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小学館とマンガワンの件雑感

色々な情報が錯綜しててこれからどうなるかわからないし突っ込みにくい話題ではあるんですけど。

www.tyoshiki.com

これを読んで俺もちょっと書いてみようかなという気持ちになった。ので、書く。

まず、クリエイターになれてない、なれなかった自身として、そしてクリエイティブやエンターテイメントから刺激を受けて今日もなんとか生かされている消費者としてすべてのクリエイターに僕は尊敬の念を持っている。自分がおもしれえと思うもん(まぁ100%ではなく制約がつくからまた大変なんだろうが)を描いて作ってそれが商業ラインに乗ることってすごく大変。それでおまんま食えてるだけで大変な偉業である。必死に必死にやってるやつらの更にごくごく一部がやっと辿り着ける修羅の道であることには間違いないだろう。

そんなクリエイターの一人ひとりに「小学館に三行半を叩きつけてくれ」と要求するいち消費者のSNSでの所作については辟易する点で同意する。

 

一方で本件のような事態が起こっている(漫画に限らないかもしれない)出版業界のガバナンス体制の中の一部として自身が加わっていることになんか思うところはないんか、とクリエイターに問い掛けたい人の気持ちも正直わからんではない。

卑近な例えになってしまうのだが、もし出版社自体がこのような限りなく黒に近いやり方を許容する法人であると過程するならば、クリエイター自身が闇バイトの受け子とか出し子みたいな立ち位置になってはいやしないか?カネになるから使ってやるよみたいな法や倫理なんぞどこ吹く風の組織に拾ってもらって自身の才能を発揮することを是とするか非とするか、対岸の火事の他人事とするかどうかというのが今回の騒動の焦点になるのではないかと感じている。

難しいのは「商業ラインに乗ってるクリエイターはそれだけですごい」ってところで、闇バイトの売り子や出し子はただの残念な人だったり運がなかった人だったりですけど。世に出れて漫画書いてオゼゼがもらえてるクリエイターはどうあれすごい努力した結果だし、だからこそ、そのステータスの維持と自身の創作活動の継続だけでせいいっぱいなので他人事として私の担当編集はいい人ですよくしてもらって食わしてもらってますって言うことも言わずもがなもできれば、出版社以上に創作者として自身のステータスが確立されてるから声をあげることができる人もいる、まだそこまでいってないけど個人として声をあげるんだという選択も取れる。ここらへんがグラデーションというよりも、両極端になってしまうのは仕方がないと思う。そしてそのグラデーションの間に立つ人に「白黒はっきりしろや」と叩きつける野次馬が論外であることは繰り返し申し上げる。

 

これはあくまで例え話として一生懸命生きてる労働者の中にも「あの専務の謎の出張、ただの愛人旅行ですよね」とか「あいつの企画がしょぼくても通ってるのって結局社長に気に入られてるからでしょ」とかそんな話はそこらへんで枚挙に暇がないと僕は思ってる、というか経験してるんですよね。なんとなく気に入られてる、有能じゃなくても言い訳は器用だから気に入られてる、太鼓持ちがうまいから気に入られてる、だからなんとなくちょっとの不正や横暴も許されてる。そんなやつら、別に出版業界に限らず芸能界に限らず石を当てずっぽうに投げたらそいつの頭に当たるくらいどこにでもいるじゃないですか。そこらへんについては僕も全てを納得してるわけじゃないけど、自分の武器で使えるもんはなんでも使って自分の組織内での価値を最大化するためにやっていこうってのは男女問わず個々人の生存戦略なので好き勝手やればと思って匙を投げています、僕はそういうことは決してやりたくないけど。

ただそういうグレーゾーンを許容しているからこそ、そのグレーゾーンをぐっと踏み越えて、組織外の人間を傷つけて取り沙汰されてる人間までもカネになるなら上手に使うって構造の中にいるのはさすがに嫌じゃないか?と僕は考えます。

そういう構造を業界に踏み込んで知っちゃったけどその構造を常識として受け入れて取り込まれる人間、知らないまま良い担当がついて自分を評価してくれる業界に感謝する人間、色々いるんだと思います。

クリエイターには披露する場所がどうしても必要なのですが、その場所を提供してくれるのは結局どこ吹く風の資本主義なのかもしれない。その資本主義に大いに迎合するとか、生活もあるので苦虫を噛み締めながら受け入れるものすべて自由だと思います。

そしてこれはクリエイターは我々市井の人間も変わらないと思う。クリエイターはファンに支えられる職業であるからこそ、自分の日々の生活のなかで苦虫を噛み潰してる人たちが「お前は俺と違って影響力を持っている、だから声をあげてくれ」って言い出しちゃうのはある意味必然なのかもしれません。肯定はしてません。

 

あちらこちらに話は紆余曲折してますが、結局消費者は100%の純度でその作品をただ純粋に楽しみたいってことなんじゃないかと思います。同じ漫画でも、掲載誌によっては嫌だなって思ったり、普通に楽しめたりとか、そういうのはあると思うんですよね。

グルーミングでうんこ食わせるやつを平気で起用する媒体を通して作品に触れるのと、そうではない媒体を通して触れるのでは、やっぱ各作品の読み味は変わっちゃうと思うんすよね。そんな当たり前のことはみんな当たり前に知ってるはずだと思うので、個々のクリエイターに声明を出してくれとまでは思わないんですけど、そこらへん含めて葛藤しているところなのだと思います。嫌な言い方なのは承知で言うと、自分には春から小学3年生になる息子がいるんですけど。小学館の図鑑NEOシリーズが家にたくさんあるんですけど。サンドウィッチマンと芦田愛菜MCを務める博士ちゃんという番組もよく息子と観てるんですけど、芦田愛菜がこれからも小学館のPRするなら博士ちゃん今後も観続けるのちょっとしんどいな、とか。

悪いものは悪いと言いたい、でもそれを完遂出来るほどの力は自分自身にはないから影響力ある人に声をあげてほしい、そういう声を市井の人としてあげる、全部含めて、正義の暴走と弱者の祈りって紙一重なんだなと思います。

 

tyoshikiさんのエントリを読んだことをキッカケに書き始めてはみたものの、この件はまだしばらく詳細が出てくるまで見守るしかないし自分の中で結論が出ているわけでもない。ただ「集英社はこういう対応してたな」レベルで思い出してた漫画原作担当マツキタツヤまで出てきたのは本当にびっくりした。意外と一番関心があるのは集英社ジャンプ編集局とアクタージュ作画担当の宇佐崎しろ氏にこの件伝わってたのかなとかかもしれない。もし伝わっていなかったとするならば、新たな原作担当者と好調に連載を続けている宇佐崎しろ氏に変なダメージが入るんじゃないかとか心配になってしまう。

読者に筋やら仁義やらを通せってのはただの野次馬の野次なので、二の次三の次でいいと思うんですけど、業界の構造やらなんやらで不正や被虐や横暴が許容されるという事実自体は我々市井の人間の生活の中でも起こってることで地続きで、だからみんな怒っちゃうのは仕方ないとは思うんですよね。かわいいからかなんか知らんけどなんか許されてる人とか、なんか目をつけられちゃって過剰な叱責を受け続ける人とか、おカネになるからちょっと悪い商売をしてる人とか、みなさん生きてたら見たことあるでしょう?結局アレの延長線上にこういうことがあって、それに怒る人がいるのは全然仕方ないと思うんですよね。SNSの仕方なさというより、リアルの世界のエグいところの仕方なさの方が大きいんじゃないかなと思う。

でも今回のは、ジャニーズとか吉本とかの芸能界とかとはちょっと燃え上がり方が全然違うよね。クリエイターに意思表明を個別に求める有象無象には「やめとけよ」とは思うんですけど、推しがいるから「ジャニーズ悪くないよ!」とか言ってた人らよりはいくらかマシかなーとは思う。クリエイター個人としてリスペクトされてるからこそなんか言ってくれ、みたいなブレンド具合はいくばくか強いんじゃないかと思う。知らんけど。

 

あとこれ全然関係ないんですけど、是枝裕和が万引き家族で女優に濡れ場シーンをやらせる時に事前に知らせないで現場でヌードシーンなんで前張りでお願いしますみたいなことをやってた件が園子温のハラスメント問題が取り沙汰されたタイミングで飛び火でちょっと燃えかけて、その後で自身でハラスメント反対!みたいな声明をあげて団体的なもの立ち上げたのか忘れたけど、それらが各種インターネットニュースで出まくった結果SEO的に「是枝 ハラスメント」とかで検索しても、「是枝さんはハラスメントを許さない善良な映画監督だ」みたいな記事しか出てこないようになってるの、上手くてズルいなって思ってるの俺忘れてねえからな!!

 

あ、あと、「死刑囚の描いたアート展示」とかたまにあるじゃないですか。別におもんないんすよ。悪いやつはクリエイターとしての才があるわけじゃなくて、普通に面白いクリエイターが悪いことしちゃうっていうのはまた全然別の話で、ただ悪いことしなくちゃクリエイティブできなかったのかは他人の話なので全然謎で、本当によくわかんねぇけど、とりあえずみんな他人を傷つけないよう健全に生きような(SNSで変に暴れるのもやめような)。

 

以上です。

先生の言うことなんか真に受けるな

togetter.com

長年お互いブログを読み合ってるので会ったことはないけど他人とは言えないくらいのしんざきさんがこんな話題でバズっていた。そして僕もそれにいくつか僕もコメントしたりもした。

 

※これ以外にも付随的にいくつかコメントしたが俺の『坊っちゃん』の感想だったりなので割愛。興味ある人は僕のアカウントを辿ってください。

 

で、こっから、僕は全部見てないんですけどしんざきさん本人のところに色んな反応が届いたんでしょうね。こんなことを御本人がつぶやいているのを見かけたんですよ~。

 

なーにー!?やっちまったな~~~~~~!!漢は黙って、墨汁!漢は黙って墨汁!!

 

すいません、ここまでひとつもボケてないなと思って、別にいらないなと思いながらテキトーにクールポコを挟んでみました。でも、筆に墨汁で読書感想文書いてきたら俺はめっちゃ笑ってその子どものこと褒めると思います。さらにそいつが左利きなのに右手で頑張って書いたとかだったらリストバンドとかこっそりプレゼントしちゃうかもしれない。

 

親がそうであるのと同様に、教師の当たり外れのでかさって本当に人それぞれでガチャとしか言いようがないですよね。一般論化できないというか、もう本当にその人それぞれにとっての経験しかないですよね。

親も教師もしょせんただの人間ですからね、何も期待してはいけない、向こうも仕方なくやってるんだから、ってのは常々思うんですよ。

 

今回の話題をきっかけに40歳ズイショ、過去に出会った教師たちを振り返るわけです。

 

僕が小学一年生のときの担任は新卒の女性教師で学級崩壊になっていました。その時の先生は大変だっただろうし、当時いじめられっこだった僕はいじめを制御する能力もない先生にあたって大変だった。でもたぶん、お互い大変だったんだろう。今になって思うのは、保育園・幼稚園までは女の先生じゃないと不安、男の保育士さん幼稚園先生はちょっと怖いみたいなことを親世代はみんな言っていたくせに、小学生になった途端に若い女の先生は頼りないみたいなことを親はみんな言ってました。それは今もあんまり変わらないんじゃないかと思う。そういう親の無責任な「正しい意見」を真に受けて馬鹿なガキどもが増長して女性教師を舐めて学級崩壊を引き起こす一助になっていたんじゃないかなと思う。

俺の担任じゃなかったが、よその教室でヒステリックな中年女性教師が教科書を児童の顔面に投げつけて角が当たって出血して、みたいなこともあったな。やっちまったことがアウトだったので擁護の余地もないが、当時の女性が「指導者」という立場で教師を務めることが大変だったのかなと思わなくもない。

クールポコをさっきやってたのはねぇ、このための伏線だったんですよ!(はぁ?)

俺の読書感想文を真っ向否定したのは小学4年生の時の担任で、たぶん当時でアラフィフくらいのババアであった。読書感想文を否定された他に、俺は声変わりが他の男子よりも早くて、そのうえかなりのバリトンボイスになってしまい合唱曲の担当パートすら満足に高音が出ない時にも「サボるな、歌え」とみんなの前で大いに叱責を受けた。アレはかなりのハズレくじで、戦争を経験したほどの年寄りでもないくせに「白い米が大好き」とか言うところも気に食わなかった。

小学六年生の時のアラフォー女教師は、「なにかいいこと」をするとなんか丸いちっちぇえシールをあげて、それが10個溜まるとテキ屋とかにあるくじ引きをするみたいな演出をしていた。「なにかいいこと」の範囲はとても曖昧で「テストで100点」でもらうこともあれば「掃除をとても頑張れた」とか「喧嘩をして和解できた」とかすべては担任の匙加減であった。それでシールを溜めるとしょーもないくじが引ける。くびを引くためにみんなが先生のご機嫌を取る。誠に最悪なクラスであった。大人になって考えると、あのテキ屋のくじ引きと景品、先生が自腹で買ってたんだろうなと思って余計胸糞が悪くなる。自腹切って自分の部署にだけ変な賞罰ルール作るの絶対おかしいじゃん。

ここまで小学生の時の担任教師の話を並べてきたところ、すべて女性教師の話になってしまうのは別にミソジニーではなく、それだけ俺が小学生の時代には女性が男性社会のなかで闘うための手段や苦痛や苦悩があったのだろうという話で、つまり向こうもただの人間に過ぎないという話だ。

中学高校の話をしてもいいんだけど、めんどくさいので割愛する。

僕の言いたいことはただ一つ、教師もただの人間なんだから多くを求めてはいけないし、舐められたら喧嘩をしなくてはいけないし、同じ人間として生活の苦労やストレスを察してやらなくてはいけないというそれだけだ。

そのうえで唯一言えることとして「先生の言うことなんか真に受けるな」と俺は子どもに言う。相手もただの人間だ、そいつの言ってることが正しいとか間違ってるとか、そんな話をすることがそもそもバカバカしい。

俺は教師を馬鹿にしてるわけではない。ただの人間だと思っている。

むしろ教師を聖人だと思ってる奴らの方が教師を馬鹿にしていると思っている。

 

日曜日に居酒屋で一緒に酒を飲んで「はー明日学校行きたくねー」と笑う教師もいるし、「一応おれ教員免許取ってるんすよ」って言いながら全然違う仕事してるお前が教師だったら絶対嫌だよって面白いやつもいる。

教師資格なんか別に大学に通えば誰でも取ろうと思えば取れる。教師が本当に人格者だと思う必要なんかないだろう、今どき農民でもそんなやついないだろ。だけど、お互い一生懸命生きているのはそりゃそうなので、神格化しすぎず、人としての敬意をもって、やっていくしかないんじゃないかなーと思いながら、息子には「先生の言うことが正解とは限らない」と伝えている。

 

はい、武田鉄矢への悪口はB面でーす。以上でーす。

夢と現実の乖離が甚だしい

うつ病から休職に入ってしばらくが経った。

療養して英気を養って次のフェイズに入ろうという意思のもとの受診がそもそもだったが、それが現実になるイメージが今は全く湧いていない。

まずは不眠を解消しようという方向性になった。

しかし、まずその睡眠時間を全くコントロールできなくなった。そしてその睡眠時間に見る夢が甚だ希望に満ち溢れているのがまたタチが悪い。

例えば、家族とどこか旅行へ行く計画を立てるとか、仲間たちと何かしらの楽しいイベントを企てるとか、会社のプロジェクトを前向きに討論するとか、こんな面白いプロットを考えたからテキストに起こしてやるぜとか、幸せな夢ばかり見ている。特にここ最近はワクワクするような夢を見て布団で微睡んで目を覚ます。

ハッと目を覚まして、さあいよいよ本番だくらいの気持ちで覚醒する。しかし、そんな俺に、現実にはなんの役目もないのだ。その日に必ずやらなくてはならないタスクもなく、自分が今日何をすればいいのかわからないまま一日が始まる。俺が活躍できるかもしれない毎日は夢の向こうに消えていく。

このギャップがとにかくキツい。

自分が誰かを愛することとか、何かを楽しむこととか、そういう夢を見て、起きた時にはそんなものはどこにもないのだ。家族に迷惑をかけて心配をかけて、ただの無力な自分を実感して自暴自棄になる日々を繰り返している。

情けなく愚かしい。

俺は誰も愛してないし、それ相応の罰を受けているんだなと感じる。

この夢だけ勘弁してくれないか?

俺が誰かの幸せを手助ける、そんな馬鹿らしい夢だけは勘弁してくれないか?

夢の中でだけでもなんて俺は思っていない。俺がカスならそれはそう。そういう夢だけ見させてくれよ。

そしたら、夢を全部ドブに捨てて、今大事にしたいものに集中できるのに。

夢を見て起きた後は俺なんか死んでしまえばいいのにといつも考えている。

生きたい意欲がなくなっていて、俺がいなくなった世界で、少しでも俺の愛する人たちが楽しく生きていてほしいみたいになってる。

これは絶対におかしい。俺がいたうえでそうなるのが一番だってことはわかってるんだけど。

うつ病なんてレッテルを気軽に受けたのは本当に失敗だったと思ってる。俺は何もできない迷惑な人間なんだと自覚させられたらこんなにも滅茶苦茶になっちゃうんだと反省している。

 

ここから立ち上がるの大変だなー。

 

以上です。




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