバムの時点でざっくりとしたコンセプトは見えていたんです。それをさらに突き詰めていった結果として今回の2枚ができました。
最初からこの2作は対になる作品として計画されていたのでしょうか?
n-buna そうです。『だから僕は音楽を辞めた』の時点で、2作であることを前提に作っていました。
多くのミュージシャンにとって、最初のフルアルバムとは“それまでの人生の集大成”的な存在だと思います。そうしたアルバムを作ろうとは思いませんでしたか?
n-buna 僕は過去の人気曲を入れたりするよりも、完全に新しいコンセプトでアルバムを作りたいタイプなんですよね。でも『だから僕は音楽を辞めた』は自分の思想や思考が煮詰まったような作品なので、ある意味では僕の人生の集大成と言えなくもないと思います。
前作も今作も、n-bunaさん個人としてではなく、作中のキャラクターが書いたという体裁で曲と歌詞が作られているのが特徴だと思います。
n-buna 僕としては「自分が書いた」っていう意識じゃないほうが作りやすかったりするんですよ。これって映画とか小説の作り方に近いなと思うんですけど、先にコンセプトやプロットがあって、その1シーン1シーンに合った曲を作っていくやり方で。もともと映画も小説もすごい好きですし、このやり方が楽しいんですよね。
この2作は主観的な目線で歌詞が書かれていて、曲に描かれていない範囲外にも物語や世界が広がっていることが想像できます。
n-buna かなり細かく世界を考えているので、描かれていない部分は大きいです。しかし、それを出さないからこそ想像の余地があって、聴き手が補完してくれたほうがより楽しんでもらえるんじゃないかと思っています。まあ、僕が楽しんでるだけかもしれないんですけど。
考察もネット上にたくさんありますし、物語を楽しんでいるリスナーが多いのは間違いないと思います。
n-buna ありがたいことですね。僕もときどき見てます。たまに、思考プロセスまでバレているようなものがあって怖くなりますけど(笑)。
suis 面白いのを見つけると、「こんな考察があった!」って私に送ってきたりするよね(笑)。
ネット上でMVを多くの人が楽しんでいるのと同時に、ヨルシカは、モノとしてのCDにも、聴き手の没入感を高めるような仕組みを凝らしていますね。
n-buna 今はサブスクリプションの時代で、スマホで画面をタップするだけで、みんながいろんな音楽に触れられ、さらに作者には利益が還元されるという素晴らしいシステムができています。そうした時代において「今、CDの価値って何だろう?」と考えてみると、ほとんどの場合コレクターズアイテムとしてか、CDそれ自体に価値があるかの2択になると思うんです。
そうですね。
n-buna その中で僕がやりたかったのは後者で、CD自体に価値や意味をつけるという方法です。『だから僕は音楽を辞めた』の場合、青年から送られてきた詩が詰まった木箱を模したケースを作って、その中にCDも入っていた、というかたちにしました。『エルマ』ではエルマの書いた日記帳の最後にCDが挟まっているという体裁になっています。そうすることで物語の中の一道具としてCDが存在できるんです。

これはサブスクではできない、アナログなモノだからこそできる価値であり、今の時代にCDというものを出すことへのヨルシカなりの答えだと僕は考えています。

ヨルシカの影響で、新しい価値観を知ってもらえたら嬉しい

ヨルシカといえば文学からの引用もひとつの持ち味となっています。
n-buna そうですね。小1くらいの頃、文字が読めるようになってからはずっと図書館に入り浸っていたくらい本が好きなんです。いろいろな本を読んできた経験が今でも強く残っています。
音楽よりも先に文学があるんですね。
n-buna はい。とくに正岡子規と種田山頭火が好きで、今回も『雨とカプチーノ』の”夏泳いだ花の白さ、宵の雨”という一節に、正岡子規の“水草の花の白さ宵の雨”という句が入っていたりします。そしてこのふたつのアルバム全体が、井伏鱒二の『山椒魚』の僕なりの解釈を下敷きにしたものになっています。
n-buna 井伏鱒二の『山椒魚』は、山椒魚が蛙を岩屋に閉じ込めるという物語なんですけど、その岩屋を“音楽”のメタファーであると解釈して、現代の物語として提示したいというのがそもそもの動機なんです。
そうだったんですね。
n-buna エイミー(前作で主人公の青年)は自分の残した音楽や手紙や詩の中にエルマの人生を縛り付けるわけです。エルマはそれらの作品を頼りに、彼の模倣をし始める。それがひとつのストーリーとなっています。
ひとりの人間が作った芸術に閉じ込められてしまう、と。
n-buna エイミーは音楽を自分の人生そのものに変えるため“死”による完結へ向かうわけですが、エルマはそれさえも真似しようとするんですよね。エイミーの音楽という狭い岩屋に閉じ込められてしまった思考は、必然的にエイミーと同じ終着点に向かってしまう。そういうものを描こうと考えていました。
芸術の業のようなものを感じるストーリーですね。
n-buna 似たようなところでは、俳人の与謝蕪村と松尾芭蕉の関係性も好きなんです。与謝蕪村は松尾芭蕉のフォロワーで、松尾芭蕉を尊敬するあまりに彼と同じ場所を旅して、同じような句を詠んでいった。それはエルマとエイミーに通じる関係性でもあり、僕はそんな関係を美しいと思います。

オスカー・ワイルドが戯曲の中で「人生は芸術を模倣する」という言葉を書いているのですが、僕はその言葉を「人生をもとに芸術が描かれるのではなく、芸術を元に人生が描かれてしまうことすらある」と解釈しているんです。松尾芭蕉と与謝蕪村の関係を如実に表している言葉だとも思うんです。
たしかに。松尾芭蕉の残した作品によって、与謝蕪村は人生が変わっているわけですもんね。
n-buna それを現代の解釈でやりたかったんです。
そのためには、やはりふたりの視点でそれぞれの作品を作ることが必要だったわけですね。
n-buna そうです。僕は近代文学や近代歌人が好きなので、そういった好きなものを音楽に詰め込んだり、再解釈して描いたりするのをむしろ使命のように感じています。
使命?
n-buna ヨルシカのファンって若い子が多いんですよ。だから「ヨルシカが書いてたからこの本を読んでみた」とか「この俳人を調べてみよう」って思ってもらえるのがすごい嬉しくてですね。僕の好きな文学を布教していくのが、自分の使命なんじゃないかと思いながらやっています。
ヨルシカがエイミーや松尾芭蕉となり、ファンがエルマや与謝蕪村になるかのような関係性ですよね。
n-buna 僕の書いたものに影響を受けて、新しい見方や価値観を知ったり、新しいものを作ったり。さらに僕の作品で人生が変わったら、それこそオスカー・ワイルドが言った通りだから、すごい嬉しいです。suisさんも自分の歌で「人生変わった」って言われたら嬉しくない?
suis うん。「良かったなー」って思う。
n-buna 軽いな!(笑)

今だから明かせる、ふたつのアルバムに隠された大きな秘密

suisさんは前作のレコーディング時に感情移入しすぎて泣いて歌えなくなったこともあったそうですが、今作『エルマ』のレコーディングはいかがでしたか? 曲の雰囲気でいえば、今作のほうが落ち着いている気もしますが…。
suis どちらかというと今作のほうがツラかったですね。前作は“エイミーの作った詩でエルマが歌っている”っていう体を知らされずに歌っていたんですけど…
え?
n-buna そう、前作はみんな「青年が書いた歌詞のフルアルバム」という捉え方をしてたと思うんですけど、じつは青年が書いた詩と音楽を届けられた「エルマが作ったアルバム」なんです。だからこそ女の人の声で歌わないといけなくて。
そうだったんですね。その秘密は、初めて知りました。
n-buna はい。時系列的にはまず今作の『エルマ』というアルバムがあって、その最後にエルマは「音楽をやりたい」と自分の意志で思うんです。そうしてエルマが作りたいと思った作品が、前作の『だから僕は音楽を辞めた』だった。だからあの作品もエルマの声で収録されているんですよ。
suis でも、私はボーカルを録り終わるまで、それを知らされてなかったんです。
n-buna うん、それは絶対に言わないほうがいいと思ったから。
suis なので、純粋に『だから僕は音楽を辞めた』は青年として歌っていたんですけど、今回は残されたエルマとして歌うわけじゃないですか。自分の性別もあってエルマにはより深く入り込めるし、それに何より、青年の場合は音楽を辞めて、つらいことも終わるじゃないですか。
悲しい結末ではありますが、そこで苦悩は終わったわけですよね。
suis でも、エルマは残されて生きているんです。いなくなった青年のことを想って同じ場所を旅していくという曲たちなので、前作よりも内側から湧き出る悲しみがすごくて、歌うのは大変でした。
n-bunaさんはそんな様子を見ていていかがでしたか?
n-buna それが僕はもうボーカルレコーディングに参加してないんですよ。完全にsuisさんとディレクターさんに任せきっています。suisさんに伸び伸びと自由に表現してもらったほうが作品のためにいいなと思ったので。
立会いもしないということですか?
n-buna そうです。軽く事前に情報共有はしますけど、後はもう上がってきたものを聞いて「いいねー!」って。
suis 楽しくやらせてもらってます(笑)。

「救われているのかな?」音楽を通して、人は変わっていく

多くの小説や映画において、登場人物は何かしらの概念の象徴、あるいは作者の分身であることが少なくないと思います。
n-buna そうですね。『だから僕は音楽を辞めた』に関しては、ほぼ自分の分身と言って過言ではないかもしれないです。根底にあるテーマは別として、モチーフは19歳や20歳くらいの頃に悩んでいた自分なので。
前作のエイミーは芸術至上主義でありながらも、売れないということに対して葛藤や苦悩を抱いていました。
n-buna はい。
そんなエイミーは、音楽を辞めようとしていた時期のn-bunaさんの象徴であり、エイミーの続きを生きるエルマは、音楽を辞めなかった現在のn-bunaさんなのではないかと。つまり、この『エルマ』は前作に対する、ある種の救済であるかのようにも感じられました。
n-buna 僕としては、エイミーは「過去の自分の思考や思想をそのままかたちにしたもの」ということに尽きますが、“救済”と言われると、それはいい言葉だと思います。というのも、一時期と違って、今の僕は音楽をやることが楽しいんですよ。だから「あの頃の僕は救済されているのかもしれないな」とも思いました。
suis うん。ここ2〜3年のn-bunaくんを見ていると「昔より音楽を楽しんでいるんだな」っていうのはよくわかりますね。どんどん性格が可愛くなっていくっていうか(笑)。…楽しいんだよね?
n-buna そうだね。尖っていた時期が長くあって。あの頃の自分はちょっと怖かったと思います。
suis 「音楽に対して変わった」のかな? それとも「音楽を通して変わった」のかな?
n-buna 後者だと思う。音楽に対する向き合い方は昔と変わっていないけど、人の気持ちはちょっと考えられるようになったんだと思う。
そうした変化には、何かきっかけがあったのでしょうか?
n-buna suisさんだけじゃなく、制作陣がみんないい人たちばかりなんです。そういう人たちが真摯に僕に向き合ってくれているから、僕も多少丸くならないといけないなと思うようになったんです。
suis ヨルシカの新しいメンバーとして周りの人たちが入ってくれたり、私たちふたりもそれぞれ変わったりしながら、音楽を好きになる道のりができたのかなと思いますね。
n-buna でも、尖ってたあの頃に戻りたいんだよね。自分と音楽のことしか頭になかったあの頃。
suis もう、やめなさい(笑)。戻れないのよ。
その頃のほうが良かったと思う部分も?
n-buna いや、今のほうが全然楽しいのでいいんですけどね(笑)。でも、人間的に最低なのって、逆にカッコいいじゃないですか。
suis そんなことないよ(笑)。
ヨルシカ
ボカロPであり、コンポーザーとしても活動中のn-buna(ナブナ)が女性シンガー suis(スイ)を迎え、2017年に結成。2019年4月に発売したデビューアルバム『だから僕は音楽を辞めた』はオリコン初登場5位を記録し、各方面から注目を浴びる。文学的な歌詞とギターを主軸としたサウンド、suisの透明感ある歌声が若い世代を中心に支持されている。

作品情報

2nd Album『エルマ』
8月28日発売


初回限定盤[CD+ 写真 + 日記帳]
¥4,500(税抜)

通常盤[CD]
¥3,000(税抜)

サイン入りポスタープレゼント

今回インタビューをさせていただいた、ヨルシカのサイン入りポスターを抽選で2名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年8月29日(木)18:00〜9月4日(水)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/9月5日(木)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから9月5日(木)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき9月8日(日)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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