
旅行の最終観光地は宮島でした。今回の友だち3人組は高校時代の仲間で、我々の修学旅行先は宮島。ということで45年ぶりの再訪です。
宮島へは船で行ったことと赤い鳥居は覚えていますが、他は忘却の彼方。能舞台や太鼓橋は初対面のような気がします。鹿にも会っているのでしょうけど…。
鹿と言えば、今回船から降りて、フェリーターミナル前の広場で添乗員さんから説明を聞いている時に、我々のツアーの集団に大きな鹿が入り込んできました。私はよけましたが、すぐ前の女性はバッグにつけていたツアーバッジをあっという間に鹿に食べられてしまいました。安全ピンは食べずに、紙部分だけをパクリ。紙を食べて大丈夫かと、被害女性は心配していましたが、港の待合所のスピーカーから「鹿は紙を食べるので十分ご注意ください。」という放送が!鹿が紙を食べるとは知らなかったです。
厳島神社の大きな赤い鳥居は青空に映え、大勢の人が撮影。ぬい撮りもなかなか大変でした。能舞台の周囲では工事のようなものをやっていて、ガイドさんの説明によればお正月の露天商のための準備だそう。やっとハロウィンが終わったばかりなのに、もうお正月の準備とは。大勢の参拝客がやって来るのでしょうね。
当時の我々の修学旅行のコースは、広島の原爆資料館見学や宮島を観光したあと四国に渡り、道後温泉や栗林公園、金毘羅様に行き、最終日は京都観光をして茨城に戻るというものでした。
ところが最終日は土砂降りの雨、しかも大型台風が接近しているということで、京都観光はキャンセル。朝早い新幹線に乗って急遽帰ることになりました。280人生徒全員、自由席に並んで乗ったと思います。
結局、私たちは乗車したまま台風に遭遇。その後、新幹線は全く動きませんでした。換気のためにドアは開けられて停車。夕方、線路のある土手に地元のおばあちゃんと女の子が手を繋いで上がって来て、私たちの様子を見に来た光景が今でも忘れません。ここがどこかと尋ねたら、岐阜県だということがわかりました。朝8:30に京都を出て夕方にはまだ岐阜にいる!
どこかの駅に着くたびに、新人の男性添乗員さんが公衆電話に走って行ってどこかへ電話をかける様子を車内から何度も見ました。座席には座れたものの、昼食も夕食も用意されることはなく、みんなで残り少ないお菓子を分け合って空腹を凌いでいました。
徐々に新幹線は動き出しましたが、なかなか東京には着きません。クラスの男子生徒が、夜の小田原駅のホームで他の乗客からお土産用のちくわを1本めぐんでもらって、それをグループでひとくちずつ食べたり…。あとはトランプをして気を紛らわしたり。
常磐線に乗って自宅の最寄駅に着いたのは午前2時。都内勤務の両親は自宅に戻れなかったので、伯母が私を駅に迎えに来てくれました。携帯電話もない頃、どうやって各家庭と連絡を取り合ったのか、学校側も相当な苦労があったと思います。誰もいない家に着いたら、飼い猫3匹が空腹で半狂乱でしたっけ。
宮島の赤い鳥居を見て、私たち3人はあの!修学旅行のことで大いに盛り上がりました。