ネオンも街灯もない真っ暗な山間地で、「星空を眺めるツアー」なるものに参加してきました。
夜空を見上げてしみじみと星座を探すなんて、何年ぶりのことでしょう。そもそも日常を送る場所では、地方都市とはいえ夜も街の灯りが眩しくて、肉眼で星の姿をはっきりと捉えることは難しい。
ベテランガイドの案内で、バスに揺られて到着した山の広場。草地に立って、浮世と隔絶されたような真っ暗闇のなかで星空を眺めてみれば、あれが天の川。あれが夏の大三角で、ひときわ輝くこと座のベガに鷲座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。南の空には蠍座といて座。ベガと地球の距離は、25光年。私たちは、25年かけて届いたベガの光を見ています。
宇宙の歴史と広さに窒息しそうになると同時に、ごみくずのような私たちの瑣末な日々を思って、静かに安心します。宇宙の誕生自体が偶然であるならば、地球にも生命にも「生まれた理由」なんてないのでしょう。存在に意味なんてない、という事実(あるいは仮定)は、精神衛生にとってとても有益。生きてるから生きてるし、死ぬときは死ぬ。という自然の摂理に任せて右往左往しないで過ごしたいよね。
私の慢性的な悲観論と諦念を補強してくれる星空ツアー、とても良かった。
さて、昨日アップした「ミニマリストすごろくのゴール」エントリ▽
テクノロジーの加速度的な発展に伴って将来予測が非常に困難な現代において、柔軟に健やかに生きるためには「哲学とアート」が拠り所になるのではという持論でした。
ここに先の星空ツアーで得た感銘と諦観を交えて、より解像度を上げて「不透明な時代を病まずに呑気に過ごすための精神的な防衛ツール」を考えてみました。
スターバックスの片隅で密やかに実施した超個人的な思索の結果、①哲学、②アート、③科学、④感情、⑤歴史ーの5つに集約されました。
①哲学と②アートは、前述の過去エントリで述べていますので説明を割愛します。③科学と④感情と⑤歴史、への見解について書き留めておきたいと思います。
③科学
…将来予測の困難さは、大衆の不安と混乱を招きます。膨れ上がった不安は、陰謀論や排外主義の拡大につながっていきます。防波堤となるのは、人類が積み重ねてきた知性でしょう。つまり科学。科学とは?教えてchatGPT!「世界をできるだけ正確に説明し、予測できるようにするための、人類の方法論的・社会的知の営み」だってさ。観察や実験を通して得られた、信頼できる知識の集積。個人の主観に左右されない客観性と再現性。実験や観察による検証、そして誤りがあれば修正され、知識は更新され続ける進歩性。不安を栄養にして膨張する根拠のない風説に取り込まれないために、心の真ん中に「科学への信頼」を置いておきたいものです。
④感情
…科学への信頼を心のコルクボードにピン留めしつつ、直感的な「好き・嫌い」には忠実でいたいものです。本能に基づく人間の直感は、ほとんどの場合において概ね正しい。第一印象で「胡散臭い」「なんか嫌」と感じた人は、長く付き合ってみても拭えない違和感が残ります。己の感情と第一印象に忠実に、だけど社会的動物として現世を穏やかに生き抜くために、感情の発露は慎重に。嫌いな人に対して直接的に「嫌い」と表明することにメリットはないし、過剰な陰口と悪口は自分自身の品格を貶めます。自分の感情に素直であることは、他者の感情を尊重することと同義。「なんか嫌」「なんか変」と感じた事物には深入りせず、速やかに安全を確保できる距離を取る冷静さは、精神衛生と危機回避の大いなる武器となるでしょう。
⑤歴史
…約138億年前の「ビッグバン」によって誕生した宇宙。そして地球上に最初の生命が生まれたのが約38億年前。魚類、両生類、爬虫類と進化を続け、2億年前に哺乳類が出現しました。アウストラロピテクス(猿人)が本格的に二足歩行を始めたのは、わずか400万年前です。そうした歴史を踏まえれば、人間ひとりの運命や寿命に「意味」を求めることの無意味さが納得できます。しかしそれは悲観的なものではなくて、歴史の流れのごくごく短い期間に存在する自分のありがたさも実感できるでしょう。死はランダムに配られるトランプゲームのカードのようなもので、寿命も死因も「そういうカードが配られただけ」と諦めるしかありません。「健康で長生き」を人生の目標にするのもなんか違うし、敬老の日に「長生きしてね」とメッセージカードをくくり付けた酒瓶を親に贈るのもなんか違う気がします。戦争や略奪や破壊といった、非論理的で感情的で残酷で取り返しのつかない悲劇は今後も繰り返されるかもしれないけれど、より苦痛の少ない全体最適の未来を選べるように、真摯に歴史と向き合っていきたいですね。

と、いったことをつらつら考えていると、つらつらと週末が終わっていきますね。
目に見えなくても存在している昼のお星を思いながら、健やかに土曜日を過ごしてまいりましょう。