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Gowok(2025)

★★★★★

オランダによる植民地支配の時代、上流階級の生まれのジャヤは両親の命でゴウォックであるサンティから妻を娶るための性技について学ぶことになる。ゴウォックとは独身の若い男に性行為を教える職業であり、当時のジャワでは結婚に備えて行われるものであった。しかしジャヤはサンティの養子でいずれゴウォックとなることが決まっているラトリと恋に落ちる。いつか迎えに来るというジャヤと将来を約束したラトリはゴウォックになることを拒絶し、女性のための学校建設を目指すニンの元で学ぶようになる。けれどもやがてジャヤからの手紙は途絶え、ソロの王女とジャヤの結婚のニュースを新聞で知ることになる。裏切りを知って一度は死のうとするものの、もうひとりの養子であるリヤンに助けられたラトリはゴウォックになると決意し、サンティと共に評判を高めていく。十数年の時が経った頃、ある貴族の子弟がラトリの元で学びたいとやってくる。ゴウォックにとって貴族の息子を迎えられることは最大の名誉であり、ラトリたちは喜ぶがそれはジャヤとソロの王女の間に生まれた息子であった。再会したラトリとジャヤ。ラトリはゴウォックとしての仕事を受けるが、その胸には忘れられない傷が隠され、傷は復讐を求めていた。

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天才ハヌン・ブラマンチョ監督。凄い。毎回凄いといってますが、Gowokは本当にやられた。インドネシアの歴史の概念のような映画だった。常に2時間半くらいで大河ドラマを見せてくる。いやー凄い。

ゴウォックというセックスワークを中心に据えて語られるのは1965年の虐殺を含めた歴史、そして封建主義貴族制度と女性差別によって支えられる社会構造で、その上に更に黒魔術やジャワ土着の信仰という文化も混ぜ込まれ、凄まじいグルーヴが生まれている。インドネシアの概念をこれだけ盛り込みながら2時間強の映画として不足なく作り上げてしまうブラマンチョ監督の手腕よ。最近の実話ならいいと思ってるようなホラー映画製作者たち、Gowokを見て学んでほしい。

ハヌン監督、歴史や社会の犠牲になるのは常に女だという意識が根底にあるので、どの女の苦しみも消却しない。貴族になるという欲望、たったひとつしか許されなかったその欲望のために息子の人生を利用するジャヤの母も、ラトリの人生を支配することでゴウォックとしての名誉を守ろうとするサンティも、客の子どもを妊娠して殺された“売春婦”であるラトリの母も、共産主義者と糾弾され捕まる女性の権利活動家のニンも、共産主義者の恋人と引き離されジャヤの妻にさせられたソロの王女も、誰もがみな、男を中心とした社会構造の中で生き延びるために同じ女を犠牲にしたり、自らが犠牲になったりしている。

一方、男と男によって作られる社会は家父長制に自家中毒を起こして苦しむ。ジャヤへの復讐心からラトリは息子バガスが自分を求めるようにと仕向け、結果バガスはジャヤを殺し「なぜ僕を愛さないんだ」と泣きながらラトリを強姦しようとするが、そこにあるのは支配―被支配関係しかもてない男たちの苦悩と、苦悩を暴力でしか解決できない愚かさだった。

ラトリを救うのが女性装をしたもうひとりの養子リヤンと、ラトリの手伝いとして育てられた少女スリ--女性性を強調されない唯一のこども、であることは、ハヌン監督の希望がリヤンやスリのような存在に託されているように見える。男女二元論も当然家父長制を支える一助であり、だからバイナリーではない者がこの世界に在るものとして認識されることは家父長制を壊す希望であるといえる。ラトリ自身の「生まれ」によって決定づけられた生き方は「生まれ」に定められない彼らによって解放されて、あのラストシーンまで行きつくことができたのではないかと思える。

素晴らしかったです。ハヌン監督、だいたい年に4本公開してるけど仕事早すぎできすぎ。年に4本て。

ジャヤの若い頃をデファノが演じ、大人になってからはレザ・ラハディアンというキャスティングもよかった。上流階級の息子の、蝶よ花よと育てられ、先進的な教育を受けているから女性の権利にも“理解があって”、でも自分の恵まれた環境や親に言われるがままに生きているところには全く気が付かない傲慢さがすごく合っていた。

 




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