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「ミニマリストすごろく」のゴールは、哲学とアートという仮説について。

夕日がきれいな街に住んでいて、きょうも概ね良い日だったなとぼんやり振り返ることができたら幸せ。

もはや巷に溢れる整理収納コンテンツにはあんまり興味がなくて、ミニマリストの定義とかミニマリストオワコン論争とかもどうでもよくて、ひろい海を眺めながら、買いたいものを買って着たいものを着て食べたいものを食べて、健やかに普通の毎日を重ねていけば家が散らかっていようが片付いていようがどっちでもいいんじゃないという気持ちになる晴れた日の夕暮れ。

気がついたら5日前のエントリが、1200本目の記事だったぽいです。

銘菓「越乃雪」の素敵さを綴ったお気軽エントリ▽

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持ち物リストとか、捨てたもの記録とか、クローゼット一覧とか、徒然なるままに1200本アップしてきてふと思うことは、「ミニマリズムのゴール」について。持ち物を減らし生活を簡素化することを目指すミニマリストの道程は、言ってみればサイコロ振って駒を進める「すごろく」のようなもの。

私の人生が「ミニマリストすごろく」であるのならば、このまま「ミニマリスト」のカテゴリで2000本、3000本と回数を重ねて、持ち物を減らす暮らしを吐露することが、果たしてどこに繋がっていくのか。あるいは、どこにも繋がっていないのか。

 

41歳の誕生日を間近に控えた2025年9月時点での見解は、「ミニマリストすごろく」のゴールは「哲学とアート」なのではないかということ。

 

持ち物を減らしまくった後の茫漠とした部屋に残るのが単なる「物理的な空っぽ状態」であるならば、それはなんともホラーなこと。

物理的には空っぽ、でも内面は豊か、というのが目指すべきゴールだというのが私の仮説です。

 

ミニマリズムは禅の思想にも通じるし、ライフスタイルの選択は「どう生きるか」という哲学的な問いに繋がります。そして、目まぐるしい速度でテクノロジーが進化する、変動的で不確実で複雑で曖昧な「VUCA(ブーカ)」の時代において、思考と行動の拠り所となるのはアートだと考えます。

美しい創造物をみて、自身の内面と対話し、どう解釈して他者に伝えるか。深い内面理解とコミュニケーションの手段としてのアート。

解釈は無数で、多彩。美術館で楽しむ分には、家にモノが増えることもありません。

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哲学もアートも、膨大な人類の知性と創造性の賜物です。

一個人が生きている間に味わえる要素は、無数に存在するそれらのうちのごくわずか。

それを自覚すれば、ミニマリストのゴールが「哲学とアート」などと考えるのは、とても不遜です。「ミニマリストすごろく」のゴールに着いたと思ったら、そこからまた果てしない「すごろく」が始まるという無情。だけどそれは楽しくて、広くて深くて、孤独だけど寂しくはなさそうです。

哲学とアートは、誰かと馴れ合わなくても、小さなグループをつくって群れなくても、ひとりでのんびり歩いていける道のようにも感じます。

 

もう捨てるとか減らすとか、持ち物の数とか、必要以上にこだわらず、不透明な未来を怖がらずに呑気に暮らすための武器としての哲学とアートを取り入れていきたいと思う。

というようなことをつらつらと考えている日々です。




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