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Minggu Pagi di Victoria Park(2010)


★★★★

国から「外貨英雄」と呼ばれる移民労働者のひとり、マヤンは香港で働いている。海外で働くことに希望をもつ友達も多いが、行方の知れなくなった妹セカールを探せと父から強制的に香港へと送られてきたマヤンは今の生活に馴染めない。一方、借金を負って身を隠すことになったセカールはなんとか金策しようとしていたものの、不法労働者の身分に陥り、まともな仕事が見つけられずに望まない性労働にまで手を出さざるをえなくなっていた。助け合わなければ生活できない同胞コミュニティの中にも様々な葛藤や衝突がある中、妹にコンプレックスをもつマヤンと助けを求めることができないセカールすれ違っていく。

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舞台が15年前の香港なので、現在との違いを思わざるを得ない映画だった。そしてそれとは別に、映画やニュースを通して「中から見る香港」ではない、インドネシア人労働者という外部の視点で香港を見ることができたのが新鮮だった。当時のインドネシアから見たときの香港は、経済力があるというのはもちろんだけど、それ以上に自由な場所であることへの憧れ、というのが強く感じられた。インドネシアではできないことがここでは当たり前にできて、そしてできないことは抑圧なんだ、ということが主張されていた。特にクィア描写に顕著だった。

シスヘテロ間ではない恋愛や「女の標準」からはみ出たルックスの移民労働者たちがたくさん出てきて、他の人々も自然にそれを在るものとして認識していた。2000年代初頭は香港でセクシャルマイノリティの人々の権利保護が進展した時期らしいけど、実際のところヴィクトリアパークでオープンに過ごしていても安全を感じられるような社会だったのかな。インドネシアでもこの映画が作られた2010頃はかなり多くのクィア作品が作られていて、現在より状況は良かったでのはないかと思うけど、それでもこんな風には過ごせなかっただろうし、クィアな人たちの存在が創作に現れるようになるくらい社会全体で認知されてきたからこそ、香港との差を感じる面もあったのではないかな。特にレズビアンや生まれたときの性別が女である場合、そうでないよりもセクシャリティをオープンにすることは難しかったろうと思うし、実際ゲイやトランス女性を描いた作品はすぐにいくつか出てきてもレズビアンをメインにしたものはルッキー監督の『Selamat Pagi,Malam』くらいになってしまう。これまだ見られてないんですよね。めちゃくちゃ見たいのに…

クィアな視点だけではなく、ヒモ彼氏を見せびらかす友達の振る舞いも母国ではできない/やらないことだろうと思うから、そういうクズと付き合うことで失敗はしても、失敗できること自体の自由に価値を見出している感じがした。

移民労働者の90%以上が女性という事実があり、それ自体インドネシアにおける女性への抑圧を示していて、マヤンも父親に強制されてきているんだけど、でも一方で香港に来ることでその抑圧から逃れることができる、自由を手に入れることができる、というのが家父長制社会への皮肉になっていた。領事館勤めのヴィンセントの存在はその皮肉そのものって感じだったな。移民労働者たちの味方で、親切で下心もなしに無償で自分の時間を使って助けようとするんだけど、「教え導かねば」の意識が透けて見えるから、どこか煙たがられている感じ。移民労働者のお父さんみたいなもの、っていわれてたし。

移民労働者間の関係の描き方もよかった。助け合わねば生活がままならないから強固に繋がるけど、でもそれって強制力の働く「仕方のない」関係でもあるし、プライベートに踏み込まれる不快感も全部を知られてしまうという窮屈さもあって、良いことばかりじゃない。だからセカールも助けを求められないほど追い詰められてしまう。きれいごとでまとめずにそういうことをきちんと描いていた。

インド系ヒモ彼氏、最後振られるときに「シャー・ルク・カーンに似てるからって」っていわれてて笑った。似てなかったよ!

 




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