例えば、読者は「農協改革」について、以下の事実を知っているだろうか。
●アメリカの金融業界は、農林中金やJA共済という巨大マーケットを喉から手が出るほど欲しがっている。農協改革で、将来的に農協の金融事業の市場にアメリカ金融業界が参入するための布石が打たれた。
●世界最大の穀物メジャーであるカーギル社にとって、世界で最も買収したい『競合』は、株式買収が不可能な(※株式会社ではないため)協同組合である全国農業協同組合連合会(全農)である。農協改革で、全農の株式会社化への道筋がつけられた。
●農地法及び農業委員会等に関する法律も改正され、農業に従事しない外国資本であっても、農地を所有する株式会社(農業生産法人)に49.9%まで出資可能となった。
●農地を商業地などに転用することを認可する農業委員会の委員が、地元の農業従事者からの公選制から、地方自治体の首長による『任命制』へと変えられてしまった。
農協改革では「農協法」にばかり焦点が当てられてきたが、より将来に禍根を残しそうなのが、農地法と農業委員会法の改訂である。ほとんどの国会議員は、そもそも農協改革が「農協法」「農地法」「農業委員会法」の三つを一気に改訂する“大改革”であることを意識せず、採決に臨んだと思う。
国民や政治家が“中身”を知らないまま、一部の人々を潤す(同時に別の国民に損をさせる)構造改革が進んでいく。郵政改革のときと全く同じパターンになった。そもそも、今回の農協改革は大本の発想がおかしい。何しろ、「利益を追求する株式会社は善。利益を追求しない株式会社は悪」という考え方になっているのだ。
協同組合とは、バイイングパワーやセリングパワーが相対的に大きな大資本の株式会社に、「小」が対抗するために構成される事業体である。協同組合の元祖であるロッジデール先駆者協同組合は、個々の労働者に比べれば大きな存在であり、優位な取引が可能だった商店主に対抗するため、労働者の購買力を束ねるという取り組みから誕生した。
もちろん、協同組合が善で、株式会社が悪という単純論でもない。協同組合は組合員の生活水準の向上、株式会社は利益最大化と、事業の目的が違うという話にすぎない。
例えば、利益が出ない事業、地域からは、当然の話として株式会社は撤退するだろう。とはいえ、協同組合は簡単に撤退できないケースがある。理由は、地域住民の利便性を落とさないことに加え、わが国の農業協同組合の場合は「国民全体の食糧安全保障を維持するため」になる。
要するに、株式会社と協同組合は目的も役割も違うのだが、それを一つの土俵に並べ、「利益最大化を追求しない農協が悪」という、異様なコンセプトに基づき、農協改革が推進されたのだ。
農協改革の元になった昨年5月の規制改革会議のWG報告書では、「全農は協同組合だから、グローバルなビジネスを展開できない。だからこそ、株式会社化するべき」という「改革案」が提示され、ほぼその路線で進んだ。
とはいえ、現実には全農はアメリカからの穀物輸入という「グローバルビジネス」において、さまざまな子会社を設立。カーギルやADMといった穀物メジャーと、真っ向から競合しているのだ(だからこそ、カーギルにとって全農が目障りなのである)。