
★★★★
前作で悪魔アスアラを祓うことに失敗して息子を失い、自身も一度は死んだウスタズ(イスラム教指導者)のクォドラト。しかし彼は煉獄から蘇り、アスアラの手下である悪魔に襲われる村を救うことに成功した。そのクォドラトが行方の知れなくなった妻アジザを捜すところから今作が始まる。息子を救うと騙されて神を裏切り悪魔に信仰を誓ったアジザは息子を失い、更にクォドラトまで亡くして病に倒れ一時は入院していたが、退院後ある紡績工場で働きはじめていた。しかしその工場では工員を生贄に捧げることで富を得る悪魔崇拝が行われていた。目撃者となったアジザは追われ、クォドラトはアジザを救うために工場に潜入する。
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QODRAT is BACK.
帰ってきましたクォドラト!ロックンロールをかき鳴らしながら前作のおさらいが始まる冒頭、否が応でもテンションが上がる。長髪にトム・クルーズばりのサングラス、革ジャン、大型バイクを乗りこなすムスリム悪魔祓い師。更にはこの男、一度死んで蘇ってきている。悪魔祓いの映画は数あれど、このキャラ造形は流行ってしかるべき。教義を学んだ師匠を演じるのがチェチェプ・アリフ・ラーマンなので、当然シラットもできる。シラットでチンピラの関節を外し、シラットで関節を治す。ご飯食べながらの余裕のアクションの様子も楽しい。
一方クォドラトの敵たる悪魔は生贄を織物機の糸で刻むという嫌すぎる殺し方をしていた。なんでそんな人間側の環境に合わせた殺し方するんだよ。いつも思うけど願望に対して悪魔の要求が多すぎるというか、工場のオーナー筆頭に結構何人も悪魔崇拝やってたけどみんなそこまで裕福そうではなく、ジャカルタで現実に悪いことやってる人たちの方が絶対稼いでるんだよな……。現実に悪いことして稼ぐためにはそもそもそれなりの地位と権力が必要であり、小物は悪魔に頼るしかないんだろうけど、そこを突き詰めると悪魔、大して力なくない? 庶民にしか必要とされてなくない? になってしまうので横に置いておく。悪魔より悪辣なのは人間。
オーナーによって全員悪魔憑きにさせられた工員を斬っては捨て斬っては捨ての勢いで祓いまくり、取り囲まれて最後は「アッラーアクバル!」で地響き立てて一気に祓い落としたクォドラト流石でした。ここの勢いある悪魔祓い大好き。そして最終的には前作同様オーナーとシラットバトル。オーナーにもやはり心得がある。悪魔使えよ! と思うけど悪魔からしたらそれは契約外なんでしょうね。クォドラトを演じるフィノの長い足が活躍していた。
こうして再会したアジザを救い、かつて息子と三人で暮らしていた家に戻るクォドラトだけれど、アスアラがクォドラトを放っておくわけもなくかつてアジザを騙した手下の悪魔が再び現れる。このアスアラのクォドラトへの執着なんなんですかね。神の美しく強い信徒を奪いたいという動機で、要は神への執着なんだろうけど。神に愛されると悪魔にも愛されてしまう。いや神は万人を愛するものなので違うか。信徒が敬虔に神を愛するほどに同時に悪魔にも愛されてしまう試練がもたらされるのか。
祈りの言葉を唱えるクォドラトとアジザだけれど悪魔も同じように祈りを唱える。キリスト教のエクソシストものでもそうだけど、悪魔が神への祈りの言葉を唱え始めると絶望するよね。対抗手段がなんら意味をなさないことをこの上なく美しく表す描写だなと思います。そもそもアジザは一度神への信仰を捨ててしまっている。悪魔は執拗にその罪を追及する。けれどもここで、アジザがその自分自身の罪と罪悪感に“誘惑”されることなく神の許しを信じて立ち上がったシーンが素晴らしかった。一度は悪魔に膝を屈しても、その罪を自分のものにして悪魔に譲り渡さなかった。女はたいてい弱きもの、誘惑に屈するものとして描かれて取り憑かれるばかりだけれど、今作では神を信じる強さをもった存在として最後まで描き切っていた。クォドラトを守って亡くなる展開にはなってしまったけど、物語上の要請として主人公たるクォドラットには全部失ってもらわないといけないからなあ。そうして、最後の、
QODRAT is BACK!!!!!!!!!!!!!!!!!!
チェチェプ先生がシラット構えて終わるのもマルシャ再登場もエンディングソングがロックンロールなのも全て最高だった。ミュージシャンが出てきて最後にはフィノが合流するのもクォドラトという映画のテンションを正しく示していました。3、めちゃくちゃ楽しみです。