あらゆるものへの期待を捨てると家は自動的に片付く、という楽観的な仮説を立てています。
そしてしみじみと物量が過多な状態にある老親が暮らす実家を、もはや諦めの境地で眺めている娘の私です。
どうして彼らはゴミ同然の古びた鍋、及びそれに類する不用品を捨てずに貯め置くのか。
とっても不思議。
世の中に溢れる不思議の背景を勝手気ままに想像するのはお金のかからないエンターテインメント。両親が物を捨てない(捨てられない)心理の奥底にあるのは「もったいない」そして「いつか使えるかもしれない」という根拠不明の茫漠とした「期待」なのかもしれないと想像します。
そして根拠不明の期待は、呪いです。
まずは家中に溢れる一つ一つの物たちを単なる原子の結合体であると捉えて、必要以上に価値や意味を持たせない、という堅牢な決意が大切だと考えます。
物を捨ててもバチなど当たらないし、持っていても幸福は訪れません。
必要以上に溜め込んだ、壊れて役目を終えた大量の物の残骸が、人間に対して安全や充足や名誉を与えることはありません。
「いつか使うかも」「いつか役に立つかも」という根拠のない期待を捨てれば、自動的に家の中は隅々まで片付くのではないでしょうか。これもまた私の根拠のない期待なのかもしれません。
と、ひとり頭の中で考えてみたところで老親が暮らす実家に溢れる物たちが減る気配は一向にありませんので、私も「親もいつかは片付けてくれるはず」という勝手な期待を綺麗に捨て去り、他者の生き方に干渉しないというアッサリと清らかな諦めの境地で思い煩うことなく健やかに過ごしていたいと思います。

親の家を片付けない、と決めましょう。
明日も愉快な人生をー